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映画「オペラ座の怪人」ファントムと認知の歪みについて。

これまた唐突に始まりますが、この作品、実は私は20年前に3度スクリーンで観ています。私にとって初めて夢中になった映画、と言えるでしょう。
当時小学4年生…?とかでしょうか。あの頃は毎晩のようにCDを聴き、泣きながら眠りについておりました。

さて、今回はそんな公開当時に気付けなかった、ファントムの人間らしさについて語っていきたいと思います。

当時観たオペラ座の怪人はとにかく切なく、クライマックスに希望はあまり見い出せませんでした。
ファントムについても、まるでファンタジーのような美しさと儚さ、恐ろしさを持ち合わせており、感情移入は難しかったですね。

ですが、20年越しにスクリーンで観たオペラ座の怪人、ファントムには、全く違った印象を持ちました。
私自身が大人になったからなのか、はたまた、この作品自体が、何度か観てようやく理解できるといった性質を持つのか……おそらく両方です。

ファントムとは?


まず、このファントムという存在は、当たり前ですがただの人間です。魔法使いでも、幽霊でもない。あなたや私と何も変わりません。
ただ、いくつか特殊な部分を上げるとすれば、生まれ持った奇形と、数多の才能、そして怪人と化した魂です。

作中で、再度地下へ舞い戻ったクリスティーヌがファントムに向けて「本当に歪んでいるのはあなたの魂だと分かったから」と伝えるシーンがありますね。
この記事では、その「歪んだ魂」に特に注目していきたい(願望)
私は当時、このシーンに「心が醜いってこと?どうしてよりにもよってクリスティーヌがそんなつらいこと言うの……?」と悲しくなった覚えがあります。クリスティーヌのこの言葉は、幼い私にとって大きな違和感のひとつでした。


まずは、ファントムという人間について、

①ファントムの悲惨な人生
②ファントムの行動原理

このふたつのタイトルに分けて語りますが、①②から考えて得た気付き、「歪んだ魂とは?」を③クリスティーヌの言葉 にて綴ります。

①ファントムの悲惨な人生

過去に何が?

ファントムは、生まれ持った奇形により、母親の愛情すら得ることは叶いませんでした。
クリスティーヌがファントムへ向けて「あなたは一体どんな人生を知っているの?」と歌うシーンがありますが、今作からは全てを知ることはできません。
知ることができるのは、母親の愛情を得られなかったことや、初めて身につけた衣服が仮面だったこと、それに見世物小屋での悲惨な経験です。

「いつも人に追われ憎しみを浴びる」「優しい言葉を知らず同情してくれる者もいない」「母でさえおののき忌み嫌った」、この辺りはファントムの主観なので、果たして本当に母親に愛がなかったのか、同情してくれる者がいなかったのかは、はっきりしません。
ですが少なくとも、ファントムがそう感じるに至ってしまったという事実が問題です。

若き日のマダム・ジリーが初めて彼を見つけた時には、彼は見世物小屋で虐げられていました。
おそらくこれ以外にも想像を絶する悲惨な過去を抱えているのだと思います。

「子ども」(前) - スウェーデン詩

きっと多くの人が、コンプレックスやトラウマを抱えていると思いますが、ファントムは、その塊です。
私にも、目が重たい一重!シミが多い!というコンプレックスがありますし、トラウマも持っています。
こんな私でさえ、それにより過度に落ち込んでしまったり、人生がうまくいかない…と思い悩む時があるので、ファントムの絶望は比ではないですよね。

この前、X(旧Twitter)でこのような文章を目にしました。
スウェーデンの教科書に載っている詩らしいです。調べたら、ドロシー・ロー・ノルトという方の「子ども」という詩でした。
まずは、その序盤の文章を紹介させて下さい。

批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる

殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる

笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる

皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしになる

この詩が、ファントムにものすごく当てはまると思いました。
ファントムの攻撃的な側面は、こうした、想像を絶する悲惨な過去によって生み出されたものです。
最近は、この人なんで嫌なことばっかり言うの…?と思うような人がいると、その人もファントムなのかもしれないと思うようになりました。

