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句養物語 蓑虫篇④

遊園地に謎の流星群が降り注ぐという未曽有の事態から、およそ二週間が過ぎていた。敷地内の広範囲において、来園者を中心に多数の被害者が出たため、近隣の病院は手分けをして患者の収容に尽力してきた。中でも、遊園地に最も近い位置にあった『みのむしクリニック』には、多数の被害者が運び込まれた。クリニックは病院に比べて病床数が限られているが、今回の緊急事態に際して、特別にベッドを増設する対応を取り、診察室のいくつかは、入院用の部屋として使用されていた。

今回の天災での被害状況は、火災によるそれと酷似していた。火傷はもちろん、落下物等による外傷、煙を吸い込んだことによる肺器官への影響などが見られたわけだが、医師たちが最も注目したのが、流星に含まれるガスが身体へ及ぼす影響についてである。救助に当たったレスキュー隊員たちは、マスクをしていたのでそこまで影響が出ていないようだったが、来園者たちはこのガスを大量に吸い込んでしまい、昏睡状態に陥っている者が多かった。しかもこのガスの成分は中々消滅せず、いつまでも体内に残留しているようだったので、医師たちは他の病院と連携してこの情報を共有した上で、全ての患者の胸部に穴を開け、ガスを体外に放出することを決定づけた。胸部の穴は縫合しても手術痕として残ってしまうが、命を救うための処置として、これが最善のものと思われた。取り出したガスは外部に漏れ出さないよう容器に保管し、研究機関へ送った。現在も科学者が内容の精査をしているが、地球上には存在しない成分だという事以外、何も分かっていないのが現状である。

こうしてひとまずは患者の体内からガスを抜くことができ、昏睡状態に陥っていた患者のほとんどが意識を取り戻すことができたが、そこから医師たちはさらに大きな問題に直面することとなる。ガスが一定期間体内に滞留しているうちに、神経に多大な影響を及ぼしていたことが判明したのだ。火傷や外傷、骨折などはいずれ完治するものだし、病院側もいつも通りの対応で良かったのだが、このガスによる作用だけは想定外のものだった。投薬しようにも、当然症例は皆無であり、どんな薬を使えば症状の進行を食い止められるのか、誰にも分かるはずもなかった。

この二週間の間に各病院へ収容された患者の症状経過を見る限り、このガスには、ヒトの脳機能を低下させる、或いは停止させるという作用が確認されていた。そして、この症状の進行は人によって個人差があった。それは吸い込んだガスの量にもよるのだろうが、一見元気に見える患者であっても、血液検査を継続的に行うことで、明らかな各種数値の著しい低下が見られたのだ。医師たちは患者に対して憶測で物を言うわけにいかなかったが、医学的に前例のないこの症状について、現時点での見解は全員同じものであった。その見解は、院内ではそれとなく共有されており、その中身を汲み取ってしまう患者も僅かながら存在した。つまり、脳機能低下のスピードに個人差はあっても、最終的に患者の脳機能は停止する、即ち『脳死』の状態に陥るだろうというのが、その見解である。病院側は患者の不安を取り除く為に、症状進行の速度に応じて、重症者と軽症者を分けて収容することにした。重症者の中には、ガスに神経を蝕まれて脳機能が停止し、生命維持の治療で命を繋いでいる者もいた。



「ちょっと、困ります!安静にしててもらわないと!」

看護師が、一人の患者を宥めている。

「だーかーらー、ボクは平気なの!それより、にーちゃんはこの部屋にいるんでしょ?会わせてよ!」

「それも困ります…。こちらのお部屋の方が、症状が重いので…」

「だったらなおさら、お見舞いしてあげないといけないじゃない!」

「あなたも患者さんなんですよ!?いったい何本、骨が折れてると思ってるんですか?」

「そりゃあ、観覧車のゴンドラごと落っこちたんだもん。骨の一本や二本くらい折れるよね。でもほら、この通りボク、外側が頑丈にできてるから!」

「いや、中身がボロボロなんですよ!」

「ははは、面白い冗談だね!」

「いや、冗談じゃなくて、ホントに…!」

「にーちゃん、開けるよ~」

「あ、ちょ、ちょっと…!」

看護師の制止を振り切るように、男性は(つまりオッサンの事であるが)、勢いよくドアノブを回し、『その部屋』に入った。

そこは元々は診察室だったところを、今回の事態に応じて入院部屋とするため、急遽ベッドなどを設えていたようだ。二床のベッドに患者が寝ているようだが、カーテンが引いてあって、中が見えない。診察室としては珍しい例だが、一番奥には大きな窓があって、きちんと採光がなされており、この日は曇ってはいたものの、朝の光を確かに感じることができていた。

