【聴きあう会×タロット】のお誘い
トキの展開的にはね『バラバラで雑多なヨロコビの芽、新しい「こころの生態系」へ』向かっているんですけども。ここで言うヨロコビは「ふんわり心地いい」「自分の願望通りにコントロールできる快感」とはちょっと違うようなのです。
「本当の自分の喜び・望み」だとか「等身大の、ありのままの自分」っていわれるやつは、案外痛みと抱き合わせで向き合うもんなのかもしれない。逃げ口上や責任逃れでもなく、過大評価や過小評価でもなく「(今の自分は)こんなもんか」って器の大きさをまっすぐに見ること。
意外に難しいんだな、これが。
とすればなおのこと、安心して「ヨロコビの芽を出す練習」ができる場が欲しいじゃない。「聴きあう会」は、まっすぐに聴く練習。話し手と聴き手が、つながる練習。
自分の声をまっすぐ聴けるように、人の声もまっすぐ聴く。人に自分の声を聴いてもらう。そうやって地味で素朴なラリーを通して、生命力を高めあえたら、ステキやん。
「自分らしさを発揮する」とか「創造的・主体的に生きる」ことってのは、占星術で言う「太陽」の働き。生命力は太陽の働きに結びついている。
太陽はオトナの意識。成熟した意志力。オトナになる、成熟するってどういうことかってのは、自分も社会の生命力を循環させる一要因なんだって気付く(自覚する)こと。
太陽は朝の目覚め!目を開けて焦点を絞る☉☉のだよ。そこから社会に向けてアクションを起こす火星♂に続くわけなんだけど、目をつむったまま(太陽の成熟した意志力を持たぬまま)外に飛び出すことは、ご想像の通り、危険です。
火星の押し出す力は、太陽の意志の現実化、自律のために活かしたい。
自分も社会の生命力を循環させる一要因なんだって気付く(自覚する)こと、について。これは内田樹せんせの『困難な成熟』を読んでハッとしたことなんだけど。
社会がすでに循環の中にある(循環していなければ生命力はそこに無い)わけで、私たちは社会からすでに多くを受け取っているはず。太陽のひとつ手前、金星はまさに「感受性:受けとるヨロコビ」ですもの。
コドモは、自分が受け取っていることに気付いていない。というか、それを「当たり前」だと思っている。
オトナは、受け取ることを当たり前のこととしてじゃなく「自分ごと」として捉える。確かに自分はそれを受け取っている。循環の一人の担い手として。だから今度はそれをパスする側にまわらなくちゃいけない。
その自覚が芽生えるかどうか?がコドモとオトナの視点の違い。
そいで『生命力を高めあう「つながり」を自分の手で創る方法』では受け止める&伝えるキャッチボールの例を挙げてたんだけど、それをさらにシンプルに練習できる場ってのをやってみようと思って。
お楽しみ要素としてタロットを含む( *´艸`)聴きあう練習をしよう!ってプロジェクト。この本に出てた対話の練習方法を参考にしたよ。
本で紹介されてた練習方法はこんな感じ。
(1)話し手は5分間自由に話す
※聴き手はその間、一切口を挟まない
(2)5分経ったら、聴き手はその内容を説明する
(3)聞き手と話し手を交代して5分話し、それを説明してもらう
それをアレンジして・・・
たぶんね、「自分の質問の回答」としてカードのはなしを聞くのと、「ただ内容をまっすぐに聴く」のは、全く違う聴き方になると思うんだ。
だってなにより自分が関心のあるテーマなんだから。自分に結び付けて考えるってことは、そこに自分の経験(過去)とか希望や不安(未来)をベースにした「判断」を付け加えるってこと。それをあえてがんばってただ内容をまっすぐに聴く練習をしたい。
そんなわけで、こんなプロジェクト誰か一緒にトライしてくれない?とこんなふうにブログに書いて公開したのです。
一緒に練習して生命力を高め合おう!って人、参加お待ちしてますぞ!
もりもり書くエネルギー(''◇'')ゞ燃料投入ありがとうございます!!