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【占星術で読む】『こころの葛藤はすべて私の味方だ-「本当の自分』を見つけて癒すフロイトの教え』【BOOK CAFEそらふね(走り書き)】

たしか、姉々が紹介してた本!

占星術と関わりが深い心理学といえばユング派なんだろうけど、「無意識」っていう見えない世界を発見したフロイトの説もおもしろい。見えないし、誰も気づいていないのに、自分達の行動を大きく動かしているチカラについて。

一般的なイメージだと、なんでもかんでも「性的欲求」に結びつける極端な説って印象が強いと思うんだけど、ちょっと印象が変わった。まず「性的欲求」ってことばのイメージと、心理学的なことばの指すエネルギーの意味合いがズレてるのかも。

確かに肉体的快楽もそうなんだけど。もっと根元的な、他者を求める生命力のようなものを指してるんじゃないのかな。

生命力タービンをまわす「攻撃性」「性的欲求」

生命力ってのは、タンクの中にたぷんと溜まって「ある」ようなもんじゃない、と私は思うんだ。ガソリンみたいに、補充したり減ったりするもんじゃない。

そうじゃなくて、自分と自分以外の何かのあいだに循環する流れ、運動みたいなものが光や熱を生み出すエネルギーになるんじゃないかって。タービンやコイルがぐるぐる回って電気ができるみたいにね。

レモン電池って、ふたつの違う種類の金属がある液体を介して触れあうことで電気を作るでしょ。ふたつの違う種類ってのが、ミソだと思うんだよね!それは、他者(自分とは別の存在)であるから、意味がある。

電解液は、私たちが生を受けた宇宙っていうフィールドだ。時間と空間をかけあわせた座標P。

往古来今、之れを宙と謂ひ、四方上下、之れを宇と謂ふ

中国の古典『淮南子』より

宇=場、空間の広がり
宙=時、脈動するリズム

この電解液のなかで、「私」は「あなた」に出会い、そこに発生する循環するエネルギーが、いのちを動かすパワー、生命力なんだ。

2種類の金属ってのは、私と誰か(何か)なんだけども、それって抽象的に言えば陰と陽ってこと。分かりやすい記号で言えかえれば、男と女。

男と女の間に働く引き合うチカラってのは「性的欲求」だよね。
その欲求こそがニンゲンの行動の大きなモチベーションだ、っていうのがフロイトの視点。

異性を求めること(性的欲求)は生命力を生み出そうとする本能を指しているって思って読むと、なかなかオモシロイ!!

そんで、私の「生命力仮説」を本にこの本で説明されてる心の仕組み、フロイトの視点を占星術切りしてみると・・・(〃∇〃)

フロイトは「性的欲求」と「攻撃性」こそがニンゲンの行動に影響力を与えるエネルギーなんや、と考えた。これって、火星のこと♂ですな!性的欲求ってのは、異性を求めるエネルギーだから、♂と♀の間に働くチカラだ。

男♂と女♀、火星と金星。

火星だけを見れば追いかけて動く一方的な働きだけど、受ける側の金星あってこその働きだから、両者の間に起こる「引力」としても見れる。火星は金星と繋がることで発動する引き合うチカラの一側面。

そんでもって「攻撃性」については火星のイメージそのものかな。
退ける、押し出す、抵抗するチカラ。

引力と、排斥力・・・反対の働きのようにも見える。でもこの正反対のチカラの間に揺れ動く、ジレンマこそが生命力の姿なんだってことを、過去記事でアメーバの生態を通して考えたことがあったっけ!

