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東日本大震災から12年。あの日のこと(後編)。

おこんばんは〜NAOです。
結局また時間が空いてしまいすみません…
あらためまして先日の前編を読んでいただきありがとうございました。
まだの方はこちらからどうぞ↓

今回はその続き、3月11日の真っ暗な夜に至るまでのあたしの体験談です。



3月に雪が降ることは東北ではまぁあることで、個人的にはまだ冬だと思っている。冬用のコートがないと寒い。
それでもなぜこのタイミングで雪が降ってくるのか。なぜ?突然大きな地震が起こってしまったのと同じくらい理不尽さを感じた。

少し話は逸れるけど、あたしは大学生の頃に新潟市で中越地震を体験している。
震源から離れていたので東日本大震災の時のような大きな揺れではなかったが、あの時も「これはやばい」と感じるような揺れ方だった。
うまく言葉で表現できないけど、ぐっと掴まれるような力のかかり方や地鳴りのような音とか、独特の雰囲気。
その感覚や余震が続いて地震酔いしてくる嫌な感じは知っていたはずなのに、それを越えている今回の大地震は恐怖でしかなかった。
揺れたなと思ったらテレビをつける人が多いと思うけど、「本当にやばい」地震の時はまもなく停電してしまって情報を得ることができない。
そして緊急地震速報も間に合わない。「本当にやばい」時は速報がなった頃にはもう揺れてる。
(だからといって、緊急地震速報がなった瞬間揺れてないから大丈夫という話ではないのだけど。)

とにかく恐怖と不安でどうしようもなかったのだけど、こうして会社の人たちと一緒にいたから冷静でいられた。1人だったら発狂して泣き叫んでいたかもしれない。
店舗どうなったかとか仕事どうなるのかとかも、出勤してて直接確認できてたのはひとつの安心になった。
そして、責任者たちの判断で「このまま営業することはできない」「現状から営業再開の見通しはたてられず、安否確認を継続しつつ後日連絡」ということに決まった。
(まさかの1週間後には営業再開するのだが、この時点ではいつになるかわからない状態だった。)
この日出勤していた同じ売場の同期と後輩(いずれも女の子)は皆電車通勤だったので、歩いてすぐのマンションに住んでいるあたしが全員引き連れて帰ることになった。
余震に気をつけながらロッカールームまで順番に荷物を取りに行き、ここでやっとコートを着ることができた。
安全が確認できるまで屋内に入れなかったので、ずっと制服のまま外にいたため体は冷え切っていた。
停電しているのでロッカールームは真っ暗で、手探りで荷物を取り出した。

朝が苦手で1秒でも長く寝ていたいという理由で会社からすぐ近くのマンションを借りたが、この日ほど近くてよかったと思ったことはない。
近すぎると終電がないから1番最後まで残業させられたりするのでいいことばかりではないのだが、同僚の助けにもなるならこんなによかったことはないだろう。
この地震に建物が耐えていてくれればの話だが。
自宅に向かう途中、また袴姿の女の子たちを見かけた。おそらく卒業式が仙台駅近くの会場であったけどどうやって帰ろうと戸惑っているのだろう。
力になりたい気持ちもあったが、すでに同僚4人を連れていたのでワンルームのわが家はキャパオーバーだ。
男子さながらの収集癖のせいで部屋は物だらけなので、間取りはそれほどではないはずなのに狭いし友人曰く「圧迫感がある」らしい。
あの揺れで物が落ちたり壊れたりしていないといいけれど…
街の様子も気になりつつも、とにかくもう夕方に近くなってしまったので暗くなる前に帰らねば。

マンションに着いた。
建物の形状は問題なさそうに見えたが、やはり停電している。エレベーターも使えないが、わが家は2階なので階段で問題なくあがれる。
ちゃんと階段の鍵も開いた。よかった。
しかしたどり着いたわが家のドアの脇には床から1メートルほど縦に大きなひび割れが出来ていた。見た瞬間ぞっとした。
ショッキングな見た目だけどドアはちゃんと開いた。
とりあえずあたし1人が中に入り現状を確認してみたが、もともと部屋がぐちゃぐちゃだったので思ったほど被害はない感じがした。
壁にヒビはいくつかありそうだけど、ガラスは割れてないし倒壊する恐れはなさそうだ。
落ちてきていたものをどかして道をつくって、なんとか全員部屋に入れた。

