夢を叶えてくれた人に感謝を込めて
私の父がガンで他界したのは私が10歳の時だった。
10歳までの記憶を遡ろうと思ってもあまりにも曖昧でぼんやりとしか思い出すことが出来ない。
当時はまだ今みたいに土曜日が休みではなかったから父が家にいるのは日曜日だけだった。
その貴重な日曜日すらも父は趣味だった囲碁をしに出かけてて母がよく文句言ってたっけ。
朝から囲碁に出かけて昼に一度帰宅し私たちを連れて近所のお好み焼き屋さんでご飯を食べ再び私たちを家に送って囲碁に出かけていく。
そんな日曜日が何度もあったことだけは今でも覚えている。
父が入院することになり母は父の付き添いと父のいない家庭を守ることに必死だった。
今の私には想像もつかないけれど本当に大変だったんだと思う。
父の仕事の関係で実家から遠く離れ誰にも頼ることが出来ず仕事をしながら子供たちを育て夫の回復を祈る毎日がどれほど過酷なものだったか。
父は周囲の願いも虚しく発病から2年も持たずに亡くなった。
私は「両親揃った家庭で育てられる」ことなく大人になった。
私には親友がいる。
今でも私は彼女のことを親友だと思っている。
彼女が私のことを親友だと思っているかどうかは分からないけれどそんなの全く問題じゃないくらい私はずっと彼女のことを大切に思っている。
彼女の家は私が恋い焦がれた「両親揃った家庭」だった。
私が遊びに行くと皆私のことを「金色」と名前で呼び優しくしてくれた。
お母さんは夕ご飯の時間になると当たり前のように私の分も用意してくれた。
阪神ファンのお父さんはよく野球の話を熱く語っていた。
大学生のお姉ちゃんは私たちが遅くまでキャーキャー騒いでいると「金色早く帰りなさい。そしてまた明日遊びにおいで」と優しく諭してくれた。
当時親友には彼氏がいて親友の家族全員が彼氏のことを大切にしているのも羨ましかった。
こんな家庭で育つことが出来たらどれほど幸せだろう。
こんな家庭で育つことが出来たらきっと素直ないい子になれる。
私が親友と同級生だった頃も学校を辞めて世間から後ろ指を指されていた頃も変わらず親友の家族は私のことを大切にしてくれた。
いつしか親友の家こそが私の「両親揃った家庭」のモデルになった。
そして私はその夢だった「両親揃った家庭」を持つことを叶え娘は今年20歳になる。
今でもたまに親友の実家に行くことがある。
お姉ちゃんは結婚して遠く離れて暮らしているけれど今でも変わらず親友のご両親は私のことを親しみを込めて「金色」と呼ぶ。
ありがとう。あなたたちがいてくれたおかげで私は夢を持つことが出来それを叶えることが出来た。
面と向かっては恥ずかしくて言えないけれどこの場を借りて親友の家庭に感謝を込めて。
私の経験や考え方が少しでもお役に立てたなら嬉しいです(◍•ᴗ•◍)