第27話「オリエンテーションと期待の新人」
入社式が終わると、50人乗りバス8台で山中湖まで移動した。全国140支店、海外を含めると149支店を誇った旅行業界第4位の東急観光は3,500名程の社員がいた。カツヒロが入社した1993年は会社に最も多くの社員が存在した頃で、年間総売り上げは3,880億円、従業員一人当たり大体1億円の売り上げを誇っていた。
バスは渋谷から首都高を経由し、中央高速へ出た。もう直ぐ、山梨県の大月ジャンクションに差し掛かる。
バスガイドさんが、「皆さん、旅行会社の新入社員さんと言う事なので、ご存知の方もいるかも知れないが、大月は日本三大奇橋(ききょう)の一つがあります。さて、その橋の名前は何という橋でしょう?」と尋ねた。
皆、隣同士向き合ってポカーンとしている。三大奇橋と言う言葉の意味が分からない者も多いようだ。
「では、ヒントです。奇橋と言うのは、その名の通り構造の奇異な橋という意味です。岩国の錦帯橋(山口県)、黒部の愛本橋(富山県)、そして甲斐の××なのですが、分かる方には、いいものをプレゼントします。」今度は引率で一緒にバスに乗っている人事部教育開発課長の武田がマイクを借りて、そう付け加えた。
「はい。」カツヒロは手を上げると、他に誰も解答するものがおらず、「では、あなた。」と指名された。
「猿橋です。」と答えた。
「正解。君、中々やるね。」おーと言う歓声と共に拍手がまい起こり、カツヒロは少しだけ鼻高な気持ちになった。
「君、何処の学校出身?」武田は興味深そうな顔で聞いて来た。
「はい、トラベルジャーナル旅行専門学校出身です。国内観光地理の授業や旅行取扱主任者受験の授業で習っていたので知ってました。」
「あ、そうか。君はもしかしたら旅行取扱主任者資格を持っている一人かな?今年入社した中で7人だけいたけど。」
「はい、昨年合格しました。」
「おー、すげーじゃん。」と車内がざわめいた。
カツヒロは、皆から注目されるのは嫌ではなかったけど、その一言がきっかけで、他の新入社員から一目置かれるようになった。
・・・。
研修施設に着くと体育館に集合させられ、そこで人事部から研修グループが発表された。カツヒロはFグループだった。1グループ15,16人ずつで男女比は男性8、女性7が標準だ。配属先もバラバラでFグループには、青森八戸支店、大阪店天王寺支店、本社経理部、東京駅八重洲支店、新潟支店など色々だった。
研修施設の収容人数の関係で、340名のうち70名は別のホテルに宿泊する事になり、その70名はバスで施設間を送迎される事になったが、カツヒロは運よく研修施設組だった。初日は全体研修だけで、解散となり同じFグループの男子8名と一緒の部屋に荷物を運んだ。
夕食会場に行くと同じトラジャル出身の増田君、遠藤さん、広田さんと合流した。3人とは同じ会社に就職すると言う事で、在学中から面識があった。
「武藤さん、配属は千葉支店なの?」と増田が聞いて来た。
「うん、そうだよ。増田君は?」
「私はららぽーと志木支店。実家から一番近くなので希望通りです。」
「へー、私は第二希望の東急多摩プラザ支店だった。」と広田も会話に加わった。
「遠藤さんは?」とカツヒロが遠藤を名指しで言うと
「私は渋谷駅前支店なんだ。渋谷に出れるのは嬉しいけど、凄く忙しい支店みたいだから大変そう。」
「え~本当に。渋谷だったら、スゴイよ。確か、うちの会社で渋谷、八重洲、虎ノ門の3支店は売上トップ3で、幹部支店と呼ばれているらしいよ。そこで実績を上げた優秀な人は本社の幹部クラスに成れるらしい」カツヒロはバスの中で聞いたウワサ話を披露した。
「それなら良かったじゃん。遠藤さん、出世したら私達にも良くしてね。」と増田がおどけて見せた。
翌日から始まった入社研修はカツヒロにとっては、少し退屈な内容だった。社内用語や業界知識などの座学もあったが、ビジネスマナーに関するものが多く、あいさつの仕方、名刺交換、上座と下座、敬語の正しい使い方を練習させたらた。既に専門学校の授業でも散々やらされていたので、適当に流していた。
だけど、尊敬語、謙譲語、丁寧語なんて、出来て当たり前と思っていたら、案外、きちんと出来ない人が多くて少し驚いた。
先日、バスで一緒だった人事部教育開発課長の武田と言うのは、海外支店にいた事もあり、普通の社員より英語が出来る。3日目と4日目にその武田の英会話研修と言うのがあった。数は少ないものの新入社員も海外添乗に出る事があるから最低限、これくらいは出来るようにと開発されたプログラムのようだ。その内容は空港やホテルのチェックイン、レストランで飲み物のオーダー、現地ガイドとの打ち合わせ等のシチュエーションで、それを研修生同士で会話練習をさせられた。
武田は自分の得意な分野だから、とても楽しそうだった。そして、最後に「これから、英語で実際に電話をかけてもらいます。誰かやって見たい人?」と問いかけた。
しばらく、誰もやりたい人がいないのを確認してカツヒロが手を挙げた。
「おー、君はこの前、バスが一緒だった~、あっ千葉支店でトラベルジャーナル出身の子だよね。」
「はい、武藤です。」
「じゃあ、武藤君に今からハワイのホノルル支店に電話をかけてもらいます。」
「はい、よろしくお願いします。」
カツヒロにしてみれば、英語で電話をかけるぐらい大した事ではない。言われた電話番号に電話をかけて、「日本の新入社員で武藤と言うもので、研修の為電話をかけた」と伝えた。
「武藤君、君、英語も上手なんだね。」
「はい、メルボルンに10か月留学していたので。」
「そうか、だからあんなに落ち着いて電話出来たんだ。君も将来、私みたいに海外支店勤務になるかも知れないね。」
武田は少し事務的な口調でそう言うと、他に誰か挑戦したい者はいるかと聞き、結局、誰も手を挙げなかったから、一番前に座っていた郡山支店配属の男を指名した。その男は英語がとても苦手のようで、しどろもどろでとなり、とても会話が成立しなかった。
そんなこんなで、あっと言う間に7泊8日の新入社員研修が終了した。帰りの渋谷までのバスでは、全員が旅程管理主任者(添乗員をする資格)を取るため、有資格者の先輩が同乗して指導を受ける事になっていた。通常、国内旅行の場合、一度、有資格者と一緒に添乗業務を行えば実務研修とみなされ、旅程管理主任者の資格がもらえる。東急観光は会社がその研修を行う資格を持っていたので、新人研修の際に毎年、実施していた。
カツヒロは既に国家資格の旅行取扱管理主任者の資格を持っていたので、既に有資格者だった。だからこの研修を受ける必要はない。「武藤君は有資格者だから、君が3号車の主任添乗員として他の新入社員の指導を行うように」と代わりに指導者側にカウントされてしまった。
つづく。
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