オッサンは辺りをキョロキョロしてから、ポンと手を叩いて言った。

「良い事思いついた。向こうの部屋にあるボクのベッド、他の人に使ってもらっていいよ。うん、今日からボク、この部屋で雑魚寝するから。」

オッサンが突拍子もないことを言い出すものだから、看護師は慌てている。

「そんな勝手なこと、できるわけないでしょう!さっきも言いましたよね、あなただって今回の天災の被害者の一人で、立派な患者さんなんですよ!?用意されたベッドの上で、ちゃんと休んでてもらわないと、完治でき…」

看護師はそこまで言って、ハッとして口をつぐんでしまった。院内で共有されている事実に基づけば、この天災の被害者となった人で、無事に退院できる見通しの立っている人など一人もいないのだ…。『完治』という言葉は、今回に限っては虚偽になってしまうかもしれない…看護師は瞬時にそう悟った。それを見て、オッサンは優しい口調で語りかけた。

「いいんだよ。でもさ、人生って、どういう風に終えたかより、どういう風に続けたかが大事だと思うんだ。」

オッサンが急にまっとうな事を言い出すので、看護師は何も言い返せなくなってしまった。今回の天災が自らの身体に及ぼしている影響について、どこまで把握しているかは定かでなかったが、元来オッサンはそういうところは鋭いタイプだった。二週間も滞在しているうちに、オッサンなりに事態を飲み込んで、一定の解釈が生まれていたようである。

「ここに寝てるにーちゃんとは、Twitterのフォロワー同士なんだよね。ボクたちは、俳句の趣味がきっかけで仲良くなった、いわば句友なんだ。」

看護師は黙って話を聞くしかなくなっていた。オッサンの語り口から、院内のモラルを搔き乱すような悪意を感じ取ることはできなかったし、むしろ、その言動は優しさに満ち溢れているように感じられた。

オッサンはカーテンをそっと開けて、ちらっと中を確認すると、すぐにカーテンを閉め直して言った。

「にーちゃん、寝てるな。寝かせておこう。」

看護師は何か言いたそうだったが、どうにも言い出せないようだった。看護師の動揺を悟ったかどうかはさておき、オッサンは引き続き、思いついた事を思いついたまま、喋り始めた。

「そういえば、この病院、みのむしクリニックっていうんでしょ。珍しい名前だよね。」

唐突に話を振られて、看護師はあわてて反応した。

「そ、そうですね。このクリニックは、少し離れたところにある、『猫髭医院』の院長が理事を兼任されていて、こちらにもよく来るんです。理事は当然、無類の猫好きで知られていて、向こうの病院は猫のモチーフだらけなんですが、実は蓑虫も大好きでして。デフォルメされた蓑虫は、子供も親しみやすいということで、院内の至るところにモチーフがあしらわれているんです。」

看護師は話が大きく逸れたことに、軽い安堵感を覚えながら、そう答えた。オッサンも頷きながら、小ボケを織り交ぜつつ、言葉を続けた。

「ふ~ん、ニャるほどねぇ。それで病室のドアに、蓑虫を模した折り紙が飾ってあるんだね…。」

オッサンの言う通り、各部屋のドアには、デフォルメされた蓑虫の折り紙が飾られていたのだった。その指摘に応える形で、看護師は説明を続けた。

「はい。患者さん一名につき、一つの折り紙を、コルクボードにつけてドアにぶら下げています。部屋ごとに何名の患者さんがいるか、すぐ分かるようになっているんです。理事のこだわりで、これだけは全て一人で行っているんです。」

