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【エッセイ】秋エモい

8月も終盤に差し掛かり、まだまだ猛暑が続いてはいるが、暦の上では秋へと近づいている。

この秋という季節に僕は弱い。どうしても胸が締め付けられてしまう。数日前、朝の気温が低く、ベッドから起きて窓を開けると、さらりとした心地よい風が吹き抜け、いわゆる僕はエモいという感覚になった。

どうして秋がエモいのか。気温だけ見ると春と差異はない。ただ個人的な感情にスポットを当てると、大きな差がある。春と秋どっちが好き?と聞かれると僕は即答で”春”と答える。でもそれは恐らく表面的な感情からくる答えであり、好きとか嫌いとかではない、何か怖いもの見たさのような感覚が秋に対してある。「なんで春が好きなん?」には答えられる気がするけど、仮に秋が好きといった場合その理由を答えられる自信が無いし、涼しいから、とか、ご飯がおいしいからとかそんな単純なものではなく、ものすごく抽象的なものになるような気がする。

今回、これを機にどうして秋に対してそのような感情があるのか考えてみた。

そこには一つ大きな理由があることに気づいた。

それは”別れ”だ。

僕にとっては学生時代の思い出はまだまだ色濃く、現在の自分自身に大きく影響している。学生時代の別れと聞くと、卒業式のある3月を思い浮かべる人が多いと思う。しかし、僕には秋が一番別れを感じる季節だった。

高校時代を振り返ると、秋には運動会に体育大会、修学旅行などのイベントが重なっている。実際、高校2年生の時には、その3つが9月から10月中旬の間に詰め込まれており、学生生活史上最も気持ちがフワフワして、幸せな光の中を泳いでいたような感覚になっていたと思う。

ただ、僕の場合はその期間を素直にただ楽しむことができなかった。それらを楽しみにすればするほど、エモくなってしまう。どういうことかというと、

例えば「文化祭楽しみやなぁ」という感情には、「これ終わったらもうみんなとのイベント体育大会と修学旅行しかないやん」

「修学旅行はやく行きたいなぁ」という感情には「これ終わったら、もうみんなとのイベントないやん」

といったように”待ち望む感覚”と”来てほしくない”という感情が入り混じってしまう。多くの人は前者の感覚が大きいのかもしれないが、僕の場合は五分五分もしくは後者が強くなってしまうので別れをより意識してしまう。

そして実際に別れの3月には案外そういう気持ちが吹っ切れていて、4月からの新生活に希望を持っていたりする。

こういった感覚が今でも残っていて、今は学生時代のようなイベントはもうないが、どこか何かを名残惜しむような、何かと別れてしまうような、そんな感覚に陥ってしまい、エモくなるのだ。

「なんか秋エモいねん、胸苦しくなるねん」と言っても、「はぁ?」と思われるかもしれないが、上記の感覚に共感してくれる人はいるように思う。


そんな僕の秋のエモさに拍車をかけてくれる秋エモソングは

藤原さくらの”Dear my dear" です。

このEP全部秋エモ。最初に聞いたとき琴線に触れすぎてびっくりしました。


いつまでたっても季節を身体と心で感じられる人でいたいな。



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