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おでんシーズン1終了に添えて

「おでんをやろうと思う」
秋の始まりごろに母から言われ、私は
「は?」
と聞き返した。

うちは定番メニューとして「精進料理」を近年頑張って定着させていた。
肉や魚など動物性タンパク質を用いない、野菜の献立を考えやってきた。
精進料理をメインに据えて3年以上が経過していた。

そこにきての「おでんをやる」である。

「は?」
と聞き返したくなる気持ち、わかっていただけるであろうか。
おでんといえば出汁に卵、肉、魚のすり身でできた練り物、などぷかぷか煮込んでるのが一般的だ。もちろん大根やこんにゃく、芋など野菜メニューもスタメンではある。
精進料理に特化したおでんをするということ?と尋ねると

「それって物足りないでしょ」
「おでんはやっぱり牛すじと練り物と卵でしょ」
「具材から旨味が出ないとおでん美味しくないでしょ」

と返された。
真面目に正当なおでんをやる、ということだった。

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なぜおでんなのか、と尋ねると

「冬に食べて暖かいもの」かつ「羽釜で炊いたご飯に合うもの」
そして

「かまどで煮炊きできるもの」を考えた結果だという。
なるほどかまど…

毎回ご飯を炊いている窯場で、他のメニューも仕込みたいと以前から母が試行錯誤していた。羽釜でドーンと炊ける、煮る、というメリットを生かせる料理。
かまどに火をくべて、ゆっくりじっくり煮ることで旨味が増す料理。

おでん、なるほど…。
とりあえず秋冬の間は毎週土曜をおでんの日、として固定し
下準備は母一人が担うことになった。母はやる気満々だった。

「おでん屋台のバァさんに、俺はなる」
そうしてありったけの素材かき集め始めた。

地元のお豆腐屋さんから厚揚げとガンモを
近くの地域にある練り物を
地元のお肉屋さんから牛すじを
地元の農家さんから野菜とこんにゃくを

なるべく足元にあるものを具にしたい、という母は
土曜日のために休み明けの木曜から駆けずり回っていた。

何本も大根を抱えて帰ってきたり、練り物が手に入る市場には朝早く出かけていった。かまどのメンテナンス、薪の調達に至るまで、時には知り合いの山をトラックで走り回った。
(走り回ったというか振り落とされないように乗っていた。)
牛すじの煮込みは日中のランチ対応が終わり、家庭の仕事が落ち着いた後
夜な夜なやっていた。

おでん、そんなにやりたかったのかと正直驚いた。
「おでんやちえぼん」って名前にするから。

と言い放たれて私の頭によぎったのは「天才バカボン」だった。

(面白がって無駄にアニメを作ったり)

(時にクリスマスバージョンを作った。)

『おでんやチエボン』はコロナ禍の影響を鑑みた苦肉の策でもあった。
冬に持ち帰ってもらえる、おうちの定番メニューを目指そうとしたのだ。

2020年の春からコロナ禍の影響を受け、うんうん私たちは唸っていた。
テイクアウトを始めてみたものの、自分たちがやりたいこととニーズがマッチしてるのか、いまいち掴めずにいた。加えてテイクアウトを増やす中で「資材を使うことでのゴミ問題」に直面し、後ろめたさを抱えていた。

「お鍋や容器を持ってきてもらえたら、持って帰れる」というスタイルが作り出せるのではないか。
そうして捻り出したのが「おでん」という道だった。

始めてからすぐはなかなかテイクアウトについてニーズは薄かった。
しばらくしておでんが定着し始めると近所の人に、「ひと鍋ください」と注文してもらうことも増え始めた。知り合いの皆さんが容器を持ってきてくれて、お昼も食べて持ち帰りを注文してくれることもあった。嬉しかった。

一方で、「独りよがり(自分の店よがり)になっている部分」にも気づかされた。
自分たちの大事にしたい部分を譲ることは無いし、主張し続けることは大切だ。
とはいえ、それを受け取ってくれる人がいなければ成り立たないこともたくさんある。パツパツな状態より、少し「緩め」たり「空白部分」を作ることも、時として必要なのかもしれない。

それは例えばおでんのように、「なんでもあり」で「なんでも煮込む」具のように。

2020年の中で「自分たちが大事にしたいこと」と「無理をしていたこと」
そして「気がついていたけど向き合えなかったこと」がどんどん浮き彫りになった。そんな気がした。

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母については「本当にすごいな」とも思うのである。
アラサーになった私は「やりたい」と思ったこと、「自分もできるかも」と思ったことに対して「うーん、でも、まあ自分じゃなくてもいいか」という諦めが増えていた。それは世の中の雰囲気に疲れていて、エネルギー不足だったこともあるが

「何かに挑戦したり、ゼロから始めるって億劫だ」

という思考が

「世の中なんとなく掴めてきて、自分のキャパはこのくらいと弁えてる」

ということに紐付けされて、正当化していたのだと思う。
自分の器じゃ無い、自分じゃ責任とれない、言い出しても着地できないかもしれない、と色々な逃げ道を作るのが上手くなってしまったなと反省することがある。

そこにきて母の「おでん屋やってみたい」という発言と行動には感化されるものがあった。
トライアンドエラーって幾つになってもやっていんだ、と感心した。

(もちろんトライアンドエラーアンドエラーアンドフリーズ、なこともある。)

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「やってみなきゃわからない」という人に対して、
「やったって無駄だよ」とか「一人が何しても変わらないよ」という言葉は投げやすい。現状を変えない方がいい、というバイアスがかかっているから。

私がコロナ禍で感じたのは、自分のなかの

「日常」や「常識」や「当たり前のこと」は
何かの拍子にあっという間に崩れ去るということだった。

現状、という区切りは本来存在していない。
常に自分も世の中も変化し続けている。本当は毎日、みんなそれぞれ「トライ」しているのだ、と思う。

私は母の「おでん」をきっかけに「何かをやってみる」ことで生まれる
「面倒」にも「大変さ」にも、「喜び」にも近くで触れることができた。
自分自身で始める時はきっとそばで見ている時以上の「大変さ」や「面倒」
「喜び」があるのだろう。

毎日「弁える」ことなく、やれることはやる、そんな姿勢を持っていきたい。
自分自身で「面倒」も「喜び」も受け取りたいから。

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おでん屋は3月20日で一旦終了しますが、2021年秋からまた再開する予定です。
またよろしくお願いいたします。








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