この作品について考えを突き詰めていくと、非常に重大な社会問題に直面するのです。

②ファントムの行動原理

認知の歪み

皆さん、認知の歪みという言葉をご存知でしょうか。
様々な経験から、物事や自分自身を歪んだ捉え方で見てしまうというものです。
コンプレックスやトラウマのある人は誰しも経験があると思います。
人に不細工だと思われている、と感じてしまったり、自分なんか何をやっても駄目だ、みんなから嫌われているはずだ……などと、根拠のない確信を持ってしまったことはないですか?
私は、バリバリあります(笑)
そしてファントムにもあるのです。

上記の記事より抜粋。

こちらの画像を見ると、まさにファントム、ですよね。
非現実的なほどにぶっとんだ解釈をしてしまう、それがファントムです。生まれた時から心を殺されて生きてきた彼は、こういった考え方しかできないよう、教育されてしまいました。

ファントムは、常に諦めの精神を持ち続けていなければ生きていけなかったのでしょうね。きっと幾度となく希望を打ち砕かれてきたことでしょう。
期待すればするほど、希望が実らなかった時につらい思いをするのは自分ですから、きっと諦めることで、自身の心を守ったのだと思います。

自信の欠如

ファントムは、クリスティーヌに対し「お前は私のもの!」などと言いながら、一貫して自分に自信がないように見えます。
何年も直接姿を現さなかったのは、醜い顔によるコンプレックス、「受け入れられるはずかない」という思い込みから来るものでしょう。
では何故、何年も隠れていたファントムがクリスティーヌに姿を見せたのか。それは、ラウルが現れたことによる焦りからでしょうか。実態として姿を現し、「ここにいる」ということをアピールしなければ、クリスティーヌを取られてしまう危機感で堪らなかったことでしょう。

ファントムが歌うThe Music of the Nightでは、自信たっぷりに夜の音楽でクリスティーヌを魅了する一方で、彼の奥底にある不安や自信のなさも見え隠れします。
ちなみに、では自身の才能に対する彼の自信は、どこから…?と、考えを巡らせてみると、容姿は煙たがられていても才能だけは周囲に認められていたのではないか?それが彼の唯一の自信に繋がったのでは?という妄想に繋がっていきます……。

ですが、彼の自信は自身の才能に関してだけ。ファントムはクリスティーヌをけして正面から抱き締めることはしません。キスもしません。愛しているとも言いません。触る時も恐る恐る、です。え…こんなにいい雰囲気なのに?それどころか、「私に仕え歌ってほしい」とか言ってる。
ファントムは、正面から自分の愛を受け止めてもらう自信がないように思います。
したいけどできない。言いたいのに言えない。きっと皆さん経験ありますよね……。
クリスティーヌをお姫様抱っこしたファントムの表情からは、焦がれ続けたクリスティーヌが自らの腕の中にいることへの喜びや戸惑い、様々な感情が見て取れます。

仮面という衣服

こんなにもコンプレックスを抱えた彼のことです。クリスティーヌに仮面を外され、パンドラ!デリラ!と取り乱してしまうのも無理はありません。
仮面は、彼の心を支える、大事な精神安定剤なのです。そして、繊細な部分を隠す重要な衣服でもある。
私たちも、いきなりズボンを下ろされたり、シャツをまくりあげられたりしたらショックを受け、怒り狂いますよね。
それも、ファントムにとっては恥ずかしいどころじゃない。人から笑われ、忌み嫌われてきた右側です。パニックになるに決まってます。しかもそれを愛する人に見られる?とんでもないです。私だって好きな人にすっぴん見られたくなかったもの!(笑)

それがファントム

さて、終始クリスティーヌの心が離れるような言動をするファントムに対し、「なんでそんなことするの!」と思った方……安心して下さい、私もです。
20年前は、そこが違和感で仕方ありませんでした。

支配人たちに対する命令や警告、カルロッタに対する仕打ち、殺人行為。クリスティーヌが首からぶら下げた指輪をブチッ!やラウルとの決闘、最終局面での卑劣な2択など……挙げたらキリがありませんね。
冷静に考えたら、そんなことをしてもクリスティーヌの心が離れていくだけなのは分かるでしょう!?(泣)
優しくすれば、人も優しさを返してくれるはず……(と、これはちょっと綺麗事かもですね)。

