見出し画像

僕と彼

今年に入って暫くした頃、人づてに去年友人が亡くなったと聞く。
死因は自宅で転倒し頭を打ち、数日後睡眠時に転倒が原因による脳内出血で亡くなったで、あろうという内容

あろうと言うのも、彼は一人暮らしで転倒も一人、亡くなってもそのまま誰にも知られる事も無く発見されたのも、仕事関係の人間が連絡が取れず心配になって警察に相談し発見だったのもあり死後2週間経過していると言う状況の為。

本来なら良くある話だ。
人と人が別れる事など珍しくも無いし、孤独死など今の日本では良くある。
わざわざ思い出してこういう記事にする必要もないのだが、一連の話を知人にした所、何て酷い奴だと差別者扱いを受けたのでそうかと思い出話として記事にしようと思う(性格が悪い)

まず僕と彼との関係性の前に彼に関して書ける範囲で記す。
彼は僕が出会った時には既に障碍者だった。
年齢は僕よりも少し下で、障碍者になったのも10代の頃
「少しやんちゃが過ぎた結果」
バイク事故を起こし、腰から下が麻痺すると言う障害を負う事になる。
だが、自立する能力があったので親元を離れ、在宅で仕事出来るだけの才能がある奴だった。
まぁ、それが今回の不幸を招いたとも言えるのが。
そして孤独死に繋がった一番の要因である彼の性格に関しては、社会的に見れば嫌な奴という言葉に尽きる。

弱者や少数派を大事にしましょうと言う思想というゆりかごで、大事に育てられたら人間はどうなるか?という社会実験の末の見本のような奴だったと思う。
障碍者は社会が大事にして当たり前、優遇して当たり前、寄り添わない、理解しない人間は差別主義者だ!とまぁ所謂

俺は障碍者様

僕も人と過ごすより一人で過ごしたいタイプ故、友達は少ない方だが彼もなかなかのものだったろうね。
そんな彼の数少ない友人が僕。

家に泊まりに行くレベルともなると僕くらいだったと思う。

だが僕自身はそうした障碍者様の振る舞いは通じない。
例えば彼の家で、彼が椅子に座ってリモコンが彼の足元に落ちた時、脚動かないから取ってくれと言われても
「いや、いつものように床に降りて自分で拾ったらいい、腕二本は動かせるし不自由がないんだろ?」
と返すので本来ならば仲良くなる事もない。

僕もそういう障碍者様と関りになるのは好まないがそれでも何故、泊まりに行くようになったか。
そこまで僕も彼を友達と思ったか。
理由は簡単で彼の脳。

僕も無能とは言え一人で思考する事が好きで、色々な事を思考するのだが彼の場合はその量と、量を裁く速さが今まで出会った人間より凄い。
こちらの考えや思考を共有すると、更に深いところまで思考し投げ返して来る。
先に書いたように僕は無能だし、無能なりに理系の大学を出たが僕の大学(院を含め6年)の間に学んだ知識や思考の深さを1年かからず到達するような奴だった。
知識の量であったりテストで点数を取る能力ではない。
脳みそを宇宙とすると僕が太陽系だとすると彼は銀河系より遥かに大きく深く、早い。

僕は彼の障害や人柄には何の興味が無かったし、それは他の人間に対してもそう。
相手が男だろうが女だろうが、彼のような障碍者様だろうが健常者だろうが社会生活において最初に認識される外側の入れ物には何の価値も興味も感じない。
持っている能力や才能を優先する。

そうした人と触れ合い、語り合う事でしか自分を磨く事は不可能だと思っているのが僕のスタイルであり価値観なのもある。

なので、彼との日々は僕にとっては幸せな時間でもあったし、それ以上に自分の無能さを再確認できる自らへの戒めの時間でもあったのだが、それでも彼は一人で死んだ。

理由は、僕自身去年の段階で彼とは距離を置いていた。
LINEも繋がってるし住所も引っ越すたびに教えてるし連絡先含めてブロックした訳じゃない、只返信もせず未読のまま放置し距離を置いただけ。

