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占いをめぐって②占い好きです。それが何か?

60代以後になり「占いが好き」というと、微妙な顔をされることが多くなりました。
雑に「宗教やってるの?」と聞かれたこともありますが、きっと一般にはステレオタイプのイメージが、あるに違いないと思うのです。
ましてや「占いを勉強している」というと、妙なしたり顔をされたり、「占いに頼っているの?」とか「悩みがあるの?」とまで言われて、「興味があるから」と答えても(胡散臭いヤツ...)とその方の心の声が聴こえたりします。さらに親切な方は「占いにハマらないでね」とまで。こんな反応に凹んで、あまり大っぴらに人に言わなくなりました。
なので、なぜ占いが好きなのか説明するとエネルギーを消耗するため、自分から話すという暴挙には出ない事にしました。何かのはずみで口から出てしまった場合は「それが何か?」という顔をしてみたりする。

占いにはいろいろなジャンルがありますが、運の良し悪しにはあまり興味がありません。うまく行くとか行かないとかは、アラコキ(古稀)になると“人生は塞翁が馬”的にすべて受け入れます、という心境になるのかもしれません。
では、占いの何が私を惹きつけるのか。
それは象徴が現実とシンクロする面白さなのです。
東洋占術の、大石眞行先生の易講座を拝聴して、思わず膝を打ったので、私なりの理解と大雑把な要約で先生には畏れ多いのですが、ご紹介いたします。

占いとは象徴を読み解く作業である。
現実について課題があると、現状を分析して解を得ますが、なかなか得られない場合がある。そんな時に、占術をツールとして象徴に置き換えて読み、そこから導き出される解を、あたかも翻訳するように現実にフィットさせて、クライエントに提示する。すると、今まで見落としていった事柄が浮かび上がってきて、新しい視点から課題と取り組み行動できるようになる。

これには、占いについての表現しがたい部分を、みごとに言語化してくださったので、深くうなずきました。
同時に思い出したのは、村上春樹氏と川上未映子氏の対談『みみずくは黄昏に飛び立つ』の第一章のうち“物語をくぐらせる“という項。これは占いに似ている作業だと感じました。興味のある方は、ぜひご覧ください。

現実から象徴を読み取る力は、意識にフィルターやバイアスがある場合は、ゆがみます。なので、できるだけ自分が透明になるよう、感情を統合したり自分を相対化することを求められます。感情が激しく動いた時はもちろんですが、生活の何気ないシーンで、1つでもフィルターやバイアスに気づくことがあります。そんな時は愕然とする一方で、少なからず快感を感じるのです。以前流行った韓国式垢すりのように。

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