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ChatGPTに「本を読ませる」。人工知能時代の新しい本の「読み方」

ChatGPTに聞いたらなんでも答えてくれるのだが、その情報の正確さはあまり信頼できないし、極めて抽象的でジェネラルな回答しか返ってこない、という印象を持っている方が多いだろう。

だが、最近のChatGPT-4oには「要約機能」がついており、これがかなり使える。例えば、ある本(特に英語で書かれているようなもの)から情報を取りたい時に、全部読むのがめんどくさい、という場合があるし、そもそも何が書いてあるのか、目次を目を通す気にもならない、という場合が多いだろう。

そういう場合は、ChatGPTに読ませて、自分が気になる部分だけ質問すればいい。そうすれば、自分が知りたい疑問だけをその本から抽出することができ、気になることがあれば「その本を読んだ」ChatGPTに対して、質問を投げ続ければいい。

例えば、ユーゴスラビアの歴史に関して、何も学習してない状態のChatGPTに聞くとこういうことになる。

1990年代にセルビアで発生したハイパーインフレーションについて、その背景と経緯を詳しく教えて

質問

1990年代のセルビアで発生したハイパーインフレーションは、ユゴスラビア内戦と政治的混乱が背景にあります。以下はその詳細な背景と経緯です。

背景
ユゴスラビア内戦と政治的混乱:
1990年代初頭、ユゴスラビアは民族間の対立と政治的な不安定によって分裂の危機に直面しました。セルビアはこの動乱の中心にあり、スロボダン・ミロシェビッチが権力を掌握していました。彼の政権は民族主義的な政策を推進し、経済政策も混乱を招きました。
経済政策の失敗:
ユゴスラビア政府は経済制裁を受け、これが経済的な困難を深刻化させました。外貨不足と経済的孤立が進む中で、政府は財政赤字を補填するために大量の通貨を印刷しました。これがハイパーインフレーションの主な原因となりました。
経緯
1991年から1992年の経済崩壊:
ユゴスラビアの崩壊とともに、セルビアは経済的な混乱に直面しました。1991年には、クロアチアやスロベニアが独立を宣言し、セルビアはこれに反発。これにより、セルビアの経済は急速に悪化しました。
通貨の急激な価値下落:
1992年から1993年にかけて、セルビアのディナール(YUD)は急激に価値を失いました。物価は急騰し、日常的な商品が手に入らなくなりました。この時期、インフレーション率は月間で数百万パーセントに達することもありました。
1994年の通貨改革:
1994年に、政府は新しい通貨単位である「新ディナール」(YUN)を導入し、通貨改革を行いました。この改革によって、急激なインフレーションの抑制と経済の安定化を図りましたが、戦争と制裁の影響で経済の完全な回復には時間がかかりました。

結果と影響
社会的影響:
ハイパーインフレーションによって、生活必需品の価格が高騰し、多くの人々が困窮しました。貯金や年金の価値が急激に減少し、社会的な不満が高まりました。
国際的影響:
経済制裁と戦争によって、国際社会からの孤立が深まりました。これが経済の回復をさらに困難にしました。

このように、セルビアのハイパーインフレーションは政治的な混乱と経済政策の失敗が引き金となり、深刻な社会的影響を及ぼしました。

そのまま効いた場合の回答

なんも面白くないし、せいぜいWIkipedia程度だ。
めちゃくちゃアドリブの効く優等生に、読んできていない本についての抜き打ちテストをするとこういう感じの回答になるだろう。

だが、ここで以下のユーゴスラビアの歴史について書かれた本をKindleで購入→DRM解除→テキストファイル化して、ChatGPT-4oにアップロードした上で、「この本を分析した上で、これからの質問にはこの本からの内容だけを抽出して教えて」と指示する。

すると、さっきと同じ質問に対して、こういう答えが返ってくるようになる。

1990年代のセルビアにおけるハイパーインフレーションは、スロボダン・ミロシェヴィッチ政権の下で発生し、経済的、社会的な混乱をもたらしました。このハイパーインフレーションは、ユーゴスラビア連邦の解体と経済制裁、戦争、そして国内の不安定な経済政策が重なった結果として生じました。

背景
ハイパーインフレーションの主な要因には以下のものがありました:
ユーゴスラビア連邦の崩壊と経済制裁:1990年代初頭、ユーゴスラビアは崩壊し、複数の新国家に分裂しました。この過程で、セルビアは国際的な経済制裁を受け、特に西側諸国からの経済的支援が絶たれました。この制裁はセルビア経済に深刻なダメージを与え、国民生活の困窮を招きました​​。
戦争と資金調達の必要性:ミロシェヴィッチ政権はクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争を支援するために巨額の資金を必要としました。この資金調達の一環として、政府は大量の通貨を発行しましたが、これがインフレーションを加速させました​。
国内経済の悪化:ユーゴスラビアの経済は、1980年代からすでに困難な状況にあり、慢性的な高インフレーションに苦しんでいました。1990年代に入ると、インフレーション率がさらに高まり、1993年には年率20,000%に達しました。これは世界でも例を見ないほどのハイパーインフレーションでした​。

