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わたしの『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のおはなし

『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(以降『ヘドウィグ』と表記)とはジョン・キャメロン・ミッチェルによる脚本とスティーブン・トラスクによる音楽で 1997 年にオフ・ブロードウェイにて初めて上演された作品。
2001 年には映画版が公開、 2014年にはリバイバル作品としてブロードウェイで再演され、その年のトニー賞では最優秀リバイバル作品賞など 4 部門を受賞した超優秀大ブロードウェイミュージカル。
日本では 2004年に三上博史さん主演で初演を果たしてから2022年までに 5 人のヘドウィグが誕生している。


わたしの人生を変えた作品。
とっても大切で大好きでバイブルのような、この作品を好きだと伝えてしまったら自分の全てが曝される気がするような、大きな愛の作品。

何を隠そう、わたしがこの作品に出逢ったのはもう何年も飽きることなく最高の推しで居続けてくれるだいすきアイドル関ジャニ∞の丸山くんが演じたのがきっかけ。
彼主演での上演が決まってからふらーっとレンタルビデオ店に寄りダンスの大会用の衣装をチョキチョキ縫いながら観た初めての『ヘドウィグ』。
最初は難しくて何が何だかわからなかった。
けれどその美しい映像とキラキラのメイク、素敵な音楽に心を奪われた。

もっと知りたい!もっとこの作品を理解したい!

その思いは観劇の度にどんどん強くなって
作品に関するいろんなことを調べていろんなことを考えた

これから長々と、実に9600字に渡る文章が続くんだけど、この作品は哲学的な考え方やキリスト教的な描写の多さ故にストーリーの理解が本当に難しい。
わたしたちキリスト教文化圏じゃない人にはきっとなおさら。

よってメディアでは、一種アイドル的な(いやまるちゃんは本当にアイドルなんだけどサ)存在の俳優陣がヘドウィグの奇抜なメイクやウィッグを身に纏い舞台に挑むというビジュアル面の物珍しさばかりが公演の宣伝として強調されてしまうことにちょっとずつ歯痒さを感じていた。
わかるけど!!でもこの作品ってそういうことじゃないんだよなぁ~って。だからこの文章を書きました。

わたしがこの大好きな作品から自分なりに考察した、色んな人、本、インタビュー、その他資料の力を借りて学んだ素敵なところ。
話が映画に飛んだり舞台版に戻ったりで多分読みにくいし、私情挟むし、なによりめちゃくちゃ長いけど、人生で1度でもヘドウィグに出逢った人に届けばいいなぁなんてね

1.私はベルリンの新しい壁


このミュージカルが幕を開ければ、会場は世界中のどこでもヘドウィグマインドシアター。観客たちは主人公ヘドウィグのライブに集められたという設定で物語は展開していく。

しかし、観客たちがヘドウィグの存在を認識したのはつい最近のこと。
ロック界のアイドル、トミー・ノーシスの起こした交通事故によって彼女の存在が世間に露になり、トミーの盗作疑惑が持ち上がってからのことだった。

彼女は自らの半生を、観客に語り始める。

ヘドウィグ、もといハンセルが生まれたのは1960年代東ベルリン。
彼はアメリカ兵のパパと東ドイツ人のママの間に生まれた。
作者のジョン自身が東ベルリンで暮らした経験がこの作品の背景に活きているんだと思う。

”冷戦”というテーマはこの作品にとって大きな要素だと思っていて

この作品が発表された1990年代
アメリカの社会情勢的な背景として、1989年の冷戦終結を受けて国自体のアイデンティティが大きく変化した時代だと言えるから。

それまで対ソ連としての地位を確立していたアメリカが、西側諸国という「共同体」や資本主義陣営のトップという「自己」 を失った結果、アメリカとは何なのか、アメリカ人とは?そもそも自分とは誰なのかといった内省的な問いを社会全体で考え始めた頃なんじゃないかなぁ

