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マッシャーがないうちのポテトサラダ

言いあう両親を後目に、実家をあとにした。
母のラインIDが乗っ取られたかもしれない、という緊急を電話で知り、作りかけていた朝食をフライパンに残したまま、火を止めて慌てて家を出た。事態はすぐに収拾し、ついでに確定申告計算までやらされかけたが、この夫婦はとにかく目的を逸脱するうえ、意見が一致しない。付き合いきれない。

調子が出ない。
最近の状態を一言で表すなら、これに尽きる。

毎朝3時に目がさめては嘆息する。朝型の人に憧れて生活習慣を見直したのが、この夏のこと。予後は順調だった。出勤前にジョギングができるほど意識は高まらなかったが、目覚ましが鳴る前に起きだして、前向きに一日を始めることができていた。

それが、どうだ。今週になってかは、目覚ましに嫌々起こされてばかり。めっきり寒くなったせいもある。と同時に、夜はなかなか寝付けない、眠りは浅い、3時に覚醒する、翌日のコンディションがあがらない……という負のスパイラルに嵌っている。わけもないのに涙があふれてくる。

おまけに職場で衝突してしまった。その形で自分だけ有休に入ったのがまた手痛かった。一応、ひととおりの落とし所をチームで共有したものの、週明けにどんな顔をしていけばいいのか、分からずにいるのは金曜を休んだ私一人だ。

時期でもないのに腕が痒い。見れば、蚊に食われたようなちいさなポッチが出来ている、が、これが何なのか私は知っている。点滴治療の針跡が多少炎症を起こしている。よくあることだ。

月一で投薬治療をしている。そういう体質だ。この薬が日本で治療に使用されるようになって、まだ10年位しか経っていない。私が発症したのは20代だったが、もし生まれたときに発症していれば、私は今生きていないだろう。私個人は生きていたい。しかし、人類全体として考えれば、これは恐ろしいことだ。自然状態では生きるに適さない遺伝子が(私の病気は遺伝子要因である可能性が高い)、科学の発展の力を得、無数に生きのびている。自然選択が機能していない。いや、それをすり抜ける遺伝子が現れた。

恐れこそすれ、この情勢に抵抗などできるはずもないのだが。

少しまえに降った雪が、道のそこここにあって、運転が慣れない。この地域は雪が少なく、気温が低い。そのせいで、昼間の日差しでいったん溶けた雪が、夜間にふたたび凍って、道路はスケートリンクの様相を呈する。よろよろと運転しながら向かったのは、実家の近くにある、近年オープンしたばかりのカフェだ。いちど寄ったことがあり、雰囲気に魅了された。

が、小さな城下町に位置するカフェの小さな駐車場は、日曜であることもあり、いっぱいだった。

少し歩いても、市営の駐車場へ停めるか。ちょうど運動もしたかったし。

そしてしばらく走り、最近できた駅前の複合施設の駐車場に停車した。この複合施設はスーパーの跡地にできたものだ。広報などでしか知らなかったうえに、オープン後に足を運んだのも初めてだったので、少し覗いてみることにした。

当のスーパーも再度、フロアの一部を占めている。だが大半はどうも高齢者施設になっているらしい。ボランティアや地域活動の拠点は、日曜のことで閉館しており、図書館やホールなどは別棟。今解放されているここの公共空間はロビーだけのようだ。

自動ドアが開いたとたん鮮明なピアノの音色が聞こえた。曇りがちの天気のさなかで、ちょうど日光が差し始めた。新しい建物は安普請だが小綺麗で、しかし閑散としている。椅子には一人のお婆さんが居眠りをしていた。暖房もついて暖かく、居眠りにはもってこいだ、私も隣で寝ようかしら、などと考えながら歩いていくと、ピアノの音の正体がわかった。ピアノの自動演奏だった。

