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映画「オペラ座の怪人」モノクロシーンの個人的解釈。

この作品は、過去と現在が行き来します。
今回は、その現在に当たる、モノクロシーンの勝手な解釈をしていきたいと思います!


シーン①オークション会場

ラウルの歌


まず序盤、オークションで、オルゴールを落札したラウルが歌いますが、25周年ロンドン版の舞台ではこうした訳になっています。

収集家好みの逸品だ
こまかい細工まで聞いていた通り
彼女がよく話してくれた
ビロードの裏張りや猿の人形について
奏で続けるのか?
私たちが皆―――死んでも

役者さんの表情や歌い方などの演技に助けられた面が多々ありますが、これを聴いて、映画版ではサーっと聴き流してしまっていたこの部分に、実はちゃんと意味が込められていたのだと実感しました。

これは、クリスティーヌが亡くなり、更にそれ以外の誰しもが亡くなっても、どこまでもファントムの深い愛が続いていくことを比喩しているのだと思います。それはファントム自身の死ですらも越えて、本当にどこまでも、です。
天才ファントムが作り出したものですから、きっと途方もないほどの長い時間、このオルゴールはシンバルを叩き続けるのでしょう。

マダム・ジリーは何故?


そしてマダム・ジリーがオルゴールを欲しがったわけは、メグのため、でしょうか。この辺りの解釈はラブ・ネバー・ダイのネタバレに繋がってしまうので控えます。

ラブ・ネバー・ダイズの原作である「マンハッタンの怪人」は、アンドリュー・ロイド=ウェバーが続編製作のために後追いで執筆を依頼したものなので、果たしてこの映画の製作時にラブ・ネバー・ダイズに繋がるような意図を忍ばせているかどうかは不明です。
ただ、仮にラブネバと繋げた時、こうだと自然かな?と感じました。あくまで私の個人的な解釈であり、完全に自分の好みで語っているだけなので、あしからず。

ラウル老けすぎ問題


ちなみに、マダム・ジリーと比べてラウル老けすぎ問題は、単にマダム・ジリーの若作りの賜物だと思ってます。マダムが女を垣間見せるシーンも出てきますし、美しくあり続ける努力をちゃんとしていそう。それになんといってもバレリーナですから、きっと日々のストレッチも欠かさないことでしょう。
あとラブネバのラウルは不健康そうなので、そこと繋げても白黒ラウルは納得の老け具合です!(笑)

本当は白黒マダムはメグ説を推していたのですが、公式様によるとあれはマダム・ジリーとのことでしたので潔く切り替えます……。

シーン②スワロフスキー

消えた婚約指輪


さて、ラウルは道中、あるひと組の男女に目線をとめます。そしてその2人が向かうのはスワロフスキー。ラウルがクリスティーヌに贈った婚約指輪もスワロフスキーのものでした。
ジュエリーを眺めながらキスをする2人を見て、屋上でクリスティーヌと愛を誓った日のことがフラッシュバックします。この回想でのラウルとクリスティーヌのキスは、きっと2人にとって、互いと交わす初めてのキスだったのでしょうね(幼少期にしていなければですが…多分大丈夫)。

スワロフスキーで購入した婚約指輪は、2人にとっての思い出の品であり、お互いの初めて誓った愛の証でもあったことでしょう。しかしその指輪は、ラウルが行き先を知っているかは分かりませんが、ファントムの元にあります。

クリスティーヌはラウルにどう説明したのでしょう。
私だったら、ファントムに奪われたまま、ということにしておくかな。でも地下で指輪をはめている状態を見られてしまっていそうですね。緊迫した場面だったので、そこまで気が回っていない…ということもありえそうですが。もしくは、置いてきてしまった、と正直に告白します(笑)

どのみち、ラウルにはきっと多かれ少なかれ、やるせない感情が残ってしまいそう。まあラウルだったら、「そんなものは新しいのを買えばいいさ」とサッパリした顔で言ってくれそうですが……。
しかし、ここであえてスワロフスキーを出す意味、屋上でのキスを回想する意味、そういった製作側の意図に考えを巡らせてみると、ラウルの悲しげな表情からは、指輪になんらかの心残りがあるようにも感じます。どこか落胆しており、諦めに近いような…。
きっと、単純に若き日を懐かしみ、クリスティーヌの死を悼んでいるだけの表情ではないのでしょう。
(※注意※単なる私の願望です)

シーン③鹿の出現

なんで鹿?


