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あなたはなぜその曲を選んで聴いているの?

ここ数年、ふと思い出すモヤモヤがまた湧き出てきた。それは、人はなにを持ってその音楽を選び、聴くのか?である。(音楽の知識が深いわけではないため専門的な話ではない)

このモヤモヤを感じ始めたのが友人との何気なく過ごす時間だ。

ドライブしている時に流れてきた曲に対して、「このタイプの曲も聴くんだ〜」みたいな投げかけに、友人は「日本の流行りのトップソングを流してるだけで普段からは聴かない」と答えた。

はたまた、会話で出てきたアーティストのMVを見ていた友人に対して、「この曲、若い人の間で流行ってるし人気よね〜だから自分も聴いてる!」って答える友人がいたり。

自分は気づいた。「流行っているから」が曲選びの一番大きい要素になることがどうしても納得できないのだ。もちろんその人たちがその曲を聴くことに否定することはおかしいし、しようとも思わないが自分にはどうしても飲み込めない。流行りの曲なんて街中のBGMやSNSでも楽しめるのに、なぜわざわざプライベートの限りある、自分で選ぶとことができる時間を流行に合わせようとするのか。

そもそも、流行りの火種は誰かしらの戦略や思惑によって作られてる(気がする)。

流行りだからで流され、自分の意思がないのは、プロモーションに踊らされているだけじゃないのかなぁ。※その時友人に深堀りしたわけではないから、意思がないと断言はできない。

じゃあ自分は?

なんで自分は飲み込めないのかを考えてみた。

歌詞との親和性や共感性

が2022年9月時点での自分の中で音楽を選ぶ一番の要素であると感じる。

そのルーツは2016年にある気がする。
2016年4月。まだ慣れない高校から帰り、晩ご飯を食べながらMステを見ていた時にとあるアイドルグループのパフォーマンスを観た。

衝撃だった。

センターに立つ少女が物凄い剣幕とダンスで、歌詞を届けてきた。そしてその歌詞が当時の自分にクリティカルヒットした…

これまで自分の周り以外の出来事(メディアなど)で感動したことがなかった。繰り返すがあまりにも衝撃的だった。

すぐさま新しく買ってもらったスマホに音楽をダウンロードした。そして聞き倒した。(そこから欅坂46、平手友梨奈にドドドドハマりすることになるのだがその経験はまたnoteにでも。)

この2016年の衝撃が、自分の音楽の選び方を決めたように感じる。

サイレントマジョリティーがMステで披露されたのは流行りや誰かのプロモーションに違いない。でもこの溢れ出る熱は、流行りだからといった社会に合わせる気持ちではなく自分自身の素直な感動から現れたものだ。

この熱を感じずに、流行りに乗ってまた次の流行りに乗ってを繰り返すのはもったいないと少し思う。

まぁそんなサーフィンもその人が楽しい!って思っているならそれでいいし、わざわざ口出しすることでもない。

だからここに自分のモヤモヤを残しておく。

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