腐った錨


1993年か1994年
両親は離婚してぼくは母と妹と埼玉から東京へ引っ越すことになった。埼玉から東京と言っても、川越から板橋なのでさほど遠くない。自分の家は貧乏だ、という認識が小さいながらにあって、タクシーで3人で移動したのが意外だと思った記憶があるが、考えてみたら5歳や6歳でそんなことは考えなさそうなので後付けかもしれない。
のちのち母に聞くところによると父がギャンブルで借金を作ったため母がパートの給料で完済して離婚したらしいのだが、いくらくらい?と聞いたら30万くらいと言っていた。30万って、離婚する理由としては少なくないか、と今でも思っていて、だから30万というのが嘘なのかもとも思うし、借金以外の別の理由があったのかもしれないとも思うのだが、過去を掘り返す気にもならずそれ以上は聞かなかった。
東京のマンションに引っ越すとそこには知らない男の人が居た。丸眼鏡をかけた波平ヘアの男で、少し脂肪がのっかっていることが服を着ていてもわかるような体格で、彼はよく笑ったが、子供のぼくでもわかるくらい嘘っぽい笑顔だった。頑張って、意識して笑っている、という感じで、その笑顔がとても苦手で、彼の幸福の演出は子供のぼくが見てもハリボテのようだった。
有無も言わさず強制的に義父になることになった人を浩だからヒロちゃんと呼ばされて、彼はぼくのことをせいちゃん、妹のことをなみちゃん、母のことを月(つき)ちゃんと呼んで、自分の国を作った。誰も逆らう力が無かった。
が、ヒロちゃん自身は自分の独善性の自覚は無く、その中で子供に好かれようとして、よく物を買ってくれた。彼の収入もそんなに多かったわけでもないみたいで高価な物を買ってくれることは無かったが、離婚する前より、物を買ってもらえるようになった。
ぼくの心は飢えていたのでそれで少し物欲の部分は満足してしまっていたし、物欲以外の飢えに関しては、見過ごしていた。
愛おしくも仲良くも無い禿げたおじさんをヒロちゃんと呼び、新しい場所で、新しい生活が始まった。
最初西高島平のわりと外観が綺麗なマンションに住むことになったが、ハリボテはハリボテらしくすぐに萎縮して、小学校に上がる頃には外観がボロいマンションに越すことになった。
その1年くらいの保育園時代の思い出はかなり希薄だ。なんか、友達(?)と縄跳びを引っ張りあって途中で手を離して相手にぶつけるといういじわるなことをしていた。いやな奴だ。なんでもいいから他人の感情にまじわりたいと思ったのだろうか。

小学校に上がると、リーダーみたいな奴が出てきた。
ぼくは卑屈で自己主張ができなかったので手下みたいになった。
下校時、クラスメイト4人で大きな公園を歩く。
犬の糞が落ちてる。
「アキラ、これ舐めろよ」とリーダーである中川が言う。俯いて、いやだよとアキラは言う。
「じゃあマツコ、舐めろよ」と中川は言う。
ぼくは、普通人にできないことを我慢してやるというのが偉くて強いのだと思っていた。
しゃがんで、四つん這いになって、犬の糞を舐めた。
ゲラゲラと笑い声が聞こえる。「こいつほんとにやりやがった!」と中川が言う。もう1人、マックンというクラスメイトがいたが彼はリーダーではないが人気者なのでそういうことはさせられない。けらけら笑っているだけだ。それでもぼくはマックンを嫌いにはならなかったけど……。
心が潰されたのだろう。その後の記憶がすごく曖昧だ。自分で家族に言ったわけではないと思う。次の日になると担任の女教師に呼び出された。誰もいない空き室で、大きくて分厚い眼鏡をかけた女教師がボロボロと涙を流しながら、「なんでそんなことしたの!」と言う。自分のために泣く人を見るのはこの時が初めてだった。なんて答えたのか覚えていない。何も答えていないかもしれない。中川には親も含め厳重注意をした、と先生は言っていたような気がする。
その日家に帰ったときに母もヒロちゃんも顔を真っ赤にしていて、母はしくしくと泣いていて、ヒロちゃんが「ぶん殴りに行ってやろうかあ!!」と声を荒らげていたのだが、結局そのときわかったのは、彼はそういう言葉を発するだけで何もしない、ということだった。

それより後なのか前なのか覚えていないが、黒服の男たちがベルトコンベアに載せられ、ある地点に到達するとセンサーが反応して機械で脚がちぎられていく過程を、工場の中の2階から見下ろして眺める、という夢を見た。
死んで幽霊になって離婚前のメゾネットマンションで母と妹が幸せそうに生活しているのを眺めるという夢を見た。
眺める以上のことをする気力が無かったんだろうか。

中川の命令に従順に従っていたぼくだったが、その後、ワンカップの瓶の中に蛙を閉じ込めてその中におしっこをして溺れさせるということをさせられてからは、そうやって残酷なことを命令通りにするのはやめた。そういうことは偉くも強くもないという当たり前のことに気付いた。その公園のことをぼくたちは第二公園と呼んでいた。ほんとはそんな名前じゃない。
小学校2年生くらいのときに遠足で行った公園で中川が鳩の群れを走って追い払っているのを見て、無性にそれを否定したい気持ちになり、「やめろよ!」と止めたことがあった。恥ずかしかったし、今でも恥ずかしいが、成長したような気がした。成長することは恥ずかしいことなのだろうか。