でも、それが分からないのがファントム。
認知が歪んでしまった彼だからこそ、こうなのです。

残忍な行いは、人にされてきたことを自分もしてしまうようになった(それしか知らない)、というのもひとつ。そして、そうすることが自衛であった、というのもまた、理由のひとつだと思います。

こんな風になってしまうほど、こうしなきゃ生きていけないほど、冷たい世間で生きてきた。
危険因子は排除し、人を従わせる側の人間にならなければいけない。自分の望みは自分で叶えなければならないし、自分の身は自分で守らなければいけない。誰も守ってはくれないから。弱い立場では、誰に何をされるか分からないから。
心を殺され続け、人を殺さなければ自身の尊厳を守れなかった彼は、人を殺すことが当たり前になり、悦びさえ感じるようになってしまった。だって、見世物小屋で彼を虐げてきた人たちは皆、笑っていたじゃない。

弱いからこそ、牽制し、威嚇する。自信がないからこそ、天使や父親のふりをする。それ以外の方法を知らない。
きっとこれまで、ファントムの周りに対話が通じる存在や、対話という手段を教えてくれる存在はいなかったのかもしれません。
悲しいほどに、どうにもしようがないのが、ファントム。
一体どれほど悲しい人生を生きてきたのでしょうね。

「子ども」(後) - スウェーデン詩

クリスティーヌは、そんなファントムに深く同情し、愛情をも向けているように感じます。
しかし、ファントムは気が付かないのです。
何故なら、認知が歪んでいるから。

ここで、先程①で読んで頂いた詩の後半部分をご紹介します。

しかし、激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる

寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる

賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる

フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる

友情を知る 子どもは
親切を おぼえる

安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる

可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

……この詩の通りであるならば、ファントムがクリスティーヌの愛情を感じ取れないのも無理はないのでしょう。
姿を現さない音楽の天使でいた頃は、愛されている実感もあったかもしれません。ですが、顔を見られてしまった以上、「この醜い顔が我々の愛を毒している」、そう考えてしまうのも致し方のないことです。
顔の醜さ故に愛されないのだ、という思い込み…それが、ファントムの心に恐ろしいほどに根を張った、一番の歪みです。

③クリスティーヌの言葉

歪んだ魂とは?

さて、20年前の私が「なんでそんなこと言うの?」と嘆いた、地下でのクリスティーヌの言葉ですが……

一度見たら忘れられない お顔
でも私はもう恐れを感じない
本当に歪んでいるのは――
あなたの魂だと分かったから

もしかして、これ気付いてなかったの私だけ説あります?(笑)
この言葉、当時は「顔ではなく心が醜い」と言っているのだと思っていました。ですが、ファントムの認知の歪みに気付いた今……

「「これって、ファントムの湾曲した思考を指摘してくれている……!!!!」」

と、全身に衝撃が走ったんです(笑)
気付いた後、劇団四季版の歌詞や、25周年ロンドン版の和訳も確認しました。英語の歌詞も確認しました。翻訳し直したりもしてみました。
ですがやはり、どれを確認しても、「顔に醜さはない」→「心に歪み(distortion)がある」と、わざわざ醜いというワードから言い換えていました。
劇団四季は歪みではなく穢れと言っていますが、穢れ=不浄 と思えば、ものすごくしっくりきます。沢山の傷を抱えて、暗く淀んでしまった、心の不浄。心の病は、昔、祟りや穢れだと思われていたそうですね。

え、皆さん、気付いてました?
気付いていたのなら、どうして早く教えてくれないの!!!!(笑)
だとしたらこれって、クリスティーヌはちゃんとファントムに寄り添おうとしてるんですよ。「苦しみは永遠に続くのだ」と感じてしまう思考そのものが歪みなんだと。顔に醜さはないのだと。めちゃくちゃ理解してくれてる。
ですが、おそらくファントムは「心が醜いと言われた…」と思っていそう。認知が歪んでいるから、言葉を正しく受け取ることができない。

