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真面目な怠け者。

やらなきゃいけないことはあるのに、どうしてもダラダラしてしまう時がある。

それが自分の体や心の声だということを忘れてしまって、精一杯自分を労るのではなく、自分を責めながら、罪悪感を持ちながら、ダラダラする。


もうすぐ出産を迎える高校時代からの親友が二人いる。

もう1年会えていない。コロナのせいだ。

妊娠したことも電話で知り、2021年4月に入り、また勢力をあげてきたコロナウイルスのせいで、県を跨ぐ移動となってしまう私たちは会えずにいた。

私も幼い子どもが2人おり、親友達も大事な時期だ。

会いに行きたい。もちろん子どもが生まれたらいち早く会いたいのだけど、私の親友達の身体がひとつなのは、もうすぐ終わりだ。

生まれて落ち着いてから会いに行くのではもう遅い。

すでに私の知っている彼女達ではなくなっている。

もちろん悪い意味ではないんだけど、私にとってはなんだか大事な人を取られてしまうような感覚に陥る。

親友達が安定期に入った時は、宣言解除がなされていたり有休の希望も子どもの行事や卒業・入学の時期でもなく取りやすかったはずだった。

なぜもっと早く、動かなかったのか。コロナも赤ちゃんも待ってはくれない。今、後悔している。

そう思うことが年に2.3回ある。きっとこの先も、ある。

まだ、いいよね。あれがああなったら、動けばいいよね。

頭の中でどんぶり勘定をして、

ほらね大丈夫だった。なんとかなった。

とホッとすることもあるけど、ホッとしたという時点でもっと早く動いていれば省くことのできたタスクが生まれている証拠。

怠惰な自分に出会い、落ち込み、また繰り返すけど、私は自分のことを真面目だと思う。(真面目というのは、良いか悪いかで言ったら悪い寄りの言葉だと改めて思う。)

真面目だから、動く前に考えてしまう。

考えてしまうから面倒に感じて、次にやらなかったらどうなるのかを考えてしまう。

そして、なんとかなりそうだと知ってしまったら、やらない。


大抵のことは、やらなくてもなんとかなる。やらなくても、死にはしない。

私は、私たちは、やらなくてもなんとかなるけど、やった方が健康にいいとか気持ちがいいとかお金が溜まりやすいとか、やらないよりやった方が良いということに溢れた時代に生きている。

やった方がいいことを全部やっていたら、本当に自分にとってやっておいた方がよかったことを見落として、後悔する。とやっと気づいた。

やっと気づいたけど、遅くはない。


動くことでしか、変わらないことはもう知っている。

母たちを、子どもたちを、私も応援します。