その結果として 1990 年代以降、自身のアイデンティティへの問いを投げかけるような作品がどんなジャンルにも多く見られる。ミュージカルでわかりやすいところだとキンキーブーツとか、RENTとか(わたしは全部だいすきだよ~ん)『ヘドウィグ』もきっと同じ。


まずは作品冒頭で歌われる”Tear me down”という曲
ゴリゴリのロックナンバーで一気にボルテージを上げて、ヘドウィグのパワフルさに飲み込まれそうなこの曲がわたしは大好きだし、作品の導入として最高だと思っている。
今回はその曲に挟まれる語りに注目してほしい

On August 13th, 1961,
A wall was erected
Down the middle of the city of Berlin.
The world was divided by a cold war
And the Berlin wall
Was the most hated symbol of that divide
Reviled. Graffitied. Spit upon.
We thought the wall would stand forever,
And now that it's gone,
We don't know who we are anymore.
Ladies and Gentleman,
Hedwig is like that wall,
Standing before you in the divide

Tear me down lyrics

冷戦期、憎悪の象徴として唾を吐きかけられ落書きをされボロボロになったベルリンの壁とヘドウィグ自身を重ねているこの歌詞。
東西の境目に立つベルリンの壁。男女の境目に立つヘドウィグ。
どちらも「不自由」や「抑圧」の象徴、そして嫌悪の対象であった。

でもその境目を失ったら人々はどうなるの?

"We don't know who we are anymore"
アナタはもう何者でもない。

境目を失った1990年代の人々の前に突如現れた新しい壁ヘドウィグ。
現代の私たちはそれとどう向き合おうか


2. 愛のカタワレ


ハンセルが幼い頃ベッドの中でママに聞かされたひとつの物語。
プラトンの著書「饗宴」内でアリストファネスが説いた「愛の起源」の寓話がモチーフになった物語。
その物語を歌にしたのがこのミュージカルで最も有名なナンバーのひとつ
”Origin of Love”


大昔人間は手足が4本、大きな頭に顔が2つ。
そう二人で一つだった
しかし人間の力を恐れた神々が真っ二つに切り裂きばらばらに、ハリケーンで吹き飛ばし離れ離れにしてしまった。
その時分かれた自分のもう半分に出会ったときわたしたちは切り裂かれたときの痛みを思い出して胸が痛む、そしてそれが愛だというのが歌詞の勝手な要約。(気になる人は全文読んでねん)

ミュージカルのあらすじを紹介する時『これはヘドウィグが「カタワレ」を探す物語~…』という奇妙な文章が毎度挟まれがちだけど、この歌で言う「離れ離れになった自分のもう半分」が ”Betterhalf”=「カタワレ」の概念になっている。

自分は半分であり不完全という考え方はアイデンティティが国全体で大きく揺らいだ当時1990年代のアメリカ社会において共感や同意を得やすかったのではないかなぁって。

なんとなく所在の無い、掴み切れない自分のことも「あぁ半分なんだ、」と思えば少し救われるような気持ちがわたしにもわかる気がする

でもそれは男?女?
どんな見た目?
私にそっくり?それとも私にないものを持っている?
美貌は?運は?才能は?
私は自分のカタワレのことを恥ずかしいと思う?
セックスは本当に一つに戻る行為なの?

ヘドウィグは自分のカタワレの存在を信じている
でもどこにいるのか、どんな姿形なのか、それはわからない


” Origin of Love”
映画でも舞台でもやっぱりめちゃくちゃ良いシーンでさ…大好きだなぁ懐古
高飛車で、近寄りがたいタフさを持っているかのように見えるヘドウィグがまるで小さい子に語りかけるように、時に感情的に、ひとつひとつ歌を紡いでいくギャップがすきだった。

「母親は自分を愛してくれなかった」と彼女は言うけれど、きっと彼女はいつまでも少年ハンセルと同じようにこの神話を信じ続けている。彼女は自分自身にこの歌を語りかけているのかも。呪いのようで、どうしようもなくヘドウィグが愛おしくなる瞬間。

