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文章のテキスト?いや、夢追い人への応援本、かも。

初めまして。Infraライティング講座一期生の星乃光希と申します。フリーライターのオバラミツフミさんに指導して頂いています。

ライティング講座の受講者は全員で8人。第二回講座を受け終わった段階で、出された課題は 【書評を書いてみる】でした。課題書籍は「20歳の自分に受けさせたい文章講義」。文章を書く人全員が一番最初に読むことをオススメするといった印象です。

著者はライターの古賀史健さん。ヒット作を数多く出す中で、特に「嫌われる勇気」をご存じの方も多いのではないでしょうか?古賀さんは、誰かから正式に書き方を教わった人物ではありません。フリーランスの立場から ”現場” で培った書き方を、講義として、この本で包み隠さず書いてくれています。

主張は、主に4つ。

①文章は「リズム」で決まる ②構成は「眼」で考える 

③読者の「椅子」に座る   ④原稿に「ハサミ」を入れる

「書くことをやめて ”翻訳” するのである」、「何を書くかではなく、何を書かないか」。各章で名言が飛び出し、すべてを紹介すると、noteでは収まりきらなくなりそうでした。その中でも、特に突き刺る名言を紹介します。

「いい文章を書くのに、文才などまったく必要ない」

いまなにかしらの夢を追いかけている人、なかでも「自分に才能はあるのか?」と自問自答をしている人には、ぜひ聞いていただきたい。
 才能とは何か?
 天賦の才能という言葉があるように、そもそも才能とは先天的なものであり、最終的には「ある」「なし」の二元論に行き着いてしまうものだ。ある人にはあるし、ない人にはない。それが才能というものだろう。
 そしてもし、「自分には才能がない」となった場合、どうなるだろうか?
 諦めの材料にしかならない。
 はっきりと言っておこう。
 自らの才能を問う人は ”諦めの材料” を探しているだけだ。もっと言えば夢をあきらめる ”言い訳” を探しているのだ。なぜなら、本当の ”天才” は「自分に才能はあるのか?」などと考えない。貴方が本当に ”天賦の才” を持っているのなら、自らの才能など1ミリも疑うことなく、ひたすら前に進んでいるはずだ。
 それを踏まえた上で、ぼくは断言する。
 いい文章を書くのに、文才などまったく必要ない、と。 

この文章を見た時、思い出したエピソードがありました。先日、ライティング講座のスタッフさんとの面談があり、「理想のライター像」に関する話になった時の話です。私は「講座を受ける中で、文才があるか見極めて、ライターを本職にするか考えたい」と主張しました。面談後、この本を読むと、自分の主張が「文才の無さを諦めの材料にして、ライターを本職にしない選択を取る可能性があります」と捉えれることに気がつきました。努力をする以前に、”才能” に頼ろうとした甘い考えの自分。穴があったら入りたい気分になりました。

まずは始めること。とにかく続けること。

夢追い人全員にとって、大事にすべきこと。皆さんにも当てはまる部分があるのではないでしょうか。文章のテキストのはずなのに、何かを始める時の黄金律を教わった気がしてならないのです。素人ライターがぶち当たる壁は山程あるあるかもしれませんが、黄金律を体に染み込ませて、進んでいきたいと思います。進め、駆け出しライター。負けるな、駆け出しライター。

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