3年になりクラスが変わると関わらなくなった。
仲良くなった増田くんとポケモンカードやマジックザギャザリングをやるようになり、仲良くなった石塚達也くんとよくドロケイをした。
中川からのいじめがなくなって、今度は北島から虐められるようになった。
これは今思うとさほど陰湿でもないしはたから見たら大したものではないのだけれど、校舎内で会う度に顔を殴られていたのだった。
この時も、抵抗しないこと、我慢すること、やり返さないことがカッコイイ、強いのだと思っていた。と思っていたが、やっぱりそういうことでもないような気がする。単純にからだが動かなかったのだ。それでぼくは大人しく殴られ続けた。久保くんが先生に言いつけていじめは止まった。

ヒロちゃんはよくぼくたちに、いつか家をつくってやるからな、と言っていた。買うのではなく作るのが夢だったらしかった。出会った頃から職を転々としていたが、最終的にというか、たぶんぼくが2年生くらいのときに大工になった。
北島に殴られていた頃ヒロちゃんがいつもより早く家に帰ってきていつもと表情が違っていたので、どうしたの?と訊いた。
ヒロちゃんは丁寧に語った。
「あのな、大工さんがヒロちゃんともう1人いて、親方がな、これからはどちらか1人でいいっていうことになってな、それでな、もう1人のほうが選ばれちゃったんだ」
とても優しく丁寧に説明してくれたが、ようはクビになったのだった。大変に尊重の乏しい言い分になってしまうが、我が強くて独善的なヒロちゃんがクビになったということは、彼に技術が無かったか、あるいはもう一人の技術が秀でていたのか、それとも技術は関係無いのか、よくわからない。
そしてテーブルに母の料理が来た。母はあまり料理をちゃんと作らない人で、金が無いのに生協に食材を届けてもらって、それがキレているときは一人暮らしの若者みたいなわけのわからない料理を出すことが多かった。
インスタントラーメンに冷凍食品のミックスベジタブルを乗せたものが来た。
ヒロちゃん、キレた。
「なんだこの料理は!!」
ぼくが犬の糞を舐めたときの怒声に関しては、父親として何も気付かず何もできなかったことに対する怒りもあっただろう。しかし明らかにポーズとしてキレていたのだが、この時は初めてみんなの前で本当にキレた。説教はしても怒ることは無いおじさんだったので、その点に関してはみんな認めていたし、その点だけで保っていたところもあったと思う。それが崩壊してしまった。怒鳴ると同時にテーブル横のホワイトボードを叩いていた。
それを見て母が発した言葉が、「暴力ふるうなんて最低……」だった。
ハリボテながらになんとかつなぎ止めていた家庭に修復しようがないヒビが入った瞬間だった。

修復しようがないことに気付かず修復しようとするのが男なんだろうか。最低と言われて1度家を飛び出した筈のヒロちゃんが、就寝後のみんなを起こして、車で出掛けよう、と言った。みんな、反発する気は起きなかったが、母はうんざりした顔をしていた。優しくて嘘っぽいいつもの彼の声だったが、良い予感はしなかった。ヒロちゃんが運転する車に母とぼくと妹が乗って、夜に出発してどこだかわからない山に着いた。山の中に宿がある。4人で宿に入る。
「宿泊いくら?」
ヒロちゃんが受付に聞く。
「朝食付きで8000円になります」
受付が言う。
「一人8000円?高いよぉ、朝食付きで4人で8000円にしてくれよぉ」
「申し訳ございません。朝食無しで4人で2万円でしたら可能ですが」
顔を真っ赤にしてヒロちゃんは宿を後にしたが、ぼくは幼いながらにとても恥ずかしいと思った。
ただの深夜ドライブになった。

ヒロちゃんが家の家賃を払わなくなったので、ぼくたちはヒロちゃんと別れて母子家庭になった。
あの時の母の「最低」という言葉は無神経が過ぎると今でも思うが、しかしそれでよかったのかもしれないとも思う。感謝してることはあるしかわいそうだとも思うが、ぼくは出会ったときからヒロちゃんが嫌いだった。


中学校に入ると、多くの同じ小学校の人間が同じ中学に入ったが、なんだかみんなリセットというか、アップデートされて色んな古い感覚が無かったことのようにされたのだった。
中川はリーダーではなくなって誰のこともコントロールできなくなったし、アキラはエロ仙人としてみんなに認知されて、ぼくは、陸上部に入るとすぐにメダルを獲得して、少しみんなから尊敬されるようになっていた。人気者でよく遊んでくれたマックンは別の中学校へ行った。
都営団地の抽選に当たって、部屋は少し広くなった。
色んなことを一旦忘れることになった。
久しぶりにヒロちゃんから連絡が来て、「うちの掃除してくれたら500円あげるよ」と言われて何度か行ったが、
説教が馬鹿らしくなって数回でそのバイトはやめた。
ぼくは授業中、目の絵ばかりをノートに描くようになった。何度描いても目の絵は上手くならなかった。
夢の中では、見るだけじゃなく動けるようになっていた。
中学男子1500m走で、陸上の連盟が発行する冊子に名前が載るようになった。ストップウォッチを見なくても200メートル50秒を維持してランニングできるようになって、走るのがどんどん嫌いになって、船の上ではゴンが、「その人を知りたければその人が何に対して怒っているかを知れってミトさんが言ってた」って言ってた。

基本的に無駄遣いします。