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夏の夕立に打たれ、亡者の声を聴く(AZKi 5th LIVE R.I.P AZHOOD ライブレポート)

四月は残酷極まる月だ
リラの花を死んだ土から生み出し
追憶に慾情をかきまぜたり
鈍重な草根をふるい起すのだ。
冬は人を温かくかくまってくれた。
地面を雪で忘却の中に被い
ひからびた球根で短い生命を養い。
スタルンベルガ・ゼー湖の向うから
夏が夕立をつれて急に襲って来た。
(T・S・エリオット著、西脇順三郎訳『荒地』 第一章『死人の埋葬』より)

 突然だが、ソーシャルゲーム『アズールレーン』で昨冬11月~12月に開催されたホロライブとのコラボイベント『真実と幻想の二重奏』をご存知だろうか。

公式の告知 / ファンサイトwikiによるまとめ記事

 元々アズールレーンのプレイヤーだった筆者は、このコラボイベントで初めてAZKiの歌声を聞くことになった。そしてそれは今に至るまで続く呪いの始まりであった。
 詳細は省くが、このイベント中では、セイレーン(アズールレーンの劇中における敵組織)によって生み出された偽物のホロライブメンバーたちが敵ボスとして登場する。ステージ道中やボス戦のBGMとして、『I can’t control myself』『いのち』『Fake.Fake.Fake』の3曲が用いられている。そしてこれらのAZKi曲は、まるで初めから当シナリオのために書かれた歌であるかのように(注1)偽物として生み出された存在の悲哀、ボタン一つで消えてしまう命の儚さ、感覚も願望も未来を求める希望さえもフェイクでしかないという無情、を克明に謳い上げているのだ。
 それを聴いてから、筆者の中で、AZKiの歌声は偽物のホロライブメンバーの存在と分かちがたく結びついてしまった。

 以来、年が明けて冬が終わり春が過ぎて夏の雨が降るようになっても、AZKiの歌の中に死者の面影を追ってしまっている。
 『ちいさな心が決めたこと』を聴けば、自身の運命を敢えて受け入れ、本物のホロメンバーに倒されて彼らの成長の糧となる道を選んだ偽物のときのそらを想い。
 『虹を駆け抜けて』を聴けば、結局最後まで己の声を届けることができなかった偽物の紫咲シオンを想い。
 『世界は巡り、やがて君のものになる』を聴けば、自由を求めて足掻くあまりに、誤って仲間を殺めてしまった偽物の白上フブキを想い。
 『I can’t control myself』『いのち』『Fake.Fake.Fake』の3曲に至っては言わずもがなだ。

 万事が万事こんな調子で、AZKiの歌をただAZKiの歌として虚心坦懐に聴くことができずにいる。こんな行為は正しくない、AZKi本人に失礼だし他の開拓者にも迷惑だ、と思いながらも止められずにいる。

 けれども今回、「AZKi 5th LIVE R.I.P AZHOOD」の中で、亡者の声が渦巻く中から再び立ち上がってステージに現れたAZKiを見て。
 私も、過去の方を向いて亡者の声を聴いていてもいいのかなと、そう思えるようになった。止まらないホロライブが遥か遠くへ去っていくのを見送りながら、私はもうしばらくここであの偽物たちの墓守をしていようと思う。

 R.I.P せめて安らかに眠れ。

河畔にあるテントはもう取りこわされた。
秋の葉っぱがからみついて、濡れた土手の下へ沈む。風は
音もなく、鳶色の野原をよこぎる。
あの妖女たちは去ってしまった。
美しのテムズよ、静かに流れよ
わが歌の盡くるまで。
もう河の上には浮いていない
あの空瓶もサンドウィチの紙も
絹のハンカチフもボール箱もシガレットの吸殻も、また夏の夜をしのぶほかの證據品も。
あの乙女たちは去ってしまった。
またその男友達の市内の重役の御曹司の
のらくらものゝ連中も去ってしまった。
宛名も置かずに。
われレーマンの水邊に當り涙を流しぬ……
美しのテムズよ、静かに流れよ
われ聲高くも長々しくも語らざれば。
そうはいうものゝ、僕のうしろで
寒い風につれて骸骨がすれ合う音が
して、くすくす笑う聲が耳から耳へ傳わった。
(T・S・エリオット著、西脇順三郎訳『荒地』 第三章『火の説教』より)

注1:もちろん実際にはそうではない

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