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いいお母さんゲームからの脱出day1

「お母さん」という生き方からのシフト

娘が高校3年生になった。ていうか、あと少しで高校卒業となる。ほぼほぼ、子育てという言葉が似つかわしくない時期になってきてしまったな。つまり、私ももうそろそろ「お母さん」という生き方から、シフトをしていく時期になってしまったらしい。

「保護者」という言葉があるけれど、「未成年者などを保護する義務のある人」という意味もあるそうな。我が家の娘は、まだ未成年だから、成人になるまでは「保護者」ということなのかな。

2022年の4月から、民法改正で18歳で成人になるので、19歳になるわが娘も、民法が施行されると同時に18歳の方々とひとからげに成人だ。すると、私の「保護者」人生は、あと2か月もないことになる・・・。

「保護者からの卒業」ということ。

そんな事実を意識しつつある今、ふと
「ああ、これまでずーーっと”いいお母さん”になるゲームをしてきたなぁ。」
ということに気づいてしまった。

娘が高校卒業直前の今になるまで、ゲームに取り込まれていたことにはまるで気がつかなくて、
「子どもを優秀に育てることは親のミッションである。」
と信じて疑わなかった。

けど、冷静になって考えてみると
「なぜ、そんな躍起になって”子どもを優秀に!”って驀進してたんだろ?」って疑問が湧いてきたんです。

子どもの学歴が高いとか、いい会社に就職するとか、いわゆる「自慢できるキャリア」を子どもが持つことが、どうしてそんなに大事なことなのか?と。

けど、気づいてしまった。子どもの学歴が高いとか、いい会社に就職することは、賞味期限はあるものの(東大や京大は賞味期限が長そうだけど)、確実に「親としての肯定感」を上げてくれるものなのかもしれないと。

「子どもの学歴やキャリアが、母としての自己肯定感を間違いなく上げてくれる。」
これは、真実である、と思うのだ。母としての自分をまるっと肯定するというよりも、子育ての成果によって自分を肯定できるというそんな感じ。
成果を出して、そしてようやく「いいお母さん」であると思えてホッとできる。

娘が超難関中学に合格して、6年間「超難関中学・高校に通う子どもを育てた母」というキラキラしたワッペンをつけることができた私、まもなくそのワッペンを外すときが来ている。
それは、実のところ、ビックリするくらいに心もとない気持ちであったりしている。


子育て肯定感


「子育て肯定感」
そんな言葉が合うのかもしれない。それは、母としての自分に自信が持てない母心をくすぐられる甘美な感情であり、恐れずに言えば、もしかしたら、ある意味で、狂気、でもあり得る。

「2月の勝者」という人気漫画の1巻に「中学受験は、父親の経済力と、母親の狂気」という言葉がある。

中学受験で勝者となった子どもの親は、子どもの受験成功という輝かしい成果と同時に子育て肯定感を得ることができる。
「自分の子育ては間違っていない。」
たとえ気休めであったとしても、そんな確認ができるイベントなのかもしれない。だからこそ、中学受験は魅力的で、多くの教育熱心な家庭が目指すものなのであると思う。

私もまったく同じで
「自分の子育ては間違っていない。」
を証明したくて、中学受験というイベントに夢中になったひとりだし、大学受験においても呆れたことに全く変わっていなかった。

けど、娘の大学受験が終わる直前になってようやく気づけた。
「子どもを優秀に育てることは親のミッションである。」という指令に基づいて進んでいく”いいお母さんゲーム”の終盤局面に立っていることに。

「ああ、これまでずーーっと”いいお母さんゲーム”をしてきたなぁ。」
ということに。