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人はなぜうんちをするのか

人はなぜうんちをするのか。

今日は人類と切っても切れないこの命題について考えてみたい。

断っておくが、これは科学的な話では決してない。生きるためにモノを食べ、消化されなかったものが云々といった議論がしたいわけではない。あくまでうんちというイベントがどうして必要なのかといった話だ。

また補足しておくと、私は「うんち」と書くが、別に「うんこ」でも良い。
一説では肉や魚などのタンパク質が消化吸収を経て排泄されたものを「うんち」、野菜や穀物のみが消化吸収を経て排泄されたものを「うんこ」と区別するらしい。
しかし今回は、皆がほぼ毎日するであろう排泄の結果うまれるものについて考えたいわけで、つまり「うんち」でも「うんこ」でも「うんにょ」でも「うんご」でもなんでも良いのだ。

では、本題に戻ろう。人はなぜうんちをするのか。

結論から述べると、「人生が美しすぎるから」だ。
もっといえば、人生は美しすぎるのだから、汚いなにかでバランスを取らなければいけない、ということだ。

よく考えてみてほしい。
朝起きて、顔を洗って、1日が始まる。おいしい食事で腹を満たし、美しい景色に感動し、人と話し、笑う。時には涙し、怒る。そんなことを経て、目をつぶる。
こんな素晴らしい生活の中に、うんちはあまりにも汚すぎる。

どう考えたって汚い。汚さが抜きんでている。世界陸上ベルリンで100mを9.58で走った時のボルトぐらい、圧倒的に抜きんでている。
自らのうんちをなんらかの理由で確認したことがある人もいるだろう。思い出してみてほしい。きっと、数分前まで体内にあったとはまるで考えられないほど汚ないだろう。

確かに、他にも汚いものは身の回りにたくさん溢れている。カビ、ほこり、抜けた髪の毛、大衆居酒屋の床、二次会から来る奴、二軍女子とイケメンが付き合っている噂を聞いた時のモテない一軍女子の反応、歯の裏。しかし、うんちが頭一つ、いやケツ一つ飛び抜けて汚い。

そして、さらに重要なのは、万人に共通するということだ。うんちをしない人間はいない。言い換えれば、人間はみなうんちをする。

人類は進化の過程で多くの不要なものが省かれてきた。体毛、尻尾、必要以上の筋肉や視力。

しかし、うんちは省かれなかった。

うんちは必要なのだ。

ならば、考えられることはやはり一つ。うんちの汚さは何かのバランスをとっている。その反対にあるものが、人生の美しさなのだ。人生が美しすぎる、綺麗すぎる。あまりに魅力的すぎるがゆえに、うんちという汚いものでバランスをとる。中和させる。天秤の傾きを少しでも正す。

人は生まれてから死ぬまで、ずっとうんちをし続ける。
それは人生のスタートからゴールまでがずっと美しいことを示している。

辛い時も、苦しい時も、うんちをする。
それはその瞬間ですら美しいことを示している。

誰にもいえない悩みを一人で抱えこみ、胸が張り裂けそうになったり、胃がキリリと痛んだりする。深い闇の底にいて、到底這い上がれそうもないと思うこともあるかもしれない。
そんな時は思い出してほしい。それは、うんちよりきっと美しい。少なくとも、うんちほど汚く、醜く、臭く、最悪なものではないはずだ。もし、あなたが最近うんちをしたのなら、その辛いことは美しいことの一つで、うんちの反対側の天秤の皿の上にあることなのだ。そうやってバランスを保っているのだ。

だから安心してほしい。うんちが出ているうちは、あなたの人生はきっと美しい。
辛いことがあったら、うんちと一緒に流してしまえばいい。そうしてまた一からバランスをとっていくのもいい。

ロシアの革命家レフ・トロツキーは死に際に「人生は美しい」を言い放ったそうだ。
きっと彼は途中まで言い終えて事切れたに違いない。「うんちがこんなにも汚いのだから」と。

つまり何が言いたかったかというと、便秘の人は病院へ行った方が良い。








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