観客は自分の「カタワレ」がどこにいるのか、そもそもカタワレとは何で、本当に存在するのかという問いに、このミュージカルを通してヘドウィグと共に向き合っていく。


3. グミベアとシュガーダディ


大勢の人が自由を求めて西側に向かう中、ハンセルとママは東側に残った。
いつも米軍ラジオを聞いて過ごした彼はアメリカの偉大な音楽が大好きだった。トニー・テニール、デビー・ムーン、アン・マレー、イギーポップにデヴィッド・ボウイ。彼の憧れのアーティストたち

壁のこちら側でのカタワレ探しも行き詰りが見えてきた彼は何時しか、壁の向こう側に、アメリカに行きたいと考えるようになる。


青年期のハンセル
彼はとある晴れた日がれきの中、裸で日光浴をしていた。そこを通りかかったアメリカ軍曹のルーサー。ハンセルの美しさに惚れ込んだルーサーは彼にお菓子のグミベアを分け与える。
グミベアを食べたハンセルは急に裸でいることが恥ずかしくなりルーサーの元から服を持って逃げる。

そんでこのクダリが聖書のオマージュだというおはなし。

旧約聖書の創世記第3章『蛇の誘惑と失楽園』

ハンセルが聖書で言うところのイヴ。蛇(ルーサー)にそそのかされたイヴ(ハンセル)は善悪の実(グミベア)を食べてしまう。それを食べて善悪を身に付けたハンセルは急に裸でいることが恥ずかしくなりルーサーの元から服を持って逃げる。

この話を初めて他の方の考察で知ったとき、目から鱗が出て止まらなかった……中学で聖書の授業きっちり受けさせられたのに…何も身に付いていないのですね、あせあせ

でもこの時点ではまだ創世記の続きに対していくつかの謎が残る

まずイヴはアダムにも木の実を分け与えている。でもハンセルはこの時点で特に誰にもグミベアをシェアしたりはしていない。
2つ目は善悪を身に付けた二人はこの後、神様にエデンの園から追い出されてしまうという部分。ハンセルが追い出されたエデンの園はどこ?

そしてこのシーンでのキーアイテム、グミベアは単に善悪の実を表しているわけじゃない。甘くて柔らかいグミベアの味を、ハンセルは「権力の味」だと表現する。透明な袋に詰まったグミベアたちはまるで「ポーランドの浴場の窓のよう」で「アウシュヴィッツに連れていかれた連中のよう」だと

カラフルでかわいらしい子供のお菓子、グミベア。
そこにアメリカ軍のルーサーと東ベルリンの少年ハンセルの絶対的な権力の差をこうした表現で示すの、とってもおもしろいと思った。
カラフルでかわいらしい、甘い誘惑

このあとの曲 ”Sugar Daddy” はとってもかわいくて少しえっち
直訳しにくいけれど、パパ活のパパみたいな意味だからニュアンス。

このときハンセルはルーサーを壁の向こうに、アメリカに向かうための足掛かりとして利用することを決めた。

だからこう歌うの
「シュガーダディ、僕を連れて行って」
ってね


余談ですが、日本でよく見るハリボーはドイツのお菓子なのでアメリカ軍人のルーサーがくれたのは多分これじゃない。アルバネーゼって会社のやつかなぁ


4. アングリーインチ


ルーサーとの結婚を決めたハンセル。
彼が本当にルーサーを愛していたのか、憧れのアメリカに行くための足掛かりとしか思っていなかったのか、わたしたちにはわからないけれど。

ママはハンセルに自分の名前を借り、写真を入れ替え、女性として出国することを提案。ルーサーもこれに賛同し東ドイツで籍を入れてからアメリカに向かおうと提案する。

しかし

「自由を手に入れるには何かを手放さないと」

母とルーサーは口を揃えてこう言う。
そこで彼が手放したのが男性器。

結果母親の紹介したヘボ医者が手術に失敗したのでハンセルは女の子にもなれなかった。

彼はジェンダーアイデンティティと引き換えに自由の国に向かうことになった。そう、自由と引き換えに性適合手術の末手に入れたワンインチの凝りこそがこの作品のタイトル、アングリーインチ。


