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元警視庁組織犯罪対策部管理官の記憶

ゴールデンウィーク明けの最初の週末、午前0時近くに日本最大の歓楽街である新宿歌舞伎町を訪れると、そこにはすっかり「夜の帳」が降りていました。午前0時近くといえば多くの人が帰宅している時間ですから、少し可笑しな表現に聞こえるかもしれませんが、新宿歌舞伎町に「夜の帳」が降りるということが、いま社会を覆っている事態の異常さをなにより物語っているようでした。

従来、新宿歌舞伎町といえば、小説や歌で形容される通りの眠らない街です。けばけばしいほどの格好をしたキャバクラ嬢やホストたちと戯れる酔客と、それに猛禽類のような眼光を注ぐ客引きたちが入れ乱れ、メインストリートとも言える区役所通りが一番賑わうのが午前0時から3時頃にかけてです。

しかし、その日の区役所通りは、日本全国のどの街にもあるような、人気のない静かな普通の夜の街に変貌していました。街の隅々まで昼間のように照らしていたネオンは弱々しくなり、タクシーでいつも渋滞していた区役所通りと靖国通りがぶつかるT字路の信号を渡る人の姿もありません。目を凝らすと、薄明かりが灯る雑居ビルの入口で、携帯電話に向かって言葉にもならない言葉を吐き出す酔っ払いや、缶チューハイ片手にふらつきながら歩く人の姿がいくつかあるものの、それはいつもの混沌が生み出す恍惚な酔いとは程遠い、コロナ禍の混乱の中で行き場を失い、どこかに救いを求めて彷徨っている姿のように見えました。

これが新宿歌舞伎町かーー。こんな感情をこの街に持ったのは、約34年前に警察官として新宿に足を踏み入れて以来初めてのことです。

私は、1977年に警視庁に入庁してから2018年に定年退職するまで、一貫して組織犯罪対策の刑事でした。よくマル暴デカなどと言われるやつですが、入庁から退官までずっとマル暴を担当する警察官は実のところ多くはありません。しかし、幸か不幸か、私の警察官人生はマル暴一筋でした。それは、1970年代後半に首都を管轄する警視庁本部の機動捜査隊の巡査刑事として新宿歌舞伎町に足を踏み入れて以来、40数年に渡りこの街と付き合ってきた人生とも言えます。

機動捜査隊の巡査刑事を皮切りに、2014年からは新宿署の組織犯罪対策課長として、そして最後は警視庁本部の組織犯罪対策部組織犯罪対策第四課の管理官として、新宿歌舞伎町で起こる様々な組織犯罪に対峙してきました。もちろん警視庁本部の刑事の時は東京都内下の組織犯罪が対象ですし、渋谷署で組織犯罪対策課の課長代理を務めたり、他の道府県の警察と連携しての全国捜査を行うこともありましたので、新宿歌舞伎町だけが仕事場ではありませんでしたが、やはりマル暴デカとして一番深く付き合い、そして印象深い事件や人物たちと出会ったのはこの街でした。

1970年代の今思い出すととんでもない程に無秩序な時代。ヤクザもサラリーマンも浮かれた1980年代から1990年代のバブル期。そして景気後退と共に裏社会の勢力図が変わり、中国人マフィアやアフリカ系マフィアが跋扈し、凶悪事件や抗争が頻発した2000年代。暴対法の強化や暴排法の施行により、ヤクザが表立って活動できなくなり、変わりに半グレと呼ばれる不良集団が組織犯罪の表舞台で目立ち始めた2010年代。

登場するプレーヤーは時代と共に変わってゆきましたが、新宿歌舞伎町が常に組織犯罪の中心地であり、そこで起こる事件が人間の欲望の縮図であることは今も変わっていません。確かに組織犯罪もどんどんインターネット化され、街そのものが現場になることは減りつつありますが、そういった犯罪収益を手にした輩たちが吸い寄せられる場所が新宿歌舞伎町であることもまた変わりありません。

