発達障害からの不登校~長女、中学生になる~

理解ある担任に恵まれた小学5~6年生。
M先生のお陰で、卒業することができました。

そして長女は中学へと夢と希望に
満ち溢れていました。
『中学に入ったら、美術部へ入る‼』と
楽しみにしていました。

そして母の私は、入学前に中学へ出向き、長女の
学習障害の事、それに対しての支援をお願いするた為、春休み中に中学の教頭先生と
お話しすることに。

教頭先生に長女が学習障害であること、
WISC-IVの診断結果を見て頂き、
それによってクラスの皆と同じ事が
できない為、小学校でもやってきたように
計算する時は、テスト以外の授業で電卓を
使わせて欲しい。漢字もなかなか書けないので
ひらがなでも良しとしてもらえるか?
お願いしました。

教頭先生の口から出た言葉は
『それはできません』
『〇〇(長女)さんに電卓を使わせてしまうと
他の生徒からクレームが来てしまうので
申し訳ないですが、皆と同じスタイルで
お願いします』ときっぱり断られました。

特別支援学級もあるので、〇〇さんの様子を見て
お試しで、授業を受けることもできます。と教頭先生。
私は特別支援学級があるんですか?
教頭先生は、特別支援学級はありますが、
我が中学は、国、数、英の教科の授業だけ
特別支援学級で受ける事ができ、それ以外の
授業は自教室で受けます。
はぁ、そうなんですか。と私。

中学校から帰宅し、長女に教頭先生から
言われた事を話しました。
私も、もしなら支援学級のお試しを
選んでもいいし...
長女は分かった。とだけ言いました。

中学生になり、美術部にも入り、なんだか
楽しそうな感じにも見え、大丈夫かな。と
思えた矢先、長女から『支援学級へ行きたい』と
言ってきました。
計算障害、書字障害の学習面の他にも
生活面でも長女は、できない事が多く
周りから白い目で見られ、次第と
他人の目を気にするようになりました。

担任に話をし、3教科は支援学級で
授業を受けることになり、長女は支援学級に
いる方がいい。と話してくれました。
支援学級と自教室を行き来しながらも
なんとか夏休みを迎える事ができました。
しかし長女は、色々なことがあり、ずっと
耐えていた事を母は知りませんでした。

夏休みに入り、長女は部活に行ったりと
変わらない様子でした。

夏休み明け、最初の登校日、長女は青ざめた
表情で『学校に行きたくない』『死にたい』と
言ってきたのです。
『死にたい』という言葉が出てきたので
無理矢理行かせると更に悪くなると判断し、
『学校に行かない』選択をしました。

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