引き寄せ合うか、共食いするかってあやういバランスで活きている生命体アメーバ。これって、人間のコミュニケーションのジレンマにとっても似ているんだよ。
ひとつになりたい(統合)、個として生きたい(分離)の反発し合う磁力がゆらゆらと動きながらバランスを保ってる世界。生命はジレンマで出来ている。(笑)

ジレンマ、は日本語で「板挟み」だけど、板挟みだとぎゅっと固定されているから感覚としては違う。もっとダイナミック。常に動いているから、静止しているように見える。常に不安定に変化しているから、安定することができる。

響き合うということ - STAR SHIP☆☆読み航海図

今回読んだフロイト派心理学者チョン先生の本は、タイトルが『こころの葛藤はすべて私の味方だ』でしょ。ジレンマ(葛藤)こそが生命力の姿だ、って視点で言えば、当然「私の味方」、というかそのジレンマがむしろ私を形作るエネルギーそのものだって言える。

上の過去記事でも、攻撃性としての火星と金星の関係性について、「愛と暴力は表裏一体」っていう誤解を招きそうな見出しで書いてたっけ。それは今回話がそれちゃうから、ここで引用しないけども。(私的には結構おもしろいアイディアだから、ぜひリンク先の記事を読んでみてね!)

フロイトの考える「意識」の仕組み

おなじみ氷山の例えで説明される意識と無意識。

Iceberg

水面上に見えている部分が意識、自覚できる心の動き。これは氷山のほんの一部にすぎなくて、水面下には大きな氷の塊=無意識が広がってるんだよ、ってハナシ。

フロイトによると、この意識と無意識の中間には「前意識」という層がある。普段意識されることはないけど、思い出そうとすれば思い出せるレベルの無意識。氷山の浮かぶ海の浅い部分だな。顔を水につければ、なんとか見える範囲。

無意識部分は、顔をちゃぶんと水につけただけじゃダメ。ダイビングして冷たくて真っ暗な海に潜らないと何がどう広がっているのかわからない。

さてフロイトは、人間の原動力(行動を左右するもの)は、この無意識の海に沈められた「受け入れがたく苦痛となるもの」だと考えた。そんでもって、その根本にあるのは「性的欲求」と「攻撃性」なんだ、と。

無意識の世界は非論理的で、快楽をベースに判断する。幼子のように。
一方で意識は現実をベースに、理性でもって合理的判断をしようとする。

占星術で無意識、そして本能的欲求を表す天体は月。
月は「幼少期・子ども」も指す。意識と無意識が太陽と月で表されるように、その思考パターンは大人と子どもの対比に例えられる。理性や知性を司るのは水星だけど、その水星のひとつ前の段階が月だからね。

人は水星の年齢域(7歳〜15歳)を通過して論理性を育んでいくわけだけど、無意識の私は水星期よりも前、月の世界観(〜7歳)のまま留まっているってわけ。

子どもと喋ってたらまさにそんな感じなんだけど、月の論理はつじつまがあわないし、実に非合理的(笑)大人の思考パターンに沿って考えるとでたらめでカオスにすら思える。過去や未来といった一定の時間感覚もない。ここらへんは海王星案件だな。月と海王星は呼応しているから。

夢だったり空想や幻想に無意識が顔を出すのは、やっぱり海王星の水脈が無意識の海に繋がっているからだと思う。

それからフロイトは更に深堀りして、自分の中に3つの自分がいる、と考えた。

欲望の代弁者「イド」、理想やモラル、良心の代弁者「超自我」、それからイドと超自我の仲裁役として妥協点を見いだそうとする「自我」。

イドは月、本能のままに欲求を満たそうとする私。
超自我はジミニー・クリケット!理想とする世界観をもとにあるべき姿、態度を指南する。

Disney Jeu D'atout Ducale- Jiminy

いのちを吹き込まれたピノキオは、本当の人間の子どもになるためにジミニー「超自我」から良心を学ぶ。んでもまぁ、ピュアなピノキオ、「イド」は言いつけを守らずにヤバい状況に陥っちゃったりするんですけどね。

まさにそんな感じで、「超自我」の方には口出しは出来ても行動の決定権はない

超自我をカタカナ語に書き換えればスピリチュアル界隈でおなじみ「ハイヤーセルフ」なんだけども、ハイヤーセルフってのはつまり「自分のうちの高邁な精神部分」のこと。その声がなんであれ、イドの欲求が行動を決める。

