第31話「ズルい男」
ずっと好きだった中学時代の同級生が結婚すると聞いた。同じバレーボール部で一緒に体育館で練習した彼女の事を7年間思い続けていたら、同じ電車で千葉まで通勤していることが分かった。
お互いの会社が近かったから、毎朝一緒に歩くのが唯一の楽しみだった。彼女はかわいくて人気が高かったから常に男が放っておかない。カツヒロも勇気を出して2回デートに誘った。
1回目は八景島シーパラダイスまでドライブ、丸一日、彼女を独占出来て本当に幸せだった。2度目のデートはB'Zの東京ドームコンサート。彼女がB'Zの大ファンだと知っていたから、頑張ってアリーナ席の前の方を押させた。ムードのあるバラードを歌っている時に、そっと手を繋いでいい雰囲気になったのだけど、残ながら恋は実らなかった。
彼女に好きだという気持ちは充分すぎるほど伝わっていたのだろが、将来を共に歩みたいと思うだけの何かが欠けていたんだと思う。早い話が、まだ男として未熟で彼女を少し強引にでも引っ張って行けるような頼りがいや男らしさが足りないと言う事だ。
カツヒロは農家の長男で跡取り息子だから、子供の頃から結婚したら実家を継ぎたいと思っていた。農家と言っても専業農家ではないから、別の仕事をしながら兼業でお米を作る事は可能だ。それに両親も健在で田植え機やコンバインなど農機具も揃っていたから、千葉で仕事をしていても農業は続けられる。
地元との付き合いも大事にしていたから、20歳になると地域の青年団に入った。来年は消防団にも入って欲しいと先輩からしつこく言われていたから、そっちも入らないとな、と考えていた。
2人いる姉達は昨年、一昨年と連続で結婚した。
そろそろ俺も結婚しないとな。今年の9月で24歳か。
カツヒロは片思いだった彼女の結婚を知り、もの凄く寂しい気持ちになった。そして、仕事を辞めてロンドンに留学をする決心までしていたのに、お見合いパーティーに参加した。そのお見合いパーティーはまじめに結婚相手を探す目的のモノだったが、軽い気持ちで参加を決めた。そして、2歳年上の根本さやかのハートをものにした。
根本さやかは、26歳。今だったら女性の平均結婚年齢より3歳以上若い年だが、25年前はそうではなかった。女性の結婚年齢はクリスマスケーキの販売に例えられ、24日を境にクリスマスケーキの「価値」が失われていくように、女性も24歳を過ぎたらその「価値」が失われ、「売れ残り」になっていくということ。
つまり、クリスマスケーキは24日のクリスマスイブに最も多くの人に食されるが、翌日25日のクリスマスでもまだ大丈夫。けれども、25日の午後8時を過ぎれば「見切り」が始まり、大幅な値引きをしなければ誰も買ってくれない。だから、26歳と言うのは売れ残りと言う事。
1995年10月。一週間遅くなってしまったけど、根本さやかはカツヒロの誕生日を祝ってくれた。幕張プリンスホテルの最上階にある眺めの良いレストランを予約して、シャンパンで乾杯した。
「カツヒロ君、24歳のお誕生日おめでとう。」
「さやかちゃん、ありがとう。わざわざレストランまで予約してくれて」
「いいの。だって、カツヒロ君の誕生日でしょ。1年に1回の特別な日なんだから、ちょっとは贅沢したっていいんじゃないの。」
さやかは、お気に入りの白に花柄のワンピースにクリーム色のカーディガンを羽織っている。胸に身に着けたオープンハートのペンダントはカナダのバンクーバーで、カツヒロが添乗の帰りに買ってプレゼントしたモノだ。
「ねえ、見てご覧。ほら、幕張メッセで誰かのコンサートをやっているみたいだよ。誰のコンサートかな?」
「本当だ、ヘリコプターが飛んでる。上空から撮影しているんだね。」
「すごいね。私も何時かヘリコプターで東京湾の夜景を遊覧飛行してみたいな。カツヒロ君、連れてって。」
今日のさやかはスゴク機嫌が良くて、この日のデートを心から楽しみにしているようだった。
「うーん、悪くないんじゃない。デイズニーランドやレインボーブリッジの上を飛んだら、きっとスゴク綺麗だろうね。だけど、結構な値段がするんじゃないかな?」
カツヒロは本気で遊覧飛行に乗るつもりは全くなかった。
「そりゃーお値段は安くないだろうけど、そういう時間ってプライスレスだと思うんだ。だって、とってもロマンチックでしょ。」
「わかった。ゴメン。お金の事を言うなんて、つまんない男だよな。」カツヒロは素直に謝った。
「お腹空いたから、上手いお寿司でも食べようか?」
二人は天ぷらと茶わん蒸し、それにデザートのシャーベットが付いた上寿司セットをオーダーした。空腹が満たされ、締めのコーヒーを飲んでいる時にさやかが頬杖をつきながら言った。
「ねえ、カツヒロ君、私達、付き合い始めて3か月になるけど、そろそろ両親にも彼氏がいるってきちんと紹介したいんだけど、だめ?」
さやかの目は甘えている。今日、カツヒロから二人の将来に向けて前進するための一言を得るために、ここまで準備して来たんだと、口に出さなくても目がそう伝えて来る。
カツヒロは、一瞬ドキッとした。ヤバイ、このままだと確実に彼女を傷つけてしまう。でも、いたずらに時間を先延ばししたら余計に関係がこじれるかもしれない。今、言うべきかどうか、悩んだ末に思い切って口を開いた。
「さやかちゃん、今日は本当にありがとう。こんなに素敵な時間を一緒に過ごせて幸せだった。でね、大事な話があるから聞いて欲しいんだ。」
「うん、大事な話って?」
「実はね、俺、12月末で会社を辞めるんだ。」
「え、どうして。」
「黙っていてゴメン。1月からイギリスに留学しようと思っているんだ。」
「え~、ほんとに。」さやかの表情からは、驚きと戸惑いが見える。
「前から、伝えようと思っていたのだけど、中々言い出せなくて。身勝手な事は充分分かっているんだけど、1年間俺の事を待っていてくれないかな?」
「え~、ちょっと待ってよ。」
さやかは、しばらく黙り込んで、髪の毛を指で何度もなで、気持ちを落ち着かせている。1分近く沈黙が続いた後に、
「待てないわ。もう、連絡をしてこないで。さようなら。」そう言い残してその場を去ってしまった。
カツヒロはさやかの後を追う事はしなかった。本当に彼女の事を愛して一番に思っていたら、留学もしないし、仕事を辞めるとしても、その前に相談をしていただろう。結局、彼女の気持ちをこれっぽちも分かっていない自分勝手な男。自分がやりたい事しか考えていないエゴの塊が今更とりつくろった所で結果は変わる事はない。
「俺、本当に悪い男だよな。さやかは、まじめに結婚を考えていたのに。」反省の気持ちと、「もっといい男を見つけて幸せになって欲しい」と言う半分身勝手な思いの中、一人で窓の外をしばらく眺めていた。
つづく。
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