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東日本大震災から10年。あの頃のこと。

おこんにちは。
更新が全然できていなくてすみません。
いろいろ書きたいことはありつつも日々に追われ…
でも今日だけは書かなければ。何もまとまっていないけど。

東日本大震災から今日で10年。
毎年書き残している気持ちと変わらないけれど、今年は日本でこの日を過ごす。
でも、自分が東北にいないことが不思議。変な感じ。
変わらない1日であることが少し悲しくもあるのだけれど、これでいい。
平和で、電気も水道もガスもあって、電車も動いていて、地面も揺れないし、雪も降らない…そんないつもと変わらない1日であることの幸せを噛みしめて過ごそう。

でも、あの日からもう10年って。こんなにはっきり覚えているのに。
10年前、26歳のあたしのあの頃のことを少し思い出しながら、断片的にいろいろと書き残してみようと思います。

緊急地震速報

今でもすごく苦手。あの音を聞くとゾワってなる。
あたしは中越地震の時に新潟に住んでいて、初めて体感した大きな地震だった。あの時も余震がひどくて、揺れる恐怖と気持ち悪さは嫌という程味わったから、それ以上の地震を体験するなんで想像もしてなかった。
本当にやばい地震は、緊急地震速報の音の前にもう揺れるんだって知ったときの怖さ。そうじゃない時、まだ揺れてないからそれほどではと頭でわかっていても、もう緊急地震速報の音だけで反射的にビクッとなって動悸がしてしまうのは、もう一生治らないんじゃないかと思う。
もちろんこの危機感は大事なので、無くしてはいけないものでもある。
必要だけど、聞きたくない。ので、大きい地震こないでください。

テレビ

当時のあたしは仙台の電気屋さんで働いていた。
お店は壊れたものもあったけど建物は無事で、割と早い段階で営業を再開していた。当時は電気がついててお店が開いてるっていうだけで安心してくれる人もいたしとても感謝されたけど、みんなの欲しいものはあまりなかった。
最初は電池、懐中電灯、携帯ラジオ、その後、ガスの復旧が遅かったので電気でお風呂を沸かせるやつ(名前忘れてしまった)や卓上IH、ホットプレートなどなど。
あたしは時計売場の担当だったけど、時計なんて観に来るお客さんもほとんどいなくて、連日家電売場のレジ打ちに駆り出されていた。
確かそんな状況が少し落ち着いた1〜2ヶ月後。だんだんテレビなども売れるようになってきた頃、みんな少しずつテレビを見たりゆっくり過ごせるようになってきたのかなとちょっと安心してきていた。
でも、それは住居が無事だった自分だけが勝手に思っていたことだった。
休憩に入るために通った物流に並べられた、何台もの大きなテレビを見てハッとした。
全部水没してボロボロになったテレビだった。テレビは粗大ゴミで出せず、リサイクル回収という手続きが必要なため電気屋さんに持ち込まれたものだ。
テレビが水没したってことは、リビングも水没してしまったのだろう…大変な経験をしたお客様がたくさんいらしているということを、改めて考えさせられた光景だった。自分には何ができるのだろう。

仲間

あたしの働いていた電気屋さんはかなり大きかったので、たくさんの人が働いていた。
仙台のこの大きなお店には東北の各地から人が集まるけれど、やはり一番多かったのは宮城県内の人。自分や家族が怪我をしたり連絡が取れなかったり、自分の家や実家が被災した人もたくさんいた。
みんな被災者だった。
接客業だけど毎日お風呂入れる人なんて多くなくて、メイクもできなくて一瞬この子誰だっけ?とか思ってしまう事態もすごく悲しかった。
めちゃくちゃ忙しくてヘトヘトになる毎日だったけど、みんながいたからなんとか乗り越えられたよね。本当にありがとう。
今もみんな元気てありますように。

結婚式

2011年3月12日(土)は、同期の結婚式だった。
当日は結婚式どころではなくなってしまったため翌年に延期となったが、3月に誰かの結婚式があると今もその子のことを思い出してしまう。
中には同じ日同じように結婚式の予定があったけれど、残念ながら亡くなってしまったというニュースもあった。
人生の記念すべき1日を前に、何が起こるか本当にわからない。
これは完全に余談(そしてどーでもいい話)だが、あたしの大好きなさまぁ〜ず大竹さんも震災直前に結婚が発表されてめちゃくちゃ落ち込んだけど、震災でそれ以上考えることはなく済んだというのは有名(?)な話。
当時は全く結婚できそうな気配もなく人の幸せすら喜べなくなりそうなこじらせかけの人間だったあたしだが、この同期の結婚式は本当に嬉しくて楽しみにしていたので地震なんて来て欲しくなかった。
でも、参加予定の同期たちはみんなご祝儀という、普段は手元に置いているわけがない大量の現金を持っていていろいろ救われた。何かあったときの現金は貴重。あと小銭も。動いてる自販機を見つけたら小銭で飲み物を確保して。

野蒜

東日本大震災の半年ぐらい前に、一度だけ行った場所。

あの頃。

あの頃、10年後のことなんて、多分1回も考えたことがなかった気がする。
毎日に精一杯で、自分なりには頑張っていたけれど、先のことが考えられない状況って余裕があんまりなかったんだと思う。
今はどうかな?あたしは今10年後のことを想像できるだろうか。
こうやって10年前の文章を見返したりすることもあるのだから、今ここに、今思っていることを残しておいてもいいかな。
震災もそうだけど、コロナも全く想像しなかった出来事。あと、DJやったり、今は帰ってきてるけどアフリカに住んだこともこの10年で起こった。
よいこともそうでないことも、何が起こるかわからない人生だけど、まだまだやりたいことはたくさんあるので頑張りたい。
できれば先の10年までまっすぐ続けられるなにかを手にしたい。
どこにいても、誰といても、自分が自分であるようななにか。
それがあれば誰かのためにもっと何かできるような気がする。

なんかふわふわした感じになってしまったけれど、長文にお付き合いいただきありがとうございました。
皆様の明日が明るい光で満たされますように。