じゃあ、自我は?
そこで自我が登場する。イドの欲求と超自我の理想に折り合いをつけるのが自我。自我のチカラが弱ければイドが気ままに走り回ってしまう。

自我はカタカナ語で「エゴ」なんだけど、私たちは普段使う「エゴ」ってことばは、ほとんどイドのほうを指してるんじゃないかな?ほんまもんのエゴは、欲求と理想のバランスをうまくとるチカラなんだ。

感情(無意識)と理性(意識)の力関係の例えで、馬車がでてくるでしょ。

馬車

馬車にのっているのは行く先を指示するハイヤーセルフ、超自我。彼の中には進むべき道、方向性が見えている。
その馬車を動かすのはお馬さん。お馬さんは動物ですからね、動物的本能の象徴でもある。
その馬を理性という手綱で制御する御者が、自我。

フロイトの説が非難ごうごうだったのは、その時代「人間は理性で行動する(べき)」と考えられていたから。馬車を動かしているのは御者じゃなくて馬なんだぞ、と看破したフロイト。

馬力は人間の腕力と比べ物にならんくらい強い。
御者は馬車を動かしてるんじゃなくて、実のところ馬の動きをセーブしたり方向をかえたりするだけ。馬は思うままに走ったり、止まったりする。

「意識は『NO』ということだけしかできない」ってハナシを昔書いた気がするんだけど、どの過去記事だったか掘り出せない。。。

「自由意思って、本当に存在するのだろうか」と物議を醸し出したベンジャミン・リベット博士の実験。私たちは「こうしよう」と意思でもって行動を決定していると思ってるけど、実はそうじゃないかもしれないってことがわかった。

めちゃくちゃざっくり言えば
こうしよう、と考える0.5秒前に既に身体はその行動を起こしているって実験結果が出ちゃったってこと。

脳の神経細胞の活動が意思決定よりも早く発火していたってことなんだけど、脳もからだの一部、臓器のひとつだからね。身体が先んじているってふうにも読める。

身体は無意識の表現者。

だから意識ってのは先陣切ってさあやるぞ!って身体をひっぱってるんじゃなくて、あくまでも御者だってこと。馬が動きたいと思ったときに、動いてヨシとするか、止めようとするか。つまり選択肢はNOしかないってこと。

イド、超自我、自我の三つ巴を占星術の天体に当てはめてみると・・・


結果どういう行動にでるかってのは、火星が月とタッグを組むか太陽と組むかで変わる。

月と火星の関係について発見したハナシ↓

超自我(ハイヤーセルフ)に出会う過程

自分の理想や夢を達成させるべく指南する超自我の指針、価値観は後天的に作っていくものってのがフロイトの見方らしい。それは両親や社会から学ぶ、現実世界を善く生きるためのルール

この点、木星と土星味を感じる。
モラル(善)の木星と、ルールの土星。

超自我は、地球ライフを「こう生きるべし」と設定する価値観。この現実世界、地球ライフは土星という目指すべき終着地点、「枠」があってはじめて自分の「型」が定まる。その型は最初から決まってるんじゃなくて、土星という外部にあるお手本がもとになってる。

外部の枠から自分の型へ、その切り替わりポイントがサターンリターンだと思うんだよね。土星回帰。両親や社会から学んだ型の取り方を見直して、今度は自分基準の型をこしらえる。そうやってオトナになる。

さてフロイトは、超自我を形成するための葛藤プロセスをエディプスコンプレックスとよんだ。お父さんと母の愛情をめぐる息子の葛藤として知られる心理用語。

これもフロイトの「性的欲求」と「攻撃性」が根本にあるという主張をバリバリに含む有名な説なんだけども、具体的なことばのイメージ(いやらしい気持ちとか、ムラムラしちゃう衝動だとか)で聞くから「えーー」ってなるんだわ。
抽象的に捉えてみると、なるほど確かにそういう構造で説明できそうだ!と思えてくる。

エディプスコンプレックスとそれを乗り越えるプロセスは、こう↓

1)異性親の愛情を独り占めにしたい幼少期
2)同性の親をライバル視
3)同性の親からの報復・処罰を恐れる
4)同性の親と自分と重ね合わせる(同一化・同一視)