市への寄贈品らしく、なかなかよさそうなピアノだ。ストリートピアノの時間帯もある、と立て札にある。だが、人はその居眠りをするお婆さんひとりしかおらず、もうすぐ自由に弾ける時間になろうというのに、待っている人や、自動演奏を聴いている人はいない。閉じた空間に、眠った人が一人、勝手に鳴るピアノがひとつ。

いくら公共施設を良くしたって、人の文化はそう簡単には育たない。

文化は大事だ、文化は人生を豊かにする。そう声高に言ったって、その文化を担うのは結局個々人だ。ピアノを置いて、さあ弾いて!と言ったところで、技量がなければ弾けない、先生に習えば習得できるが、良い先生につけるかどうかだって、すでに街の文化資産量を測られる。そしてなにより、「ピアノを上手に弾きたい」と思うことができるか。あんたなんて何やったってできやしないよ、と言われて育てば、自分はできると信じることは至難の業だし、自身もまた、他人に対しては「お前には無理だ」教の伝道師になっていく。

ピアノの音色は静かで、温かな日差しは平和だ。そして私は冷たく凍った心を抱えて、寒風の吹きすさぶ坂道を登っていった。

駐車場から公共施設を経て、数百メートルを歩いて、とだいぶ時間が経ったかと思ったが、カフェの駐車場はやはりいっぱいだった。盛況だ。こんな片田舎の地元にお洒落なカフェを作ってくれてありがとう、とも、こんな片田舎に作って大丈夫か、とも思ったが、心配は杞憂だったらしい。

ただ、私は混雑するカフェというのがあまり好きではない。鞄には本も忍ばせてあった。静かな場所で、ゆっくり文字を追うために。

ふと気づくと、道の向かいにもカフェがある。木造の古民家を改装して瀟洒に飾っている目当てのカフェと違って、こちらは、古い堅牢な石造りの建物を改装して、蒼い装甲のような鉄扉を左右に備えている。昔の商家のように間口が広く、間口の周囲にも曇りガラスが広く嵌っている。

こちらにしよう。

なにを隠そう、この建物のことを私は、中学生の頃から気にかけていた。正面は石造りながらシンプルな菱形のレリーフが施され、脇には鎮守の森のような高木に囲われた、本当に小さな庭がついている。庭には、公園や信号の交差点によくあるような少女の銅像なんかが建っていたり、少し先の従業員の通用口のような半地下の出入り口には、タイルの市松模様や、映画館の入り口みたいな、真鍮の斜めの手すりがついていたり、まあとにかく、多感な少女時代の私は、小規模ながら建物の要所要所に心をくすぐられていた。本当に凝った作りにもかかわらず、これが一体なんの建物なのかはまったく不明だった。歴史ある公共施設でもないし、来歴の看板ひとつ立っておらず、入り口も閉じたまま。

店の前を、気のよさそうな男性の店主がほうきでせっせと掃除していた。どうも、オープンの時間に来合わせたようだ。案内を受けて、框をまたぐ。そして私は、衝撃を受けた。

玄関は靴を脱いで入るようスリッパが用意されていたが、この玄関の高さは、今時は見ない、ひざ下までの高所だ。下部分が土間だったことが容易に想像できる。
一歩上がれば、奥行きは思っていた以上に長大だった。カフェとして空間を使いきれず、陶器や鞄などのクラフト品を引き受けて展示販売しているらしい。そして奥にもまだ、家具やスピーカーなど収拾がつけられないもの
が、バリケードを張ったさきに並べられ、さらにその奥にも、金属で細工をしたガラス戸のようなものが見えている。

天井を補修したすきまに梁が通っているのが見え、現代風のデザインと古風なデザイン、さまざまな時代感の照明が並ぶ。なにより、奥まった場所に座ってから外の景色を眺める感覚。これがいい。掃除のあとで空気を入れ替えるべく扉は開け放たれていた。ときおり車が、雪の解けた水たまりをぴしゃりぴしゃりと跳ねて通り過ぎる。城下町時代を経てなおそこにある狭い街道が光に満ちみちている光景を、開いた大きな間口と、その周囲のすりガラスの全体を通して手に取るように知ることが出来る。こんな光景を、見たことがある。祖母の家か親戚の家か、記憶は定かでないけれど、ずっと前に離別してそれ以来のような、懐かしい光景……

