日記: 生きたい、がわからなくても
気圧の乱れる東京より、おはようございます。
体調を崩してしまって、なかなか咳が消えない。
友達の旦那さんの、希少がんが発覚した。
ショーでご一緒したことのある方が、膵臓がんで亡くなった。
立て続いてしまって、死から目を逸らせないでいる。
がんであろうがなかろうが、わたしもいつか死ぬのに。
唐突に話を折るけれど、珍しくハマったアニメの原作がラノベで、大人の財力で一気買いしたその作品を、結構頻繁に読み返す。
祖国から迫害され、戦争の道具として戦いを強いられた少年兵たちの物語。
迫害の末、自分たち自身でも己をいつか死ぬ者と定めてしまっていたことに、主人公が気付く描写のある6巻が好き。
自分と重ねてしまってはっとさせられた。
いつか死ぬために生きるのではなく、生きたいと、そんなふうに考えたことはきっとわたしもあんまりなかった。
人の、光の当たるところだけを見たくないと、前にも書いた気がする。
影の部分も知っていたい。
頭では理解している、生きたいと思うことは"正しい"ではない。"正しい"などない。
終わりに向かって思いを馳せることだって、それもひとつの"正しい"であると言える。
だから、死ぬことから目を逸らせなくても、そんなに落ち込む必要も、本当はきっとない。
考えすぎているときは疲れているときで、だから昨日は19:30に寝た。
珍しく朝まで一度も起きずにいたから、本当に疲れているのだと思う。
死から目を逸せなくても、生きたいと心底思えなくても、それでも人生は続く。
良いと悪いをラベリングするのも最近はあまり好きじゃないのだけれど、どうせ続くなら笑っていたいなと思う。
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