経緯
1993年、セルビアでのハイパーインフレーションはピークに達しました。この時期、政府は国内通貨の価値を守るために無制限に紙幣を発行し続けましたが、これが逆効果となり、通貨の価値が急速に下落しました。その結果、物価は1日で数倍に跳ね上がり、給与が支払われる時点ではすでにその価値がほとんどなくなっている状況でした​​。
ハイパーインフレーションが最も過激だった時期には、政府は5000億ディナール札を発行し、その後も何度も価値のない新紙幣を導入しました。人々は現金を手にしても、すぐにそれを使わなければその価値が失われてしまうため、生活必需品を買うために必死に市場に走るという日常が続きました​。

結果と影響
ハイパーインフレーションはセルビア社会に深刻な影響を与えました。中産階級は壊滅し、経済的苦境が続く中で、多くの人々が貧困に陥りました。街中にはゴミ箱を漁る人々が現れ、社会全体が深刻な不安と絶望に包まれました。また、ハイパーインフレーションは、政府が資金不足を補うために行った詐欺的な金融政策(いわゆる「ピラミッドスキーム」)と相まって、国民の信頼を完全に失わせました​​。

この時期の経済的混乱は、セルビア社会の不安定化を招き、最終的にはミロシェヴィッチ政権の崩壊にもつながる要因の一つとなりました。

改善後の回答

ほほう。これはなかなかに面白い。
「君、ちゃんと本を読んできたね!」という反応をしたくなる。

例えば、ユーゴスラビアが経済的に困窮した原因として前者の解答では「民族主義的な政策」「他国からの経済制裁」などといった抽象的な答えしかしていないが、後者の解答では「ミロシェヴィッチ政権はクロアチアやボスニア・ヘルツェゴビナでの戦争を支援するために巨額の資金を必要とした」→「この資金調達の一環として、政府は大量の通貨を発行した」という具体的な背景が読み取れる。

また、「政府が資金不足を補うために行った詐欺的な金融政策(いわゆる「ピラミッドスキーム」)」という論点も、前者の解答には含まれていないものである。

ここで、ユーゴスラビア博士になったChatGPTに、さらにこのピラミッドスキームについて詳しく聞いてみると、以下のような答えが返ってくる。

セルビア政府による詐欺的な金融政策:「ピラミッドスキーム」の詳細

1990年代のセルビアでは、スロボダン・ミロシェヴィッチ政権が資金不足を補うために、国民を対象とした詐欺的な金融政策、いわゆる「ピラミッドスキーム」を実行しました。これは、戦争の資金調達と制裁による経済的困難から逃れるための手段として、国家レベルで行われたもので、国家による計画的な国民からの資金略奪とされています。

詐欺的な銀行の設立
1992年から1993年にかけて、政府は「Jugoskandik」と「Dafiment」という二つの準国家的な銀行を設立しました。これらの銀行は、預金者に対して異常に高い金利(最大160%)を約束し、急速に富を得られると宣伝されました。国営メディアは、これらの銀行がビジネスで成功し、外国のパートナーと提携していると報じましたが、実際にはこれらは全くの虚偽でした​。

これらの銀行は、多くの国民を引き込みました。預金者は、1か月で裕福になったという成功者の事例を次々に紹介され、さらに多くの人々が預金するようになりました。しかし、このすべては政府が主導したピラミッドスキームであり、国家によって設計された詐欺であったのです。最終的に、銀行が破綻すると、オーナーたちは逮捕されましたが、すでに多くの人々が財産を失った後のことでした​。

国家主導の略奪
これらの銀行の流動性は、セルビア国立銀行が日々大量に紙幣を印刷して供給することで維持されていました。この紙幣は、人々から外貨を奪うために使われました。銀行が破綻した後、政府はハイパーインフレーションを意図的に引き起こし、残り少ない外貨さえも国民から奪い取りました。この操作は、外貨が国民の手元にほとんど残っていないと見込まれた時点で行われました​。

このように、政府が自国民を犠牲にして行った資金集めは、世界でも稀に見る「国家による略奪行為」であり、国民経済と社会に深刻な影響を与えました。結果として、中産階級は崩壊し、経済的に疲弊した社会が生まれました​。

