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物を持つことに臆するな!

本屋に勤めはじめたら、それ以外のことは些末時としてすべて投げうって、本を売ること、本屋を盛りあげること、お客さんをしあわせにすることだけに集中して活動すればいい、それは(作業としては重労働でも)ミッションとしては明確で、わかりやすく、単純で簡単で、生きやすいことだ、と思っていたが、始めてみると実際は違った。

・やらなければならない事が、たくさんある(仕事以外に)
・やりたい事が、たくさんある(仕事以外に)

そして、持ち物の全てがすっきり整理でききる日は、なかなか遠そうだ、ということである。

本が多い。しかしその多くは、やっぱり一読してみたい。
旅先でもらったマップやレシートをとっておく。もう使わないかもしれない。しかし、やっぱりもう一度行って、寄ることができなかったスポットを巡りたい。金銭感覚は掴んでおきたい。
書類が多い。しかし、生きるのに必要な書類というのは実は多い。
服が多い。しかし寒くなれば、そのありがたみを実感するだろうから、彼らに居場所を与えるべきだ。
手紙が多い。こわくて見られないぞ、と思っているうちに、別のものが積みかさなって、存在も見られない場所へ沈んでゆく。写真も同じ。

そのくせ、今目の前にあるスマホ、景色、図書館、仕事、旅に目が行ってしまうので、彼らはいつもずっと人待ち顔である。あと、食と運動、健康、睡眠、人の動向も強烈ね。

では、どうすればいいのか。

***

第一に、新しい興味を恐れないということである。
新しい興味は、瞬時に私から、お金・時間・上記の保留事項の輝かしき未来を奪いさるかもしれない。いや、確実に奪う。しかし新しい興味ーーぶわっと胸のうちに広がる、大きな熱量ーーは、それ自体が生きる価値である。この地球で、地の底に渦巻くマグマやマントルこそが、地上のすべての生命の繁栄を支えている熱源であるのと同じで、「エネルギーが生じる」ということイコール、もう正義なのだ。

だから、そのエネルギー源を発見したときは、アンチ事項が思い浮かんだとしても、エネルギー源から目をそらしたり、蓋をしてはいけない。だいたいおまえはそんな機能よくできた人間じゃないだろ。そうであれば人生こんなとっちらかってないだろ。できないことを、今ならできそうだ、などと勘違いするな。

第二に、全てがきれいさっぱりクリアになる日は、来ないと心得ておく。
私たちは例え話に弱い。ひとつのリアルな、自分でも体験・目撃したことを例に出されると、他のことも現実にそうなんじゃないかと信じがちだ。しかし例え話には、3種類ある。例え方が的確な場合、真偽不明な場合、不的確な場合、の3つだ。

たとえば「あなたが新しいことに興味をいだくのは、真夏の雑草のようだ」と例えた場合、真夏の雑草はどこにもかしこにも蔓延るのだから、興味がどんどん目移りする人を示す的確な例えだ。

「がんばって続けてみなよ。大谷さんも藤井さんも、最初は初心者だったんだから」は、真偽不明な例だ。たしかに彼らが初心者であった事実は存在する。だが大物になる過程を、アドバイスを受けた対象者もまた同じく実践できるとは限らない。

そして「この枝の折れた木にだって、5年経ったらそこから新芽が出て、こんな大木になったんだから、その詰めた指だって5年経てば新しい指が生えて、あなたの罪も浄化されるだろう」は不的確な例えの好例だ。

何かがきれいさっぱり綺麗になる画を、多くの人は見たことがあるかもしれない。たとえばゴミ屋敷と便利屋のドキュメンタリーとか、災害地の街並み再建とか、保護犬のトリミングとか。
しかし、あなたの持ち物がきれいさっぱり整然とする日は、来ない。それら「きれいさっぱり」系の例とは、決定的なちがいがある。それは、根っこの部分に養分供給源があるかどうか、である。生まれてから今までに生じた興味の破片……作ってみたい、読んでみたい、やってみたい、見てみたい、そして義務の破片……覚えなきゃ、返さなきゃ、整えなきゃ。根に養分のあるものは、どんなに掃討しても消えることはない。そこから新たに芽が出てのびて、しばらく目をかけないあいだに、気づけば一面が草原のように繁茂している。まるで、真夏の雑草のように。

最終的に、私にできることは、物を持つことを必要以上に恐れないということに尽きる。それによって多少、家賃が増えたり、目をかけてあげられない大切な思い出や、とりはぐれた解約金なんかがあったとしても、小さなことにいちいち思い悩まずに、けちけちせずに、前を向いて、堂々と生きることが、私にできる唯一のことなのだ。


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