これを占星術切りすると・・・

1)異性親の愛情を独り占めにしたい幼少期

1)は幼少期、月の時期のこと。地球ライフが始まってまず習得しなければ行けないのは、生き延びるチカラ。安全確保、安心できる状態をキープするために、自分の居場所を確保せねばならぬ。受け入れられること。存在を(生きていることを)認めてもらえること。

そして地球ライフを生きるエネルギーを確保するために、生命力タービンをまわしてレモン電池を発電させる術も学ばないといけない。そのために必要なのは、二種類の金属。私と、私とは別のあなた。

自分とは別種の他者、でいちばん基本的な組み合わせが異性。

フロイトがいう人間の行動の原動力となる「性的欲求」ってやつを、生命力を発電するために他者を求める本能としてみると、単純に「抑圧されたやましい欲望」として読むよりおもしろくない?

私たちにとって最初に出会う(関係性を持つ)異性が、異性親(一般的なハナシね)だから、まずはここから他者との関わり方レッスンが始まる

心理学とかセラピーを学んでいる人は、両親との関係性がいかにその人の人生観・世界観に影響を与えているかってことをようく知ってると思うんだけど。

他者ってのは、自分の外側の存在、「誰か」に限らず外部の世界そのものにも応用されるわけだから。他者とどう関わるか?自分は他者をどう見て、私はどう見られるのか。どう働きかけるべきか。この基本的価値観が、最初の他者、異性親からスタートする。

これって1ハウスと7ハウスだね。
自分という存在の現れ方、自分が世界をどう発見するのか。
自分は他者にどう見られるのか。どう世界と折り合いをつけて関わっていくのか。

7ハウスはコミュニケーションの天秤座のハウス、ルーラーは金星。1ハウスはむき出しの生命力の牡羊座、火星。やっぱり金星と火星だ!金星の快楽と、火星の攻撃性ってキーワードも注目ポイント。

2)同性の親をライバル視

そして生命力タービンをまわすための基本構造にのっとると、他者ってのは不特定多数じゃアカンのですわ。特定のパートナー、天秤の受け皿は両端にひとつづつ。

両親は既にペアになってるからね。異性親一人にたいして、同性の自分と親。どちらかがペアになればどちらかは余る。

私は別にお父さんと結ばれたいなんてこれっぽっちも思わなかった、とか、同性同士の両親を持つ子とか片親の子はどうなんのよ、なんて「具体レベル」のハナシでもないからね。あくまでも、抽象レベルのハナシです。

それにいのちの本能は無意識の世界、論理も理屈もへったくれもないってことをお忘れなく。自覚できない精神層の働きです。

3)同性の親からの報復・処罰を恐れる

これはペアリング対象を奪い合う対象として見てるってことかな。フロイトは確か去勢される恐怖って言ってたっけ?他の哲学者だっけ?

これも具体的に叱られるのが怖いとかそういうレベルじゃなくて、いのちをかけたペア争奪戦として見たときに、自分は相手を蹴落としたい(自分が勝者としてパートナーとペアをくみたい)=相手も同じように自分を蹴落としたいと考えているだろうって理屈。

ペア争奪戦からあぶれるってことは、性的欲求が成就しないってこと。性的欲求を満たすためのものが機能しなくなる=去勢、って表現になったんじゃないかな。

他者との関係性を得られないってのは、居場所を失うということ。
それは地球上で生きていくためには致命的に危険なこと。本能的に、いのちを脅かす存在として同性親は立ちはだかる。このあたり、まさにエディプス神話!

