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裏拍(弱拍)を感じられない日本人

ブログやYouTube等、他の媒体ではずっと発信してきた事だが、戦後70年経って本場で修行してきた人達、YouTube等で手軽に演奏が聴けるような恵まれた環境の恩恵等もあって、クラシック、ジャズ問わず『日本人の演奏は世界レベルに達した』と一般的にはされている?が果たしてそうだろうか?

たしかに国際コンクール上位入賞者も多数輩出し、海外の檜舞台で活躍する日本人ミュージシャンも多い。

だがそのミュージシャン達ははたして全員上手いのか?商業的な成功と音楽の中身は全く別物という事を“パンピー”はおろか、プロもわからない。

そりゃそうだ、北野武のように、『認められるのが正義』みたいな商業至上主義をあからさまに唱える“商業成功者”にしてみれば、『売れなきゃ負け犬、売れなくても凄きゃいいなんてのはあまっちょろい』と吠えるだろう。だが言わせてもらえば、だからあの程度だ。座頭市をやろうが勝新の凄みとは雲泥の差、映画もただの柄の悪いチンピラ映画で名作には程遠い。

話が逸れた。
“日本人”はいつまで経っても“裏拍”を感じられない。ジャズの人間はまだ“裏を出そう”としている分クラシックの連中よりマシだが、それでも似たりよったりだ。
なぜなら裏拍 “から” 感じてないからだ。

『裏拍出せば同じ事じゃない?』と思う方は、ぜひ試してみてほしい。
表拍(強拍)から感じて裏拍(弱拍)を出そうとすると常にこわばった緊張状態になる。
それに対し裏拍(弱拍)から感じると表拍(強拍)はどうでもよくなり緩みリラックス出来る(勿論リズムや音の高低によりアクセントがつく事もある)

結果として裏拍から感じていない日本人は“固い演奏”になりがちで、たとえば全盛期のカウントベイシーのようなしなやかで伸び伸びしたダイナミックでドライブ感溢れる演奏は出来ない。

この事は実はクラシックも全く一緒で、リズムの基本は『弱拍(裏拍)⇒強拍(表拍)』なのである。
この事をきちんと書いてあるのは知るかぎり門馬直衛氏が書いた『音楽形式』という本だけである。門馬氏は『動機の基本』という書き方をしているが、動機というと指導動機とか、表面的な音の部品と誤解されるので、自分は『リズムの基本原則』と呼んでいる。

クラシックでいうと例えばピアニストの横山幸雄氏や極々少数の人達も弱拍の大切さを指摘する事は時々はあっても、それがメインストリームにはならない。さっぱり意味がわからない。演奏から想像するに、なんとなく感じていても“なぜそうなのか”までは深く考えていないのだろう。

先日亡くなった坂本龍一氏も、昔放送したジャズ系の教育番組でギターの奏法について、裏拍を上に?軽く?感じて!(どっちか忘れたが)などと感覚的な指摘しかしていないのを見て、『あー、こんな教授と言われた人さえ認識してないのか』と思った次第である。

西洋音楽はクラシックだろうが、ジャズだろうが、ロック、RB、ヒップホップだろうが、西洋のリズムでやってる曲は弱拍(裏拍)から感じなければ所詮真似事、本場の人間には太刀打ち出来ない。

よく聞くことに、留学しに本場へ行ってもその辺の素人の方がよほど上手くて恥ずかしい思いをしたなんて話があるが、まさにそれ。

英語も話せずジャズのニュアンスなんか分かるわけないし、話せたとしても子どもの頃から育ったとかネイティブレベルで話せなきゃ、ナンチャッテ日本人ジャズだ。
別に超大物クラスのミュージシャンをもち出さなくても、その辺の無名でサイコーなフィーリングのジャズを聴かせる本場のミュージシャンなんてYouTubeにいくらでも転がっている。

音楽はその土地の言語から生まれる。
ジャズには英語の、クラシックにはドイツ語、フランス語、イタリア語諸々のニュアンスがある。そしてそれらの言葉を一応勉強しネイティブとも会話した経験から言わせてもらえば、ある共通点がある。それはthe,とかder, il, le 等、冠詞、定冠詞、男性名詞、女性名詞の類が、要は『名詞の前に“なにか”くっ付く事』それ以外はちょっと思い当たらない。例えば音楽がカッチリしているとか、モヤモヤしてるとかは、それぞれの言語のあまりにも抽象的な特徴であって言い出せばきりがない。

『じゃあ、いちいち全ての言語を喋れるようにならなきゃいけないのか!!』と言われそうだが、喋れるようになっても無駄ではないが、ネイティブのようには無理。音楽にはその国の言語、ジェスチャー等、その国の文化が全て表れている。その国の文化は言語が作るというのは広く知られている事で、その国で生まれ育たないと同じものにはならない。諦めた方がいい。ちょっと喋れるくらいで音楽が理解できるほどあまくはない。

ではどうすればいいのか?

ひとつだけ方法がある。

それは『裏拍(弱拍)から常にのべつまくなし感じる事』

(注:さしずめ、この裏拍(弱拍)が名詞の前の“なにか”にあたり、表拍(強拍)が名詞にあたると考えると腑に落ちる)

そしてハーモニーに精通し、常に分析的、科学的にアプローチする事を忘れずに尚且つ“直感的に”音楽を感じる事。

先日亡くなったポリーニの躍動感溢れたフレージング、ドライブ感、ハーモニー感はそういった要素が高次元で昇華したものなのである。

コンクール通ったくらいで騒いでいないで、クラシック、ジャズ問わず、日本の演奏家、教育者、教育機関はよくよく考えた方がいい。このままだと70年後も日本人の演奏レベルは変わらない。






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