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真実のロマンチスト

私がその店に足を踏み入れると、今しばらく終電までの時間を楽しみたい男女で込み合っていた。近寄ってきた店員は早々に一人客と判断したのであろう、言葉少なげに私を最奥のカウンター席へ案内する。
運河沿いに据えられたダイニングバーの店内は、マホガニーを基調としたシックな内装に仕上がっていた。雑踏を吸い込むかのように柔らかいジャズピアノで満たされ、落ち着いた雰囲気を提供している。
ふうん、悪くないじゃない。こうした店を選ぶ男は往々にしてロマンチストだろう。まあ、嫌いではないが。

一杯目のマティーニに口を付けていると、ひとつ空けた隣席からその男は話し掛けてきた。

「やあ。今が一番、この店で素敵な時間ですよ。」

それはどうして?と私が問うと、彼は口角を上げて振り返り、背後の大きな窓を指す。その先の運河には、川面に揺れる満月が輝いていた。

「まさに、ムーンリバーでしょう?」
「あら、私ならティファニーの前で朝食を摂ったりしないわ。」

彼の言葉に連れなく返したつもりだったが、私の視線はまだ川面に佇む満月にあった。瞬くように揺れるその表情に吸い込まれそうになる。

「ありがとう、素敵なものが見れたわ。」
「そうでしょう?この時期にしか見れない、特別なものなんだ。」

彼はいつの間にか私の隣に席を移し、そこから暫く映画談義に花が咲いた。彼は自らを作家だと名乗り、なかなかどうして、素敵な考察をする。
男は皆ロマンチストだと思っていたが、彼もまた相当だ。屈託のない笑顔で語る彼の低い声は、それを嫌味にさせることもなく耳に入ってくる。

店内が少し騒めきだしたと思えば、終電の時間が近づいている。私たちもその流れに乗って店を出た。駅までの道のりを少し遠回りし、運河に沿うようにして歩く。
彼は突如立ち止まって、私の手を取った。少し驚いて見上げると、川面の満月が彼の横顔に穏やかな光を当てている。

彼は私にキスをした。
私の唇の感触を確かめるように、ゆっくりと。彼の長い腕が私を引き寄せて包む。

また逢いたいと、彼は小さな紙に書かれた連絡先を私に寄越して去って行った。
終電で家に帰りついた私は大いに悩んだ。これはどうしたものか。電話を手に取ると、大きなため息と共に手帳に書かれた番号にダイヤルする。

「奥様、遅い時間に申し訳ありません。まずは速報でご案内したいと思いまして。先日ご依頼いただいたご主人の不貞調査の件、大変申し上げにくいのですが———」

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