理由は、僕の無能さ故
いつごろか彼との会話が楽しくなくなったと感じる事が多くなった。

最初は違和感だけだったがある瞬間に彼に言葉を投げても、彼からはGoogle検索の一番上に表示されるような言葉しか返って来なくなったと感じるようになった。
故人の名誉の為に書くが、僕が彼より賢くなった訳ではない。

彼自身が、思考をする事に疲れたのだろう。
人間の行動や発言には知識や経験のインプットが必要だし、そのインプットが無ければどれだけ脳に高性能なエンジンを搭載していても出力されなくなる。
ガソリン無しでは車が動かないのと同じ。

では彼のエンジンが故障し、性能が落ちたかと言えばそうではない。
そうではないのだが、当時の僕はそう思ってしまった。

上に書いたように僕は相手の能力や才能、それを積み重ねて来た努力にしか興味が無い。
それが失われたのか、と失望して離れたのだが実際は何という事はない。
彼のエンジンを動かすだけの燃料を僕自身が持ち合わせていないだけだった。

それに気が付いた時は遠ざけた後で、その間も彼からのLINEは届いていたが未読を貫いた。
僕が出来る事は、彼のエンジンがまた前の様に動くだけの時間と僕自身も燃料として何かを積み重ねる事だろうと。
それが彼に対して才能や能力にしか興味を持てなかった僕なりの誠意である、と。

だが、結果は彼の死で終わった。

終わった、が最近まで完全に終わらなかったのは彼からのLINEだ。
LINEは未読でもブロックをしてない限りは文章の一部は通知される(それも設定で変えられはするが)

彼からの最後のLINEは恐らく彼が自宅で転倒した日だろう。
それを読もうか悩んだ結果、僕は久々に彼の両親の家を訪ねる事にした。

焼香やお悔やみの言葉を言いに行ったわけではない。

自らを障碍者様として扱う事を周囲に求め、彼の両親も手にあまり追い出されるように一人暮らしした経緯もあり僕も久々に会ったのだがそこで僕はこれまでの経緯と、息子さんが最後にコンタクトを取ろうとしていたのは恐らく僕であろうこと。
同時に、LINEは未読のままなので見るならば先に見てもらいたいと。
見る気が無いなら僕はこの場で未読のまま削除するし、気が変わって見る気になる可能性があるなら僕が生きてる間保存し続ける旨を伝える為に。

ご両親の回答はそのまま削除して欲しい。

自分たちは子育てに失敗した。
可哀想と思うがあまり手助けをし過ぎて孤独で周囲を傷つける怪物のような息子になってしまった。
そういう息子と交流を持ってくれたことには感謝するが、もう忘れてしまいたい存在だと。

僕はわかりました、と両親の前で彼から届いたLINEを未読のまま削除しご両親のお宅を後にした。

僕も結局、彼の人間性や性格、障害には最後まで何の興味も無かったのだろう。
だからこそ障碍者扱いもしなかったが、人としての寄り添いや通じ合う事も無かった。
ご両親も今の「弱者に寄り添おう!」な思想に照らし合わせれば非情なのだろうが僕にはそれは分からない。

僕が判断する事でもない。
もし、彼のご両親が非情な人間なら僕は彼の最後の言葉を見る事もなく削除し、障碍者としての寄り添いをせずそこを配慮する事もないご両親以下の存在なのだろう。

それすらどうでもいい。
只、友人が一人で死んだと言う事実は何を誰を責めても変わる事はないし、僕はそれを聞いても自分の人生を生きるしかない。
彼がどういう苦しみを背負い、どういう思いで恐らくだが最後に僕にLINEを送ったか考えてもどうしようもない。

さて、その上で僕は非情な差別主義者なのだろうか。