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海との結婚

婚姻届を手に、長年付き合った彼女に声をかける。
その情景だけを見れば、ロマンチックに思えるだろう。
…ただ、違ってるのは。
僕が市役所に勤めてるっていうこと。
彼女は"幼馴染として"長年付き合いがあるということ。
そして、その彼女がとんだ大変人だということである。

「…お前。ふざけるなよ。全部俺が後始末してんだぞ」
「ふざけてないよ。本気だもん」

7月7日の今朝、市役所にとどけられた婚姻届を彼女に突き出す。
書いてあるのは彼女の名前と、海。
しかも妻とするものが海で、
夫とするものに彼女の名前が書いてあるというトンチンカンな代物である。

「わたしは…海と結婚するの。」

そう言って彼女は気持ち良さそうに海に浮いていた。

「有栖がいる。」
彼女をひと目見てそう思った。
当時夢中になって読んでいた探偵小説の、孤高のヒロインである有栖。
主人公の助手の、栗色の髪をした美少女。
彼女は小学2年生の時、この田舎の海街に転校して来た。
彼女はどこにも属せず、いつも海にいた。
その割に色は白く、何故か日焼けしない。
まるで何かの力で守られてるかのようだった。

うちは海沿いに雑貨屋をやっている。
自宅を兼ねているので、1階が雑貨屋で2階と3階が自宅になっている。
両親2人とも海が大好きで、晴れて波のある日はお店を放ってサーフィンをしに行く。
だから僕は小学生の頃から店番はお手の物だった。

ある日、大興奮の様子で両親が帰ってきた。
「みて!海でこんな可愛い子拾ってきちゃった!」
そう言って彼女を連れてきたのだった。
その日は一緒に夕食を食べて、それが習慣になり、気づけば同じ時間をたくさん過ごすようになった。

僕は、昔からしっかりしていた方だ。
近所からも学校からもそう思われていた…というのも、両親がフラフラと自由人なものだから、僕がしっかりしないと家庭が成り立たなかったのだ。
両親が彼女を猫可愛がりしていたのも、彼女自身の自由なオーラを感じ取ったのだろう、と思う。
自分たちと同じオーラ。

そういうことで、僕は昔から両親+1人の世話を見ることが当然になってしまった。

「あのな、日本では人間で異性の人じゃないと結婚できないんだよ。」

「ふーん」

まるで今日知ったかのように言う。
お昼休みを返上して、海辺に探しにきたというのに。

彼女は海から上がってこちらを見た。
栗色の髪を振って水気を落とした。
滴る雫が、海に波紋を作る。

「海はわたしを愛してくれているもん」

その言葉にドキッとする。
僕は彼女から「海」と呼ばれているからだ。
僕の名前は七海。
彼女はなぜか僕を「うみ」と呼ぶ。

「とにかく、これはお前に返すぞ」

婚姻届を押し付けるように手渡すと、彼女はなぜか怪しい笑みを浮かべていた。
その途端、僕の胸ポケットからボールペンを抜き取り、婚姻届に文字を書き始めた。

「おい、何してるんだよ」

「じゃあ、こっちの海でもいいよ?」

そう言って彼女はニカっと笑った。

婚姻届には一文字書き加えられ、
"七海"
と書かれていた。

星奈(セナ)と七海(ナナミ)。
並んだ名前を見てふと、
星と海の組み合わせって綺麗だな…なんて思った。

「僕が妻かよ」
「それでもいいの。」

星奈はまっすぐ目を見て言った。

「そばにいてくれるなら、何でもいいの。
どっちの海も、わたしはスキだから」

全身が熱くなる。
これって本気の告白か?
「僕は…」

言葉を発する前に、星奈が指で僕の唇に触れた。
やわらかい感触。

「本気にした?変なの」

それは子どものような笑い顔で。
一瞬のあたたかい感触が離れて。
彼女は海に戻っていった。

「星奈!」

僕は彼女の後ろ姿に声をかけることが精一杯で。
波の音を聴きながら、
この熱い衝動をどう言葉にするか考えていた。

#小説 #短編小説 #海

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