私は感動した。外観の凝った装飾は、見せかけだけではなかった。中にまで続いていた。私は今、あの、ずっと想いを馳せていた建物の内部にいる。そして、内装の様子を自分の目でありありと見ている。それでありながら、さらにその奥に、まだつかみきれない秘密を覗いているのだ。

ここには、見たことがない光景が広がっている。いや、ちがう。赤いじゅうたん、木製の事務机と書類戸棚、クリムトの複製。一つ一つは記録として見たことがあるのに、自分の人生において本物を間近に見たり触れたりしたことはなく、そしてそれらの総体は、到底、人生で見たことなどついぞない、衝撃的な光景だった。

あるべき姿など、どこにもない。

訊けば、建物は大正時代の問屋であったようだ。大正時代! そう、ここ小諸は、問屋街として栄えた街だった。「すたれてしまった」という大人たちの言の中に、どうして私は見ることができなかったのだろう、「かつては栄えていた」というその事実のリアルさを。

帰り道は、いつもの光景だった。冬枯れの田畑があり、森があり、栄えている店には車が押し寄せ、けれど、道を歩く人など一人だって見かけはしない。おかしな不均衡が、夕暮れの寂しさをも、ちぐはぐな印象へと変えてしまう。人々は、画一的な住宅、あるいは、画一的な商業施設の中で、ひとときの、「現在という夢」をむさぼっている。

皆、画一的に、むさぼっている。

夕暮れの太陽の、最後の暖かみも、雪と寒風をつれてくる薄雲に追い払われて行ってしまった。けれど私の心には、今はもう、あの光景がある。

***

帰り道にジャガイモを買った。体調がおかしくなってから、苦でもなかった自炊が急に嫌になり、コンビニに頼る数日だったので、栄養も偏っている。ジャガイモはいも類、炭水化物に分類され、野菜でありながら近年は野菜の役割がめっきり減らされている。けれど、ジャガイモにだって、ビタミンなどの、緑黄色野菜とはまたちがった栄養素があり、それは体に寄与するものなのだ。そうだ、今日のおかずは、これしかない。ポテトサラダ。

茹であがったところで毎回思いだす。静寂を求めて家を出たこと。私はいまもひとりで暮らしている。周囲の友人たちが結婚し、所帯を持ち、家を建てても、私はひとり。家を出たときも、出てからもついぞ買わなかったマッシャー。丸のまま茹でたジャガイモを、包丁で叩いて、具と混ぜる。具はあるもので。具が変わっても、総体として、いつもの味。このままでいい味。

食べ損ねた朝食の目玉焼きを温めなおし、皿に盛る。その白身は、ちょうど好きな感じの硬さだった。

まあ、これでいいか。これでいい。これがいいのだ。

***

今日のお晩

・箕面ビール「おさるIPA」
大阪の人気クラフトビール、箕面ビールの代表銘柄。IPAはホップの青々とした香りが高く、濃密なクリームのような甘い香りを伴うのが特徴。そして、このおさるIPAはすこぶる味が濃い。美味い。

・マッシャーがない「うちのポテトサラダ」
ジャガイモは「キタアカリ」を使用。鍋に浅めに湯をはり、茹でるというより蒸す感じ。竹串でしっかり火が通ったことを確認、ゆで上がりをざるに移し、ひとつひとつ丁寧に細かく切り、叩いていくと、餅のような粘りがでる。今回具材にしたのは、玉ねぎ、にんじん、白菜の浅漬け、缶詰サラダチキン。日本人の日本人による日本人のための「美味しいビールのつまみ」第一位(自分調べ)。

このひと時を以ってして、生きると言うことを指す

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