結論
1990年代のセルビアにおけるピラミッドスキームは、政府が主導した詐欺的な金融政策の典型例であり、国民を利用して国家の財政を支えるための非常に悪質な手段でした。この事件は、セルビア経済に深刻な打撃を与え、多くの家庭が貧困に陥る結果を招きました。このような政策のもたらす影響は、現在でも語り継がれるべき重大な教訓として残っています。

改善後の回答2

上記の解答を分析してみると、後者の解答には「なぜ」に当たる部分がしっかり含まれている、と見てとることができる。

通常、本を読むときは私たちは「なぜ?」を常に問いながら読むわけで、それが読書から得られる知恵でもある。ChatGPTはデフォルトではこの「なぜ」の部分を教えてくれないから全然面白くないのだが、本を読んだ直後であれば、しっかりその本に書かれた「なぜ」に当たる部分を的確に抽出して教えてくれるようだ。

他にも、こんな質問をしてみよう。

チトーについて何か面白いエピソードはある?

質問

1. パラシュートでの脱出

チトーが第二次世界大戦中にナチス・ドイツの占領下から逃れた際の逸話です。1944年、ナチス軍がチトーの本拠地を包囲しましたが、チトーと彼のスタッフはパラシュートで脱出し、無事に避難しました。この大胆な脱出作戦は、彼の大胆さと機転を象徴しています。

2. 国際的な中立政策

チトーは冷戦時代の非同盟運動の指導者として知られ、ソビエト連邦と西側諸国のどちらにも属さない中立的な立場を取ったことで注目されました。彼の指導の下、ユーゴスラビアは国際的な中立を維持し、多くの中立国家の模範となりました。チトーのこの外交的なバランス感覚は、彼の政策がいかに巧妙であったかを示しています。

3. チトーの“ナショナル・パーク”

チトーは自然とレクリエーションを重視し、ユーゴスラビアに多くの国立公園を設立しました。その中でも、彼が特に愛したのはクロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園でした。彼はその美しい景観を保護し、多くの人々にその美しさを楽しませました。チトー自身もこの地域でリラックスする時間を持ち、自然とのつながりを大切にしていました。

4. チトーと映画の関係

チトーは映画に対しても興味を持っており、彼の指導の下でユーゴスラビアの映画産業は活性化しました。特に、彼は映画『バルカンの戦士』の制作を支援しました。この映画は彼のリーダーシップとユーゴスラビアの多民族性を象徴するもので、多くの人々に影響を与えました。

5. チトーの暗殺未遂事件

1950年代初頭、チトーは何度か暗殺未遂事件に直面しました。その中でも最も有名なのは、1957年にセルビアのある過激派グループによる暗殺計画です。チトーは警戒心を持ち続け、これらの危機をうまく回避しました。これにより、彼のリーダーシップと対策能力が際立ちました。

学習前の解答

やたらと長ったらしいが、大して面白くない。
学習ずみのChatGPTに聞いてみよう。

ヨシップ・ブロズ・チトー(Josip Broz Tito)は、ユーゴスラビアの指導者として知られる人物ですが、彼には数多くの興味深いエピソードがあります。その中から特に面白いものを一つ紹介します。

チトーとスターリンの対立:暗殺未遂事件

チトーとソビエト連邦の指導者ヨシフ・スターリンとの関係は、当初は友好的でしたが、次第に緊張関係に変わっていきました。ユーゴスラビアがソビエト連邦の影響下に入ることを拒否し、独自路線を歩んだため、スターリンは激怒しました。その結果、スターリンはチトーを暗殺しようと何度も試みましたが、すべて失敗に終わりました。

この暗殺未遂事件に関連して、チトーがスターリンに送ったとされる有名な手紙があります。チトーは手紙の中で次のように書きました。

「お前の殺し屋をこれ以上送るのはやめろ。もしもう一人送ってきたら、私が自分のを送る。そして二度と送る必要がないだろう。」

この手紙は、チトーがどれほどスターリンに対して毅然とした態度を取っていたかを象徴するエピソードとして語り継がれています。実際、チトーはこの対立を乗り越え、ユーゴスラビアをソ連の影響から独立させることに成功しました。この事件は、チトーがどれほどの決意と強さを持っていたかを示すと同時に、彼の機知と大胆さをも感じさせる興味深いエピソードです。

学習後の回答

セリフ付きのエピソードを答えてくれると、なかなかにインパクトがある。しかも、チトーの毅然とした態度をよく表しており、学習前のChatGPTがあげた6個の事例よりも、この1個の事例が遥かによくチトーの人格を表しているといえるだろう。

ネットサーフィンしかしないChatGPTと、一冊の本をしっかりと読み通したChatGPT。どちらが信用できるかは明らかだ。

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