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ベランダに春の花

 東京の狭い狭いベランダです。一畳もないのではなかろうか。あまり活用していなかったのですが、在宅の時間がぐっと増えたので、ちょっと真面目に掃除して、狭いなりに居心地良いスペースにしてみました。午後の日当たりは良い方角なので、外の空気が快適な季節なら、夫は昼食後のコーヒーをベランダに出て飲んだりしています。ベランダを日常生活に取り入れることができると、これは植物を置いても良いのではないかという思いが、忘れていたあれが、ふわふわっと心に浮かび上がって自己主張を始めるのです。

 今までも、ときどき思いついたようにハーブの苗を買ったことはあるんです。でもどれひとつとして真っ当に育てられませんでした。どれひとつ。とくにローズマリーは、ひとり暮らしをしていたころから、思い出したように買ってきてはいつの間にか枯らし、性懲りもなくまた買ってきては再び枯らし。放っておいても丈夫に育つとか、ハーブの中でもとくに初心者向けで育てやすいとか、説明を見かけるたびにただ黙るしかなかったものです。
 今回、ハーブに再挑戦するぞと決意するに至った直接的な理由は、ディルでした。近所のスーパーは意外とフレッシュハーブの種類をそろえてくれていたのですが、ある日ディルが姿を消してしまったのでした。季節のせいかと思ったものの復活の兆しはなく、それならうちで育ててみようと。せっかくなので、ディルと一緒にこれまた料理でよく使うタイムと、なにかもうひとつ。もうひとつは何にしよう? そこでなぜか、ローズマリーを選んでしまったのです。性懲りもなく。

 狭い狭いベランダです。ハーブの鉢を置けるのは、エアコン室外機の上のさらに狭いスペースです。日当たりが良かったおかげか、ディルとタイムは順調に根付き、成長を始め、じきに収穫できるようになり、夕食のためにベランダでハーブを摘むという、ちょっと優雅なこともできるようになりました。ところがローズマリーは。
 とりわけ丈夫で育てやすいと書かれていたローズマリーは、ちっとも成長しないどころか、下の方から葉が徐々に黒ずんで、不安げに見守っているうちに、黒ずんだ葉がひとつまたひとつと落ち始めました。これはもしかして、さっそく枯れ始めている……さすがに今までのなかでも最短記録です。世の賢き人びとの助言を得るべくインターネットをさまよい、乾燥気味がよいとのコメントを見つけて水やりを控えてみましたが、いつまでたっても状況は改善しませんでした。根詰まりをするようなサイズとも思えなかったのですが、試しにひとまわり大きめの鉢に植え替えてみました。
 結果的にはこれが良かったのか、葉が黒ずんで落ちるのは止まりました。植え替えのときに見てみたところ、根詰まりを起こしているようには見えなかったのですが、根がなんだか不健康な感じだったので、植え付けのときに何か上手く行ってなかったのかも。とりあえずひと安心。

 でも成長する気配がないのです。もう枯れていくようなこともないのですが、茎は伸びず、葉も増えず。夏が終わる頃だったか、蕾らしきものが見え始めました。枝の先にぷつぷつと蕾がいくつもかたまって付いています。でも花がひらく様子はないのです。枯れないけど、育ちもしない。さすがにもう少し成長してくれないと、料理のために収穫するわけにはいかない。やっぱりだめだったのかな……でもまだ生きているみたいだし、そのまま見守り続けて、冬になりました。
 今年の冬は寒かったですね。東京でも雪の日が数回ありました。それでも2月も下旬に近づくと寒さがゆるみ始め、なんとなく春めいた空気も感じられるようになってきます。そんなとき、ローズマリーの蕾のひとつが頑なな緑から紫へと色がかわり、ふっくらとふくらんだかと思うと、ある日、ついに花がひらいたのでした。
 よく見てみると、いつの間にか枝という枝に新しい葉が見え始めていて、ローズマリーはちゃんと生きていたのですね。3月に入ると一気に気温の上がった日がつづき、花はつぎつぎとひらいて行きました。茎も成長を始めたようです。ベランダにハーブを置くようになって初めての春。季節の訪れを毎日の生活の中に感じる日々です。なによりも、今度こそ枯らさずにすんだ……ひとまず花が咲くところまではたどり着いたという、大きな安堵感とともに春本番を迎えようとしています。

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