ヘドウィグは我々の持つ「何者でもない自分への不安」の一番の理解者として観客の前に立っている。

高飛車でワガママで、怒りっぽいけれど
誰よりも優しく暖かく、わたしたちの痛みの一番の理解者であるヘドウィグ。

”Angry Inch”はそんなヘドウィグの力強くてブラックユーモアでいっぱいの怒りの曲


何かと引き換えに何かを手放さなければならない
とは今でもよく言うけれど、ほんとにそうだと思う?

5. 着飾ることは武装すること


ルーサーと結婚し憧れのアメリカに渡り幸せに暮らすかと思われたヘドウィグ
なのにルーサーはあっさりと彼女を裏切った。1年足らずで他のかわいい男の子に乗り換えヘドウィグはトレーラーハウスにひとりきり。

彼女はベルリンの壁が打ち壊されるのをテレビ中継で目の当たりにする。

そこで歌うのがわたしの1番大好きな曲(全部大好きって言ってない??いや、まぁ事実ダシ…)
”Wig in a Box”

あと1年、たった1年待てば性別というアイデンティティを失ってまで憧れの自由の国に来る必要なんてなかった。
自分を壁の向こうへ連れ出してくれる運命の人だと、少なくとも一時はそう信じた男に裏切られて傷つく必要もなかった。


蛇の言うことを信じ、彼についていったイヴはエデンの園から離れてしまった。ヘドウィグにとってのエデンの園は東ベルリンだったのかもしれない。イヴは神様の言いつけを破ったから苦しみながら子を産み一生を終えるようになったのと同じく、ヘドウィグは自分のアイデンティティに一生苦しみ続けることになる。自由と引き換えに。

でも彼女はウィッグを鎧に替えて歌い続ける。


わたしも彼女と同じだったから。着飾ることで自分を守って強く見せて、そんな経験が山ほどあったから。


ハンセルは(多分)ゲイだけど、女性になりたいという願望はなかったようにみえる。だからそもそもウィッグ自体、ハンセルを「女性」という枠に押し込める一種の呪いだったはず。
でも彼女はとっても強くてキラキラしていた。素敵で愛おしくてあぁ大好きなヘドウィグ!!


6. アダムとイヴ


ひとりぼっちになったヘドウィグはある日ベビーシッターとして雇われていたスペック将軍家でトミーという少年に出逢う。
昔のロックとゲームマニアでジーザスフリーク、ちょっとお馬鹿さんな17歳のトミーをヘドウィグはひどく気に入った


彼女はある日自分のショーにトミーを招待した。
そこでヘドウィグがトミーに、トミーのためだけに歌うのが
”Wicked Little Town”

ここにはあなたを刺激するものなんてないから他に選ぶ道がないならいつでも私の声を辿ってきて

Wicked Little Town lyrics

父親に束縛されていたトミーを解放するための導きの歌。

彼女はこれは人生で初めて書いた曲、本当は男が歌うための曲だと断ってから歌い始める。
確かに作品内での”Wicked Little Town”はトミーに向けての歌として描かれている。だけど本当は?


「他に選ぶ道がないなら いつでも私の声を辿ってきて」
ってわたしは最大級の愛の言葉だと思うの、これももちろんだいすきな曲

後日ヘドウィグの音楽に惚れ込み彼女の元にギターを持って現れたトミーが
「君はイエス・キリストを自分の救世主として信じる?」
だの
「神様は超マイクロマネジメントだ」
だの語り出すのが私は何度聞いても理解できなくて。目ひん剥いて頭フル回転で聞いてるのに、何も入ってこないのが悔しかった。

