随筆『臨機応変について』(再訂)

所謂 " 臨機応変 " とは何か。

それについて私は、

"自分で作るもの" だと思っている。

他者からばかり教わるものではなく、時には自分で築き上げ、身に付けて行くものだと思う。

特に、この複雑に入り組んだ、幅広く奥が深い現代社会。

次々と新しい事態は幾つも起こっている。

職場とかでなら、注意受けた所だけを直したのでは、次から次へと新しい事態は幾らでも起こってしまう。

優等生や、超優等生は、友達が少ないだとかよく言われるが、それで良いのではないか。

やはり数よりも質だ。

真の優等生は、
本当に自分を理解してくれる者、分かり合える者としか付き合わない。

あまり、下手に多くの者と仲良くなると、こちらをさりげ無く、良いように利用する者、
褒めるフリして何かを売り付けたり、愚痴やストレスの捌け口にしたり、何か勧誘して来る者が居る事は既にこの身で経験済みでもある。

相手の、こちらを褒める時の口調や態度や声のトーンや目を見れば本心ではないとすぐに分かる。

よって、時に厳しい事を言ってくれる者には寧ろ感謝した方が良い。

『臨機応変』は、時には自分で作るものだ。

他人から教わり授けられた臨機応変さは、鍍金と同じ。
いつかは剥がれてしまう。

その者達は、臨機応変な事が出来る者を『少し調子が悪くなれば叩かれる高性能ロボット』としか見ていない場合もある。

そう見られたらそれまでだ。

☆よって、臨機応変や気を利かせる事も良いが、先ずは他者、相手の性格を見抜くスキルを身に付ける事を自分は勧める。

臨機応変が出来るようになった所で、それを奪った上に潰そうとする敵、妬んでおとしめようとする敵は必ず現れると思わなくてはならない。

自分は、大人になってからもずっと暫くは臨機応変は苦手で、気を利かせるのが苦手だった。以前の職場のある同僚からも言われた事があったが、致し方が無かった。

学生の頃、アルバイトとか社会勉強をあまりしていなかった、それ以前に家の手伝いも数えるぐらいしかした事がなかったのだから、無理も無い。

だが、臨機応変は知識や経験、後は独自の想像や洞察、思慮によって身に付けるものだ。

そう、仕事場とかで、「もっと気を利かせられるようになりなよ。」とか「臨機応変に出来るようにしよう。」とか、注意を受けてから気を利かせられるようになっても、臨機応変に出来るようになっても、

また飲み屋へ行った時とかに
「あの時、私が注意したお蔭でしょ。(笑)」

等と、飲み屋で言われるようなパターンにもなりかねない。

そうであるなら、要するに、「結局はそれも言われた事しかしていない」と言う事になる。

そうなるともう馬鹿馬鹿しい、そう気付けたら、そこでまた臨機応変が一つ身に付く。

その時は、またやりたい事を自分で見付けて、更にマシな仕事、高尚な仕事に転職すると言う手もある。

そのような揚げ足ばかり取るような者が居る所からは、撤退、回避すると言う臨機応変さもまた良いだろう。

そして飲み屋通い自体も控えて、
図書館やジムやスポーツクラブ等に通う習慣を付ければ良い。

または自宅で読書なり筋トレなり好きな事をすれば良い。

揚げ足を取る者は、何処までも揚げ足を取る。
揚げ足ばかり取るような暇人や、下劣且つ、俗な者とは距離を置けば良い。

しかし私なら今でこそ、その揚げ足を取ってくれた者には、臨機応変さを身に付けるヒントを与えてくれたと、感謝が出来る。よって、本当は下劣等ではないのかも知れない。

臨機応変とはやはり、他人から貰うものではなく、自分で作り、見出だすものだと私は考える。

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