墓地へ向かうラウルの視線の先に、今度は鹿(おそらく鹿)が現れます。
これは、何かと関連付けようとしたのですが…難しかったです。あえてこじつけるのであれば、ギリシャ神話における、『月の女神アルテミスの入浴を見てしまい、言いふらすことができぬよう鹿に姿を変えられてしまったアクタイオーン』でしょうか。

ファントムは陽の光を嫌い、夜の世界を生きているため、月の女神と連想することができます。
アクタイオーンはクリスティーヌやラウル。アルテミスの入浴は、見てはいけないもの、つまりファントムの仮面の下や、地獄の天使の真実。
鹿となったアクタイオーンは、女神の裸を見たことを言いふらすことはできません。ここで鹿が登場するのは、ファントムの秘密を2人が生涯口外しなかったことを比喩しているのかな?と感じました。
という、勝手なこじつけです。

シーン④墓地

オルゴールのわけ


そしていよいよラウルがクリスの墓前に辿り着きます。Learn to be lonelyをBGM(*1)に、物憂げな表情で猿のオルゴールを供えますね。
この行動の意図は、なんだったのでしょうか。

冒頭のラウルの歌でも分かる通り、クリスティーヌは生前、ラウルに何度もオルゴールのことを話しています。これは、クリスティーヌがファントムと離れてもなお、ファントムのことを忘れられなかったことを表しているように感じました。
そして、クリスティーヌとファントムの切っても切れない魂の絆、それにラウルも気が付いていた。だからこそラウルは、ファントムへと向かっていたクリスティーヌの心を慮り、2人の思い出の品である、猿のオルゴールを供えたのかもしれません。
ファントムにはクリスティーヌの思いが込められた指輪が残ったけれど、クリスティーヌにファントムを思い起こさせるものは何も残りませんでした(*2)から。

きっとクリスティーヌの真の愛は、生涯ファントムに向けられていたのだと、そう感じていたのかもしれませんね。だとすると、一層切なく思えます。

(*1 Learn to be lonelyの歌詞にある「相手のいない愛をはぐくみ 独り生きてゆく」の部分が、クリスティーヌを失ってしまったラウルにも当てはまるように思います。この曲でラウルの孤独や喪失感を表現しているのでしょうか。)

(*2 薔薇に付いていた黒いリボンを残している?とも思いましたが、最後の火事で燃えてしまったのではないかと予想しています。)

薔薇のわけ


では、お墓に供えられていた指輪は、ファントムがどういう意図で置いたものなのでしょう。指輪ひとつではなく、あえて薔薇と共に供えられていた意図も。

ファントムは、クリスティーヌへ黒いリボンの付いた薔薇を贈り続けていました。形が残り続けるものではなく、いつか枯れてしまう薔薇であったことも、何か意味ありげに感じてしまいます。
ただただ歌姫に賞賛の花束を贈るイメージなのか、Think of Meの歌詞にも、「花は枯れ果物はしなびる すべてのものには生に輝く季節がある」とありますし、少し考えすぎてしまいますね。

そんなファントムから供えられた薔薇は、単に彼の愛情表現だと思います。
花は枯れるけれど、「愛は死なず(Love never dies)」。今でも愛している、今後も愛し続けるという、そんな気持ちのこもった赤い薔薇。
(1輪薔薇の花言葉は「あなたしかいない」。「わたしにとってあなたはただ1人の大切な存在」という意味があるそうです)

では指輪は?

指輪のわけ


この指輪は、ラウルがクリスティーヌへ贈ったスワロフスキーの指輪です。それをファントムが奪い、またクリスティーヌに手渡され、2人の別れの時にクリスティーヌがファントムに渡します。とても複雑な意味のこもった、特別な指輪です。
この行ったり来たりな指輪の解釈については、また後日投稿するとして、ここでは、ファントムが何故この指輪を供えたのかについて考えていきます。

それは再度クリスティーヌにプロポーズするため?
思い出の品を失ったラウルを哀れみ、返した?


私はこう考えます。
きっとそれは、オルゴールを供えたラウルと同じ思いなのではないでしょうか。
ラウルを愛していたクリスティーヌの心を慮り、ラウルとクリスティーヌ、2人の思い出の品、愛の証である指輪を墓前に供え、クリスティーヌに返したのだと。私はそう感じました。
2人の男が同じ思いで、自分の気持ちより、愛する人が自分以外の人物に向けた愛を優先させようとした。

私は、クリスティーヌの愛は、ラウルに向けられたもの、ファントムに向けられたもの、どちらも本物であったと思います。愛情の向く先は、必ずしもひとつだけではないですよね。
そして、ラウルがクリスティーヌを思う気持ちも、ファントムがクリスティーヌを思う気持ちも、紛うことなき、本物の愛だったというわけです。

なんとも難解な、哀しい愛の物語ですね。

おわり


以上です。
一個人の願望に過ぎないような勝手な解釈ですが、ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

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