人は潜在的に恐怖を感じながら生きている。


潜在的な(無意識に沈みこんだ)恐怖。いのちの居場所を失う恐怖。恐れ(月)からスタートする地球ライフ。

ああ、そうか。
人はみんなマイナスからのスタートなんだ

不安や恐怖からいのちが始まる。のほほんと安心しきって満ち足りた状態ではない。赤ちゃんってそうだよ。「助けて!(空腹、不快感、恐怖)」を必死に発信して、し続けて、それに対するフィードバックをもとに「安心」とか「心地よさ」を学んでいく

占星術で0歳から始まる最初の天体が月なのは、そういうことだ。

月のキーワードは「安心」と「不安」両方あるけど、不安ありきの安心ってことだ。不安や不快感から地球ライフの最初の実感が始まって、そこから快適さだとか喜びを見いだしていく。

そう思うと、赤ちゃんとの関わりで大切なのはいかに脳や身体の発達を早く成長させるかじゃなく、いかに不快感や不安を取り除いて善のフィードバックを与えてあげるかってことになるな。

この世界は怖くない。
私は安心して生きることが許されている。

心地よさ、生きることを無条件に受け入れられる安心感を学ぶのが月の年齢域ってこと。
自分が生きることに「意味」も「条件」も不要。助けて!しか言えずに(それすら上手く伝えられないんだけど)眠ることも食べることも何もかも下手くそな赤ちゃんが、それでも「産まれてきてくれてありがとう」って迎え入れてもらう経験、これがいのちの土台になる。

※そうは言っても子どものお世話っちゅうのは、まぁ大変。いつもいつも菩薩のように微笑みのフィードバックなんて返してあげられませんよ、普通(笑)でもそれはまた別のハナシ。

4)同性の親と自分と重ね合わせる(同一化・同一視)

そして不安と葛藤を乗り越える最後のプロセスが、これ。
これはあれだな、土星だな。土星の枠組みを自分のものとして設定する。この枠が超自我のモラル感、価値観の基準値になる。

土星は山羊座のルーラー。山羊座は目標を定めてそこに向かって動く性質を描くサイン。土星が示す基準値をもとに、それを(自分の欠けている部分を)満たすために行動を促す。

エディプスコンプレックスはこんな感じで、生きていく上で指針となる善なるもの、夢、理想(=木星)…そして守るべきルールやモラル、目指したい完成形(=土星)を見つけ出すっちゅう役割を果たす。

木星×土星の社会天体の組み合わせが超自我、ハイヤーセルフってことだ。より軌道の大きい視野の自分。

よくハイヤーセルフは本当の自分とかタマシイの真ん中の声、みたいな表現されてるのを見るけども、私はその「本当の自分」とか「自分軸」ってやつは中心には無いって考えてるから…

フロイトのいう超自我(ハイヤーセルフ)の位置づけがすこく面白く感じた。

中心を決めてそこから成長していくってのじゃなくて、層を重ねながら(それこそ太陽系の星々の軌道をなぞるように)自分の範囲を大きくしていって、結果的に内側にできる空間が中心になる、みたいな。

自分の軌道を大きくしていく - STAR SHIP☆星読み航海図

人生を通して学び生長すること=自分の見ている世界の範囲、軌道を大きくしていくこと。その最終地点、目標地点である土星が超自我として自分のうちに重ね合わされる(同一化)ってプロセス。

ちなみに土星の外のアウタープラネットは地球ライフの軌道の外として見る。もっと、何ていうか人力を超えたエネルギー。

土星って課題とか試練、困難ってキーワードで読まれてるけど、単純にヤな部分ってわけじゃない。火星もしかり。・・・いや、でもまだエディプスコンプレックスの葛藤の最中にいる人にとって土星的な存在って苦しいだけに思えるのかも。

自分の居場所を脅かす要素ってわけだし。それを取り込んで導き手として消化・吸収できるかどうか。特に土星回帰のあたりでそれを面と向かって問われるんだろうね。

まだ1章しか読んでないけど、読書メモが積もっていくからここでリリース!!

いくつかの記事に分ければいいのに、ベビーが腕のなかで寝てるうちに右手オンリーでちょこちょこ書き足してるうちに、こんな分量になっちまったい。
相変わらず、こんな長文いまどき誰が読むんだいってなもんで。

きちっとまとめられてないけど、これも『BOOK CAFEそらふね』に放り込んでおく!

つづく・・・かな?!

もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!