10年前。東日本大震災後に僕がmixiに書いてた日記。


mixiの日記で2011年3月16日に、総帥の中の人、リョウが書いた日記です。10年間。俺これからも頑張るよ。

※友達の名前は〇〇にしました。

以下、10年前の日記です。

大学の卒業旅行でカンボジアとベトナムにいきました。

3月11日、愛おしい日本に帰ってきてテンションも上がり、そのまま池袋にいたら地震が起きました。

ゆれてんなー程度で考えてました。

でかい地震でもあったんかなーと。この時はホント他人事だった。

すぐにネットで震源地確認したら、宮城県。まさに、母方のおばあちゃん家だ。
この時ですら、マジか!?くらいだった。

確認の為に電話をすると電話は繋がらない。そして実家にも繋がらない。マグニチュード9,0という数値を調べデカイことは分かったが、未だに被害状況がよく分からなかった。

家に帰ると原発に関したニュースが流れていた。

少し冷静さを失った。

といっても福島の面積は北海道、岩手に次ぐ3位だ。東京の7倍近くある。まぁ大丈夫だろと。
それにしても、原発で福島が恩恵を受けてるっていってもJヴィレッジ程度で福島全体に何かが残ったかと言えば、恐怖以外何も残ってはいない。
100%東京の電力をつくるだけの為のモノをなぜ福島でつくり福島県民が危険にさらされている理由が分からなくなった。

勝手な意見だと思う人もいると思うが、自分のことは自分でやれよとまで思った。何かあったら自分の一生をかけても関係した人間は許せないとまで。

予想以上に自分に関係する人や場所に何かがあると、いつも何かあったらこうしようとココロに決めている考えや行動は取れなくなるんだと、はっきり分かった。

(ココで〇〇の日記で笑顔を取り戻す。)

数日が経ち、今度はマイクロシーベルトという聞いた事もない単位に恐怖を感じ始める時もあった。

〇〇と〇〇からくる情報にデマであってくれと思いながらパソコンで調べる日々が続いた。

ほぼデマだったのを知ったときは彼らにも軽い怒りを覚えたが、凄く安心した。

その辺りで俺も〇〇と〇〇あたりには弱音を吐いた事実があったのは二人とも消しといてくれ。アレは演技だったんだ!

そして今度は水道からベクレルというまたよくわからない単位が飛び出した。

関係者は基準値を下回っているから、大丈夫だと。コイツらは気楽だ。第三者で東京にいて、いざって時はホントに早いスピードで西に逃げるのだから。

今も断水で水は止まってる。俺のマイミクの30~40%くらいは福島県民だ。彼ら彼女らは今まさに現地で戦い続けている。これだけ情報も色々ありすぎんのと、断水してんのに水で洗えとかの矛盾さに、さすがのみんなも色んな疲れが出てくる頃だと思う。
でも、あとちょっと。あとちょっとを乗り越えれば何倍も人間が強くなる。

今現場で頑張ってる県民のみなさんや、マイミクのみなさん、自衛隊員、東電の社員(特に下請けの人達)あらゆる関係者、もう少しだー!!!!

22年間生きていてこれほど深く考え気付いたのは2回目だ。
大事なのは家族と周りの仲間達なんだと。

将来的に福島や東北地方に恩返しが出来るよう自分は自分で出来る最大限の努力をし続けよう。


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