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無能な人のエッセイ(もどき)

日本人は議論が下手と言う意見を見る。
僕自身もそう思う一人なのだが、そのやり玉に上がるのが論破王で有名な某氏(もはや固有名詞になっている)だろう。

彼のスタンスは一時期持て囃され最近は否定する人も増えてきているが僕は彼の方法は議論手法の一つではあると思ってる。

そもそも彼のスタイルはアウトプットの速さと接近戦で戦う人だと考えている。

インプットとは経験
身体的体験や、本等から得る知識的な蓄積
それを脳で思考と言うエンジンを動かし自らの知識として詰め込む
アウトプットとは上記のエンジンで生成された言葉や感情、行動を外部に出す行為。

論破王さんはアウトプットの速度が非常に速い。
速いのは頭の回転の良さでもあるのだが、それ故に接近戦に特化せざるを得ない。

接近戦とはどういう事かと言うと氏の議論方法は相手の心や感情に踏み込んだ殴り合いをする。
人ととしてどうなんすか?専門家としてどうなんすか?その肩書なのにそんな事も知らないんすか?と言う一見「会話」をしているように見えるが氏の議論を文字に起こすと、接近戦での殴り合い削り合いをしているだけでしかない。

特に相手が~の専門家のような肩書で殴りかかってくる場合は
「僕は専門家じゃないんで」
という自分の逃げ道だけはしっかり準備しつつ接近戦の手数で相手の心を削る。
元々の地頭の良さやエンジンの回転の良さがあるのでテレビで当たり障りのないウケを求められる専門家ではそもそも太刀打ちが出来ない。

しかし、それも僕は議論の手法の一つだと思っている。
エンタメとして外部が勝った負けたを判断する形ではその議論が僕含めた「無能な一般人」には一番分かりやすい。

日本人が苦手なのは、遠距離での落としどころを見つける議論方法だろう。
相手の言葉を受け止め、引用しつつそこに自分の考えを乗せて
「あなたの言い分や思考、データは分かりました。それも一理あると思います。
私も私でこういう考えや思考、データがあります。
お互いそれを照らし合わせどちらが正しいかではなく双方が妥協できる着地点と落としどころを見つけませんか?」
が苦手なのだと思う。

これには双方が同じレベルで思考する時間を積み重ね、相手の考えを受け止め認めた上で自分の考えを伝える「時間」が必要になる。
正直、どちらが正しいかと言う効率的で分かりやすい結論を求める人にとっては苦痛以外の何物でもない筈。

それよりもまず相手の否定から入り、相手の言葉を受け入れず自分言葉で殴り接近戦で削り合う氏の方法の方が議論としての「コスパ」は良いのだろうなと思う。

僕自身は氏の様な頭の回転の速さも、接近戦の強さもないし後者のような遠距離での落としどころを見つける「知の蓄積」もないのでこういう場で無能なエッセイを書くトレーニングをするくらいです。

‐追記‐
某氏の近距離削り合いは個人的には否定してません。
只、そのスタイルの人間と「議論」する場合はどちらかがどちらかを壊すか双方が壊れるか以外の結末が無い。

人として~の専門家としてどうなのそれ?以外の結末や落としどころが無いので人間関係で大事な事の一つである相互理解という結果は生まないし、生みようがない。

勿論、壊れた結果より壊れた方がリベンジを誓い更に思考を重ね、理論や知識を身に着け武装しリベンジする事は可能だが信頼関係構築は不可能になる。
ようするに某氏と「議論」をする場合は相手を削り切れるだけの物を持っているか相手の接近戦での削りに屈しない強靭なメンタルを持ち、最後まで冷静でいられるか、しかない。

言葉や文章を使ったケンカに関しては某氏は正直かなり強いしその強さの中には「打たれ強さ」も含まれているなぁと思い追記終了