Black or White
自由の国、アメリカが生んだキングオブポップ、マイケルジャクソン。自由の国に生まれながらも、自由に生きられなかった哀れな男だが、彼のことをリスペクトしている若手アーティストは多い。恐らく当のアメリカでは馬鹿にされている、麻薬中毒で亡くなったホイットニーヒューストンなどのように、マイケルジャクソンもかなり評価が分かれる(概して低い)。彼は自らキング・オブ・ポップを名乗るようになったが、ポップというには余りに数多く色々な楽曲にトライしている。それはQ(クインシージョーンズ)の厳しいプロデュースに依るところも大きいが、やはり彼の類まれな歌唱やダンスの才能は他の追随を許さなかったからだと思う。
私は、実はマイケルを嫌ってはいない。もちろんペドフィリアなど、彼は問題を多く抱えた人間だった。死に方もあまり幸せそうには思えない。けれども早々健全な人間は(アーティストとして)魅力的であろうか?私は歪んだ人間性に何かキラリと光るものを見出す時がある。これは私がよく好んで使う言い回しだが「屈折した光は虹色に輝く」というもの。ストレートな人間性にあまり魅力を見出せないのは、悲劇(あるいは喜劇)を愛してきた人間の心の奥に潜む欲望と関係があるのではないかと思うからだ。
マイケルの心の奥に潜む「彼の独特の独自の身体性との関わり」はこのビデオのラストの部分に要約されている気がする。彼のお馴染みのスパンコールの靴下や上質な生地で作られた帽子に目がいきがちだが、私は彼が(恐らくは怪我もしていないのに)付けているコルセットや医療用テープに目がいく。彼は根っからの少年だから、こういった傷に充てがう物に憧れている、つまり彼は愛されたいのだ(まあ愛に飢えていると言えばいいのだろう)。彼は全てを破壊する。しかも踊り叫びながら。彼は愛に飢えていてしかしポップスターであるからこういった暴力(我儘)は許されない(特に「自由」の国アメリカでは)、その矛盾性が見事に表現されているのにやはりカットされてしまった。
彼が「生涯で最も愛した曲は?」と訊かれたらこの曲だと答えたらしい。彼のイノセントな部分はこういった所に発露されている。キリスト教では死んでからも裁きがあるが、死んだら皆仏。白でも黒でも良いじゃない。これもとても良い切り抜きだと思うので勝手に削除して下さい。おっと、ご覧下さい。
人生そのものが寄り道。流石ですね。うちの父親に見せたいです。こういう父が欲しかった(笑)。