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【子ども】動物学②人間ってどんな形?

動物学をすることに決めてから調べてみると、神戸って学びの資源がいっぱい。海も山も牧場もあって、動物園や美術館は無料だし、なんて恵まれた環境なんだろう。
子どもたちはもう高学年。1カ月に1回ではあるけれど、これだけ続けてこれば集中と拡散のリズムも定着しているし、いつもの活動と違ってもそれほど不安にならないだろう。そんなわけで、いつもの会場を飛び出して動物園見学の回も設定し、1年間の計画を立てた。
今回の投稿は、動物学の入口。動物園見学を皮切りに、人間の形について話し合ったときのこと。


動物園へGO!

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初回は動物園見学。しかし、あいにくの雨。でも、そんなことは子どもたちには関係がないらしい。
「めんどくさいだけやん」
と言いながら、どの子もかかとが地面から浮いていて、少しの風でも飛んでいけそうなくらい足取りが軽やかだ。

動物をなんとなく見て回るのも良いけれど、私はテーマを2つ設定した。

 ●4本脚で立っている動物を探せ
 ●背骨が水平な動物を探せ

テーマとテーマの間にはいったん集合して、どんな動物がいたかをシェア。

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下見のときに、ここなら集まって話ができそう・・・とチェックしていた場所は、ボーイスカウトっぽい子どもたちや地域の行事みたいな集まりの皆さんに使われている。屋根のある場所はお客さんの声が反響し過ぎて会話にならない。全部で10人もいない私たちは、密やかに建物の片隅で話すことを強いられてしまった。

しかし、さすが動物園。さすが高学年。飼育員さんに積極的に質問して教わってくるし、私が知らない動物の名前もたくさん出てきて、あっという間にノートにカタカナが並ぶ。ちょっと興奮気味に、どんな動物だったのかも説明してくれる。声が聴きとりづらいせいで、あまり盛り上がらなかったのが残念!

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それでも、カンガルーは四足歩行なのか?の話から始まって(子どもたちは、飼育員さんに質問して「前足をつくこともあるから四足歩行と言ってよい」との回答をもらっていた)、
「鳥やペンギンは背骨が垂直なんじゃない?」
という話から、
「でも移動のときは、背中が水平になるよね」
「立っているときも座っているときも移動のときも、いつも背中が垂直な動物なんかいる?いないよね?」
「あれ?もしかして、人間だけ?人間だけか!」
「でも、人間も背骨は曲がってない?」
「あれ?」
「・・・」
と、小さく盛り上がったところで終了を迎えた。

結論を出すことは望んでいない。いろんな姿形の動物がいることに気づいて、楽しく観察できればオッケー!のはず!


え、人間って宇宙やん

次の月は、動物園見学を思い出しつつ、人間ってどんな形をしているだろう?というテーマで話し合った。詳しい内容まではよく覚えていないけれど、
「人間って宇宙だから、こういう感じの絵を描くだろうなとは思ってた」
という言葉だけは、ありありと記憶に残っている。

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頭の形は?
胴体は?
手足は?

実際に友達と触れ合って形を確認して、ミツロウ粘土で作った人間の模型にも触れて、人間の形について話をしていたときのこと。

「ふーん、頭が地球みたい」
「じゃあ、手足が太陽ってことでいいんじゃない?」
「ああ、それいいね」
「体は月だしねー」

子どもたちは、自分の腕を大切そうに撫でながら、なんだか不思議な会話を繰り広げている。私は公立小学校で6年生も担任したし、土曜日の課外活動でもたくさんの高学年と接してきたけれど、こんな光景を見るのは初めてだった。これ、フツーの子どもの会話なんだろうか。

黒板にかかっていた布を外して黒板画を見せると、
「宇宙?ああ、そっか。人間だもんねー」
と、子どもたちはさらりと述べた。そして、びっくりしている私に向かって「こういう絵を描くと思ってた」と続けた。「え、人間って宇宙やん。何を不思議そうにしているの?」と目で訴えてくる・・・

「自分よりも優秀な人を教えることになるのだから」というような文章をどこかで読んだことがあるけれど(シュタイナーの著作だったかな)、本当にその通りなのだろう。今回のことでよくわかった。
私が偉そうに教えることなんて何もないのかもしれない。ただ、ちょっと意識を広げて、子どもたちが世界と繋がるお手伝いをするだけ。宇宙の法則がどんなに壮大で素晴らしいか、彼らは既に知っているのかもしれない。ただ、ちょっと思い出すためのお手伝いをするだけ。

でも、男の子たちはここまで詩的でなくて、球体を球体らしく描くことの方にこだわっていたような記憶もある。シュタイナーの視点からみた男女差について当時は不勉強で、こんなにも反応の違いがあることをもっと尊べばよかったなあと思う。

男女差について、詳しくはこの本→ 


余談だけれど、別の日曜クラス(5年生)で動物学に取り組んだときには、こんな展開にはならず、形を模式的に表すだけにとどまった。教える人が同じであっても、発達段階や男女比、それまでの経験などによって、あらゆる反応があるのだろう。
そういう意味でも、ある程度の人数がいるって大切だと感じる。人数が少なければ1人の比重が大きくなるし、より教師の力量が問われるのだろう。耳の痛い話だけれど。


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えりか先生。神戸シュタイナーハウスでは、子どもクラスを担当。
小学校教員を経て、現在は放課後等デイサービスの指導員として働くかたわら、神戸・京都において日曜クラスの先生としても活躍中。
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