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凝り固まった育児には視差(パララックス)が必要。読書とかどう?

赤ちゃんはかわいい。でもお世話は、なかなか大変です。とことん関わる分、気付かずに、どんどん視野が狭くなることもあります。

狭くなるのは良くない。他が見えにくくなくなるので、いろんな「事故」も起きやすくなりますから。

そうならないためには、気晴らしというか、その場所からたまに「抜けること」が必要だと思います。たとえば美容室に行くと、まずその空間自体が非日常で癒されます。

「こんないい匂い、最近嗅いだことなかったなあ」(→ミルクとうんちのニオイばっかりだった⁉︎)

「ゆっくり腰を落ち着かせて音楽聴いたの久しぶりだなあ」(→子ども向けばかりにかたよってた。まあ子ども向けもいい曲なんですけどね)

と感じます。

でもこれ、癒しという意味だけでなく、意識的に視点をずらすことで、今向き合っているものを正しく認識し、新鮮に見ていけるようになると思うんですよね(うんうん)。

人間の目は2つあります。なぜ1個じゃないか。1個じゃ、ものを立体的に捉えて見れません。2つあってそれぞれ離れているから、つまり「視差」(パララックス)があるから立体的に見れます。

誰だって良い親になりたいですよね。ワルい親にはなりたくない。でも、テレビとかで見ますよね、子育てに熱心になり過ぎて、かえって子どもに害を及ぼしちゃってる人というか、場合が。何かが偏ってバランスを崩していると思うんです。

だから、良き親としてありたいなら、逆説的に親という視点から外れてものを見る習慣もあったほうが、奥行きをもって立体的に(豊かに?バランスよく?)育児に参加できると思うんです。自戒を込めた意味でも。

私のオススメは読書です。子育てとか直接関連がなさそうな本こそ手に取ってみることです。簡単に、いつも見ている世界からトリップできます。

きょうの朝、歴史の父なんて言われるヘロドトスさんの『歴史』という本を手に取りました。今までちゃんと読んだことはありません。早起きして1時間ほど読みました。ヘロドトスさんとか親しげに言いましたが、この本、約2400年ほど前に書かれたものです(笑)。トリップし過ぎます。

すると、朝ごはんを用意していても、いつもと同じなんですが何か違う感じがする。不思議です。映画館で007とかスパイものを見た後のトイレで無意味に警戒してる自分がいる、みたいな感じです。違うか(笑)。

さらにいえば特に古典をオススメします。長い年月にさらされても耐えた本たちですから普遍的な内容で学びが多い。一見、育児に関係ないようだけど、関係してくるからビックリです。

きょう読んで心に残ったところを記します。

長い国外生活を余儀なくされ、それがむしろかれらの歴史の「探究」にプラスになっている点は注目されてよい。
※訳者の解説部分
「人間死ぬまでは、幸運な人とは呼んでも幸福な人と申すのは差し控えねばなりません」
「平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにおりましょうか。平和のときには子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ」

ともに『世界の名著5』から。引用箇所、何か内容重い。。

とにかく、よい一日を〜!

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