でもさっきのグミベアのシーンが聖書のオマージュだって理解できれば察しがつくね、
トミーも同じようにヘドウィグとイヴを重ねてお話をしているのだから

神様は食べてはいけないと言ったけれど、イヴは好奇心が強かった。だから実をかじって何が善で悪かを知ろうとした。


「ヘドウィグ僕にも木の実をちょうだい?」

イヴがアダムに木の実を食べさせ、善悪を与えたように。
この日からヘドウィグはトミーに自分の全て、音楽の知識を与える。

ヘドウィグがトミーに与えたのは知識。

だからこそ彼に与えたステージネームは”Gnosis”
ギリシャ語で知識。


また余談^^
ヘドウィグがトミーは魚のマークが好きってバカにしたように笑ったのも、魚のシンボルってめちゃくちゃキリスト教に関係あるかららしい、知らなかった!!ノーシスのロゴマークも魚の形で囲われてるね


トミーと一緒に始めた音楽活動はすぐに軌道に乗った。
曲が泉のように湧き、若い女の子がトミー目当てに聞きに来るようになった。町の大スターになった二人にはきっと怖いものなんてなかった

そんな順風満帆だったある日父親とケンカしたトミーが泣きながらトレーラーハウスに訪れる

そしてトミーはこんな質問をする
「愛は永遠に続くと思う?」

それに対して(映画の字幕ではヘドウィグは愛は永遠よって返したことになってるんだけどちょっと!?)
彼女は
「愛は不滅 (immortal )よ」
って答える
なぜなら「愛は造りだす」から「新しいなにかを」


不滅と永遠って何が違うんだろうって、「愛は創造」ってなんだろうって、

ここの説明を私は未だうまくできないから、今はこのままでいいや
いつか更新するかもしれないし、一生わからないままかもしれない

確かに愛という概念は不滅よね、でもわたしたち愛を向ける方向はきっと変わってしまう。じゃあ創造って何だろう。人間の創作意欲ってやっぱり誰かからの愛に基づくのかしら


7.私はつぎはぎ


(謎に段落変えちゃったけど、前の話と同じ日ね)トミーはこの日、ようやくヘドウィグが女性ではないことを知る。

17歳の青年にその事実を受け入れることは簡単ではなく、トミーはトレーラーハウスから逃げて行ってしまう

ヘドウィグはまた、運命だと信じた人に逃げられてしまったのだ。


「なら私の股間も愛して」
と叫んだ彼女の声と、息をするのも苦しいくらいの空気感がずっと忘れられない。

カタワレなんて見つからないのかもしれない、
運命も、本当の愛も、存在しないのかもしれない。  


"Exquisite Corpse" という曲
優美な屍骸と訳されるこの単語は、シュルレアリスムにおける作品の共同制作の手法を表すもので、それぞれがどんな作品を制作しているか知らないまま自分のパートだけを制作する方法らしい。

https://www.moma.org/collection/terms/exquisite-corpse

自分の体はツギハギだと歌い叫んだヘドウィグはドレスも、ウイッグもすべて剥ぎ取り、舞台上に倒れ込む

その時の不協和音とも雑音とも言い難い歪んだギターの音が全身に響き渡る瞬間が何故だか少し心地よくて、自分が辛くてどうしたらいいかわかんなくて消えてしまいたかったときも同じ音が脳内に響いていた気がするから
汚くて耳を塞ぎたいのに音に身を任せてしまうような、そんな時間

再び立ち上がった彼の額には銀色の十字架
まっさらの身体で、トミーとして次の曲を歌う
その曲は "Wicked Little Town"


8. Know that you're whole



“Wicked Little Town”はヘドウィグがトミーと初めて出会ったとき、父親に抑圧されていた彼を解放するために歌った曲だった。トミーはリプライズの形をとって同じ歌をヘドウィグをヘドウィグ自身から解放するために歌った。

自分を裏切ったかと思われたトミーがありのままの自分の全てを受け止め賛美してくれるかのような歌詞が彼女が何かに気付くきっかけになるんじゃないのかなぁ
お空には何にもない。聖書に信じた天国もたぶんない。あなたが信じた伝説が架空だとしても、きっと完全体として生きていけるんだよって


