自己紹介#1 基本的チャンネル権の主張
小学生の頃、ドラゴンボールを見せてもらえなかった。
両親とも漫画やアニメを見る習慣が無かったからだ。
ただ、家ではテレビがついていることが多かった。
わが家ではアニメに比べてバラエティー番組は比較的見せてくれた。
月曜日には【世界まる見え!テレビ特捜部】【志村けんのだいじょうぶだぁ】
火曜日には【ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー これができたら100万円!!】
水曜日には【邦ちゃんのやまだかつてないテレビ】【クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!】
土曜日には【マジカル頭脳パワー】【ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!】【どうぶつ奇想天外!】
日曜日には【投稿!特ホウ王国】
時代は若干前後するものもあるが、ご飯を食べながらでもテレビを付けていてもOKだった。
ただし、チャンネル権を得ていたかといえばNOだ。
私は昭和生まれで、先に挙げた番組に覚えがある方なら大体の年齢が分かってしまうかもしれない。
ダウンタウンは見せてくれなかったり、ドラマも見せてくれなかったり、制限は多かった。
消灯9時の絶対原則もあった。
わが家だけではないと思うのだが、昭和の家庭は結構チャンネル権に厳しかったように思う。
バラエティー番組を見れる機会というのは、あくまで≪プロ野球のオフシーズンに限る≫という無言の圧があった。
90年代末までゴールデンタイムのテレビの華は≪野球≫というのが常の世の理。
わが家でも【父親の野球を見る】という、≪絶対的チャンネル権の支配≫からは逃れられなかった。
子供ながらに(バラエティー番組が見たいから雨を降らせてください)と願ったものだ。
しかし、不思議な事に父親はどこのチームのファンでもなかった。
むしろサッカーの方が好きだ。そして日曜にはゴルフも見る。
もしかしたら、父親はスポーツを見るという行為が好きだったのかもしれない。(父はまだ健在である)
その先チャンネル権の確保という基本的人権を獲得できたのは私が中学生頃と、わが家のテレビ独裁政治は長かった。