自己完結の成功体験に人は逃げる
少し歩み寄れたなと思ってはその後全然評価してもらえないと落ち込む。
そしてまた今少し歩み寄れたなと思っている。
同じことを繰り返すと学習能力を通じて結果を予測し立ち回りを考えてチャレンジしないことが増えていくというのがここ最近の私だった。
歩み寄れたと感じている今の気持ちを信じて一歩進んでみるかその後もれなく落胆するのを恐れてやめておくか。
コミュニケーションを取るのは大事だが方向性を間違うと期待した結果に繋がらずそれどころか心の内が公になるだけだったりしてロクなことにならない。
そういえば昔はそんなこと考えてもみなかったな。
主張がある時は全力で主張していた。
報われなくても烙印を押されても自身の主張を皆にアピールすることに躊躇なんて一切なかった。
いつの間に私はこんな風に変わっていったのだろう。
完全に白と思っている主張も通らなさそうな雰囲気を感じたらグレーに変色して伝えるか或は黒でもいいやと主張そのものをせずに無理やり納得するか。
そもそも感じている雰囲気が正しいかどうかも分からない。実は自分が思い込んでいるだけで伝えてみたら変わるのかもしれない。
話す相手の選択は大事だ。誰に伝えるかによってその後の方向性が大きく変わっていくこともある。
今までは話す相手が違っただけなのかもしれない。もしかしたら今のこの状況はチャンスなのかもしれない。
自分と同じ状況の人と共に現状を憂いていても事態は何も変わらない。主張する能力には長けているが権力の及ばない人に伝えても結果は同じだ。改善に力を入れてますアピールやあわよくば自身の手柄になどと考えている人に至っては絶対に回避しなければならない。
先日たまたま今まで話したことのない人と少し深い話をする機会があった。解決を求めていたわけではなく取り巻く環境の現状として話しただけだったのだが彼によって事態は思わぬ方向へ進むこととなった。
まさか彼にそんな能力があるなんて気づかなかった。改善を求めて話したわけではなかったし今まで接点がほとんどなく人となりもよく知らなかったのだ。
今までに話したことのある人だと「この話をここですれば多分こんな展開になるだろう」という過去の経験に基づく予測が出来る。その結果同じことを何度も繰り返し落胆するほどメンタル強くないのでどうせ変わらないと諦めて前進せず立ち止まるという回避策を選びがちになっていた。
少人数制のところは別として人数が多ければ多くなるほど「俺はこうだ!」と主張する人はほとんどいない。「いやぁ、こうだとは思うんだけどね」という程度の主張をする人はいるが、ほとんどの人は「そういうことになってるならそういうことにしときましょう」だ。
人の話を聞くとか多様性を認めるとか上手い言い回しはいくつもあるが結局のところ大人数の場で求められるのは表向きだけでも迎合する精神なのだ。
しかし本心からその人が思っているとは限らないし実は思っていないことの方が多いのかもしれない。分かってもらえたのではなく迎合されただけという事実の差は大きい。実際に相手はそう思っているわけではないのだから聞いてはもらえるが事態が思った方向に進まないということになる。
そうか、今までは話す相手を間違っていて今回話してみる価値のある人を見付けたのだ。
いや、ちょっとまてよ、このシチュエーション以前にもあったな。結局やっぱりこの人じゃなかったんだって期待した分余計落胆したっけ。
今回の人はどうだろうか。私は以前と同じ轍を踏むことになるだけなのだろうか。そもそも自身のアピール方法が間違っているのだろうか。もっと別の角度から現状を把握することが必要なのだろうか。
ここまで到達出来ると次に思うのは「そんな考えること?」だ。
考えることを放棄してはいけないとよく聞くが考えるに値しない事柄、もしくは一生懸命考えるほど自身にメリットのない事柄というのは実際存在する。その優劣を誰が決めるかというとほかでもない自分自身だ。
成功するかもしれないけれど失敗するかもしれない。口に出したことを後悔するかもしれない。逆に印象が悪くなるかもしれない。
うん。やっぱりやめておこう。現状にそれほど悲観しているわけでもなければそこまで不満を感じているわけでもないのだから維持でよいではないか。
そして何も行動を起こせないまま「改善してほしいことや現状に対する不平不満なんて一切ありませんよ」という顔をして日々を過ごすこととなる。
自身で完結し成功体験を得られることの方が考える価値もやる価値も高いというのは誰にでもあてはまることだ。
そして皆完結出来る方向に逃げて力を合わせて解決した方がいい場には誰もいなくなる。
私の経験や考え方が少しでもお役に立てたなら嬉しいです(◍•ᴗ•◍)