さて、ちゃんとした防災グッズなど揃えていなかったこの部屋にどれだけ今の状況で役立つものがあるのか。
オール電化だったわが家の暖房はエアコンとこたつだけだったのでどちらも使えず、寒さを凌そうな上着や布団をあるだけ出してそれぞれくるまる。
この頃あたしはコンビニと外食の生活しかしていなかったので冷蔵庫にはお酒くらいしか入っておらず、自分の生活力のなさを恨んだ。
ほかに使えそうなのは、デザインが好きで買ったキャンドルが入るランタン。それ用のキャンドルが少しとライター数本。
どれだけ停電が続くかわからないので、部屋の中を移動する時にだけ付けることにして節約しておいた方が良さそうだ。
トイレや水道は最初だけ少し使えたが、おそらくマンションのタンクが空になったらしくすぐに使えなくなった。
やむを得ないのでトイレは流さずフタをしてやりすごしながら使うことに。ほとんど飲まず食わずなので、そんなに量がなかったのが幸い。
他にもあったのかもしれないが、どんどん日が暮れてきて暗くなり部屋の中も動き回れなかった。

いつもは会えばおしゃべりが止まらないメンバーなのに、さすがにこの状況では会話も弾まない。
充電の残量が気になりながらも家族に連絡を取ろうとするが、コール音すらならない。
メールが来てないか確認する「センター問い合わせ」もこの頃はまだあった気がするので、必死にチェックしていたと思う。
不安な中ぽつぽつと会話しながら、みんながその時たまたま持っていた食料を分け合ってなんとか過ごしていた(ここでからあげ弁当が活躍!)。

家電も何も動いていないので話していないと本当にしんとしているのだが、なんだか音が聞こえる気がする。
なんだろうと思ったら、ドアをノックしているみたい?
誰が?なんの用事?危ないことになったらどうしようとドキドキしながらのぞき窓を見ると、ドアの前にいたのはあたしの下の妹(3姉妹の末っ子)だった。
泉のほうに住んでいるはずの大学生の妹が、この日この時たまたまバイトの面接で仙台駅にきていたんだって!!!
あたしの家に1回来たか来なかったかくらいだと思ったのに、よく場所覚えててたどり着けたもんだ。
妹はここに来る途中のコンビニで、溶けちゃうからと配ってたアイスをもらってきたらしい。先の見えないこの状況では貴重な食料というか水分。ありがとうコンビニの人!

真っ暗で寒い部屋の中でみんなそれぞれ少しでも休もうとするけれど、度々どこかで鳴っているサイレンの音や緊急地震速報、そして何より余震でなかなか寝付くこともできない。
動いていないと頭だけがぐるぐるといろんなこと考えてしまってしんどい。
ヘリの音なんかも聞こえたりしてどうなっているのかと、1回あたしだけマンションの外に出てみた。

暗闇のなかで状況はまったくわからなかったけど、灯りが全くない街で見上げた星空が美し過ぎて目を奪われた。




このあたりで3.11当日の話はおしまいです。
長文乱文にお付き合いいただきありがとうございました。

その後、この夜の星空のことはいろんなところで語られていたようですね。
不安で眠れない夜だったけど、そんな中でちょっと空を見上げる時間をもててよかったなと思います。
(一緒にいた後輩たちにも戻って教えて、何人か一緒に見たような気もするけど記憶が定かではない…)
子どもの頃に山やキャンプや行った時にまわりに灯りがない星空は何度も見たことあるはずなんですけど、この日の星空はものすごかったんです。
本当に真っ暗だったからなのか?冬だったからなのか?
星ってこんなにたくさんあったんだってびっくりして、圧倒される感じでした。

このあと4月になって桜が咲いた時も思うのですが、自然は人間の生活に関係なく存在して変化していくのだなと。
街やみんなの心が回復していないのに自然だけは変わらず時を進めていくことに、ちょっと安心するような、人間とはまったく別物なんだって思い知らされるような…
うまく言葉にできませんが、いろんなことを感じ過ぎてずっと心がざわざわしているような時期でした。
また詳しく思い出すことができたなら、頑張ってなんとか言語化して書き残してみたいと思います。