通常、新宿署の組織犯罪対策課長の任期というのは1年半です。他の署では2年から3年が一般的ですが、新宿署が短いのはそれだけ激務であることに理由があります。日夜問わず事件・事故が起こりますので、体力的に3年も持たないのです。新宿署に寄せられる110番は3分に1件の頻度で、その多くが歌舞伎町近辺で起こるもの。よくテレビ番組で取り上げられる新宿歌舞伎町の交番には、警部補以下12名の警察官が勤務しており、これは都内で一番多い体制です。しかし、終電から始発までの間の時間帯は、1分間に3件の喧嘩の通報が入ることもあり、12名いてもすぐに人手が足りなくなるくらいです。交番勤務においても、新宿歌舞伎町は全国で一番過酷なところと言えるでしょう。

余談ですが、新宿署の組織犯罪対策課の課内で何か不祥事が起きると、課長の任期は半年程度延びることがあります。一般的な感覚からすると不祥事があれば責任をとって即飛ばされると思いがちですが、新宿署の場合は厳しい現場に留まらせることが逆に罰的な意味合いがあるからだと言われています。当時の現場経験からすると、半年の延長というのはなかなかの悪夢です。

さて、このnoteでは、そんな私の40数年の警察人生において、対峙したり、見聞きしたりしてきた様々な事件・事故・事案の中から、より多くの人がビジネスや日常生活におけるリスクコントロールと危機管理に応用できるような話を綴っていきたいと思っています。最初の連載タイトルは「アウトサイド/インサイド」を考えています。どんな物事にも外側からしか見えないものと、内側しか見えないものがあり、そのどちら側に立つ場合においても、反対側を想像力を持って窺うことが本質に迫る第一歩だとの思いからです。

こういう形でnoteを始めたきっかけは、警察時代の同僚や同じ志を持つ仲間と一緒に、これまでの経験を活かそうと企業向けにリスクコントロールのための支援と調査を提供する会社を立ち上げたからです。会社の名前はSTeam Research & Consulting(エスチーム・リサーチ・アンド・コンサルティング)と言い、最初のオフィスは先述してきた縁の深い新宿歌舞伎町の近くに置きました。そこから始めることが私とチームにとって自然なように感じられたからです。事業概要を簡単に記すと次の通りです。

STeam Research & Consulting は、企業・経営者・要人のリスクコントロールに特化した専門会社です。事業推進、投資、M&A、不動産取引などの活動において、企業・組織が直面するリスクを正確に把握し、迅速に対応するのに必要な高度なインテリジェンスとソリューションを提供します。

STeam Research & Consulting株式会社
https://www.steamrc.jp/

マル暴デカのシニア起業と聞くと、ロートルが作ったヤクザ対策専門会社みたいなイメージを持たれるかもしれませんが、事業目的はあくまで企業のリスクコントロール支援です。幸いにも様々なバックグラウンドを持つ同志が集ったことで、警察時代に培った知見と人的ネットワークに、新しいテクノロジーを掛け合わせたサービスの提供を目指す会社としてスタートすることができました。組織犯罪に関わるものだけではなく、より幅広い観点でのリスクコントロール支援サービスを提供していきます。

つまりは、その新しい会社の宣伝のために作ったnoteというのが正直な話なのですが、加えて、生まれたばかりの小さなベンチャー企業として独自の情報を発信することが、ちゃんとしたビジネスになるかの実験をしたいという考えもあります。なので、こんな使いやすく、伝えやすく、課金の仕組みもあるnoteのような存在は非常にありがたいなと思います。警察時代はSNSに縁はありませんでしたから、まさに隔絶の感です。

そういう意味では、より多くの方に読んでいただき、STeam Research & Consultingに関心を持っていただくためにも、過去の経験談だけではなく、これから生まれるニュースについても、アウトサイダーならではの情報、インサイダーならではの情報というものも集めて、可能な限り伝えていけたらと思っています。

起業した年に見上げた新宿歌舞伎町の夜空が暗かったことは、リスクコントロールという分野に踏み出した私とチームにとって、それもまた縁の深さを感じさせるものでした。少しでも良い情報を届けていきたいと思いますので、STEAM(STeam Research & Consulting)をよろしくお願いいたします。

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