マダム・ジリーの同情

さて、だとすればですよ。このシーンもすごく違和感でした。
クリスティーヌを再度地下に誘いながら、ファントムは「優しい言葉を知らず同情してくれる者もない」と言いますよね。マダム・ジリーに匿われたはずなのに、事実を曲がって解釈している。ずっと矛盾だと思っていました。
これは認知のゆがみ10パターンの5番目、結論の飛躍なんですね。事実からは導き出されないはずの悲観的な結論に飛躍して考えてしまう。
優しさを感じ取れないのには、こういう原因があったのかと、深く納得しました。
改めて、ファントムの抱える魂の歪みとは、なんて恐ろしく、悲しいものなんだろうかと、胸が締め付けられるばかりです。

まとめ

はて、ファントムの人間らしさを、うまく伝えることができたでしょうか…。

もし、皆さんの周囲に、ファントムのような人がいたらどうですか?
愛し方や、人との上手な付き合い方を学べずに生きてきた人がいたら。その人にもし傷つけられたら?
指摘できますか?もし指摘しても伝わらなかったら?認知の歪みは、自分を見つめ直すチャンスですら、気付けず棒に振るってしまいます。

私はそんな人がいたら、きっと自分の心を守るために、そっと距離を置くでしょう。
だってその人は私の音楽の先生ではないし、孤独な心を支えてくれた人でもない。その人の才能に魅了されているわけでもない。
こう考えると、ファントムに才能があったのは、彼にとって唯一の救いだったのかもしれません。

大人になって改めてスクリーンで観たファントムは、恐ろしいのに優しくて、強いのにか弱くて、笑いながらも泣いているような男性でした。
もし彼が奇形ではなかったら?もし母親に愛されていたら?もし周囲の人たちにちゃんと尊厳を守られていたら?きっとオペラ座のファントムは生まれなかったことでしょう。
彼が「愛されなかった」と嘆くファントムの母親は、一体どのような人物だったのか、思いを馳せてしまいます。

ファントムから学ぶこと

親の言動には、下手をすれば、子ども1人の今後の人生を左右してしまうほどの大きな力がありますよね。
親が未熟だと、子供もどこか未熟なまま。でも親も人間だし、完璧じゃない。
そして、そんな親にも親がいて、きっと子どもに与えられないことは、自分自身が親から学べなかったことなのではないかと、私は感じています。
(でも逆に、得られなかったからこそ与えられることもありますよね)

そして、勿論ですが親だけではありません。他人から受けた傷も心に深く刻まれます。
過去は消えてなくなりません。いつまでもいつまでも、心の中に居座り続けて、その人の人生を生きづらくしてしまうのです。
人の言葉や行動には、そんなパワーがある。でも、だからこそ、優しい言葉、思いやりのある行動、人に寄り添う気持ち、そういったものにも、人生を変える大きな力があると思います。

人を救うことは難しいです。
長年体に染みついたものは簡単には落とせません。
クリスティーヌのキスは救済でしたが、ファントムの心の泥を完全に払うことはできないでしょう。でも素晴らしく大いなる一歩であったことに間違いはないです。

私はこの作品を観て、誰かの素晴らしい一度きりの人生を奪わないよう、発言や行動に気をつけて生きていかねばならないと、改めて強く思いました。
もし目の前にファントムがいても、私にはきっと何もできないから。せめて、私がファントムを生み出す側の人間にならないように。

おわりに

文章は得意ではなく、どうしても長くなってしまいます。皆さまの限りある貴重なお時間を使い、このような長文を読んでいただくのは大変忍びないですが……どうにも私はゴールまで語り切りたい性分のようなので、この人はこういうスタイルなのね!と思って頂ければ幸いです。
オペラ座の怪人を観て、全く理解ができなかった人に届けばいいな……。自分の解釈が絶対だとはまるで思っていませんが、少しでも作品理解への手助けができたら、オタクとしてはこんなに喜ばしいことはありません。こういう考え方もあるんだ、ぐらいに感じてほしいです!

それでは、ここまで読んで下さり、ありがとうございました!

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