ここまで語っておいてなんだけど、この作品の解釈なんて人それぞれでいいと思っていて、

でも一応わたしはヘドウィグの探していた「カタワレ」は他の誰でもない自分だと、これは自己の完全性に気付くための物語だと捉えています。もっと言うと「カタワレ」は自分の嫌いな部分とかコンプレックスのことなのかなぁって

自分のことを先ず認めて、愛してあげなければ、本当の愛も、他人に愛を注ぐこともできないのかなぁと思う。自身のコンプレックスや汚点を「カタワレ」だと定義すれば、 言葉通り「カタワレ」を見つけることで人間は完全体になることが可能になるしね。


トミーが歌う"Wicked Little Town"にだけ出てくるこの
"Know that you're whole"という言葉がわたしはめちゃくちゃにすきで
なぜかって今まで
「みんな完璧!そのままの自分を愛そう!みんな美しいよ!!」
なんて言われてもピンと来なかった。どんな言葉をかけられても嫌いな自分は嫌いなままだった。

みんな完璧じゃなくて、嫌いなところも隠したいコンプレックスもたっくさんあって、それでも「あなたは完全だと知っていて」とトミーに声をかけられたヘドウィグがメイクもウィッグもドレスもない、そのまんまの裸の自分で前に進むのを見た時。
これでいいんだ、って強く思えたから。
完全と完璧って些細なニュアンスの違いかもしれないけれど、わたしにはこの小さな違いが大きな転換になった。

いまのわたしはまだ自分のことが嫌いだけれど、いつかヘドウィグみたいにすべてを受け入れられたら、自分のコンプレックスという名の「カタワレ」を受け入れられたら、そのときわたしもようやく誰かを本当の意味で愛せるんじゃないかな。ヘドウィグがトミーを赦したように、イツァークを解放したように


そしてミュージカル内でヘドウィグの役者がトミーを同時に演じる理由。
上手く言葉にできないけれど、ハンセルはヘドウィグで、トミーはハンセル。だからヘドウィグはトミー。
そしてイヴはアダムから産みだされたように、ヘドウィグがイヴでありトミーがアダムとするならばヘドウィグ=トミーともいえるよね(伝われ…)

ふたりでひとつ。三位一体。みたいな??


かと言ってわたしはトミーがヘドウィグのカタワレか?と聞かれると「それはうーん…」になっちゃうワ(支離滅裂?でも楽しいでしょこういう話)


9. わたしは


やっぱりわたしたち人間は集団で生きているから、仲間が欲しいし無意識に線を引いて分類してしまう(セカオワのHabitみたいわら)
国家とか宗教とか、もっと小さい話ならクラスのグループとかね。

わたしはそれを人間として仕方のないことだと思うけど、ヘドウィグのような無意識に作り出した壁をぶち壊してくれる存在はめっちゃ大事なんじゃないのかな。国籍もジェンダーもすべてを飛び越えてくれる勇気ある存在に出逢うことは生きていてとても意味があるんじゃないのかな。

だから芸術作品ってすごいよね。そんな越境の機会を作ってくれるんだもの


わたしたちは皆それぞれ完全体であり欠けているものなど何一つないのだと、
分断が進む世界で集団に属せない寂しさを経験したすべての人々に、孤独を感じたすべての私たちに、愛のこもったメッセージを力強く伝えてくれるヘドウィグ。全部まとめて抱きしめてくれるヘドウィグ。

わたしは彼女のことがこれからもずーっとだいすきなんだ!!!

次に日本でヘドウィグが上演されれば、誰であれまた必ず行くし
ブロードウェイでヘドウィグを見るのが実はいまのわたしの夢です。

長々と書いたけど

愛してますわたしのスーパースター、ヘドウィグ

生み出してくれてありがとう、ジョン

出逢わせてくれてありがう、まるちゃん



わたしの『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』のはなし
でした。完(^^)

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