「そうだったのか~。」

オッサンは深く頷きつつも、ほんの僅かに声のボリュームを上げて、丁寧に確認するようにして、訊ねた。

「隣の部屋のドアには、蓑虫じゃなくて蝶々の折り紙があったと思うけど、あれはなんで蓑虫じゃないの?」

看護師は、一瞬息を詰まらせたあと、ふーっと息を吐いて、目の前に転がっているであろう言葉を拾い直そうとした。

「そ、それはですね…。」

しかし、オッサンが一度その言葉を遮った。

「あ、違うか。蓑虫って、蝶々じゃなくて蛾になるんだよね。って事は…あの折り紙は、蛾なのかな。」

看護師は、どこまで説明すべきか迷っていたが、オッサンの指摘を受けて、全てを話すべきだと観念した。

「仰るとおりです。蓑虫から、蝶々が生まれることはありません。しかし、あの折り紙は蝶々なのです。」

意を決したように話し始めた看護師を、オッサンは優しく受け入れるように、ただそこに立って耳を傾けていた。

「患者さまが入院されている期間は、その部屋のドアに蓑虫の折り紙をつけていて、退院された際には、それをお持ち帰り頂いているんです。しかし、最善を尽くしたうえで、どうしても患者さまの命を救えなかった場合は、お亡くなりになった日から3日間だけ、理事が蝶々の折り紙につけかえているんです。蛾ではなくて蝶々なのは、生まれ変わって来世を生きて欲しいという願いからなんです。」

今度はオッサンが、ふーっと息をついてから、看護師に訊いた。

「つまり、隣の部屋の患者さんは…」

看護師は黙って頷いてから、続けた。

「まだ、小さいお子さんでした。収容されてすぐガス抜きの処置を行うと、目を覚まして元気に色々話してくれました。しかしすぐに、ガスの残留成分の副作用と思われる症状が現れ始め、数日もしないうちに全く喋る事ができなくなったんです。その後は脳機能が低下していき、脳死状態となりました。脳死を人の死とするかどうかは、我々も含めてですが、誰にとっても決め難い概念です。ご両親は3日ほど悩んだ後、生命維持の治療を中止する決断に至ったというわけです…。」

その子供が、ゴンドラから飛び降りた少年である事を悟ったオッサンは、天を仰ぎつつ、自責の念に駆られるように言葉を絞り出した。

「ボクは…あの子を助けてあげられなかったのか…」

看護師は首を横に振って、答えた。

「いいえ。彼は話ができる間、ずっとあなたの事を自慢げに話していました。僕は絶体絶命のピンチを、間一髪のところでヒーローに助けてもらったんだ、と。あんなに臨場感溢れる言葉を聞いたのは、久しぶりでした。」

オッサンは胸に迫るものを堪えながら、その隙間を縫うようにして想いの一片を吐き出した。

「そっか…。いや、よく飛んだよ。あんなに高いとこからさ。カッコ良かったぜ…。」

看護師はいつのまにか目を潤ませながら、黙って頷いていた。オッサンは、また何かに気づいたとばかりに、話を続けた。

「それでさ、この部屋のドアには、蓑虫の折り紙が二つあったと思うんだけど。」

それを聞いた看護師の顔が、少しだけ翳った。

「はい…。そうですね…。」

気まずそうな表情で、看護師は言ったが、オッサンは努めて明るく言い放った。

「つまり、この部屋の蓑虫は、生きてる…ってことだよね!」

看護師は口を結んだまま、黙って小さく頷いた。しかし、それは本当は頷いたというより、首を横に振ることができなかった…という方が正しかったのかもしれない。言葉が探せないでいる看護師に対して、オッサンは驚くほどペラペラと言葉を紡いでいく。

「蓑虫から蝶に生まれ変わるなんて、凄いなぁ。よく思いついたよねぇ。でもあれだよ、ボクは違うからね。ボク、生まれ変わったら薔薇になるって、もう決まってるんだから。」

またオッサンが変わったことを言うので、看護師はビックリして訊ねた。

「バラ…って…あの、花の薔薇のこと…ですか?」

「そう。薔薇。それはもう…盛大に転生するからね。ファンファーレとか鳴っちゃったりして。パンパカパーン!って感じで。」

看護師は、オッサンがこの部屋で起きている事をどこまで理解しているのか、さっぱり分からなかった。もし理解しているとしたら、なぜここまで底抜けに明るいのか、色々と不思議で仕方なかった。

「なんで、薔薇なんですか?蝶々じゃ、ダメなんですか?」

看護師がたまらずに訊くと、オッサンは少し笑って応えた。

「うーん…やっぱり、薔薇ってカッコいいじゃん?それに、よく目立つしさ。目印にもなるよね。」

「目印…?何の目印ですか?」

「えっ…?ああ、いや…。」

オッサンは少し間を置いてから、二床のベッドの両方を指して、ハッキリとした口調で言った。

「この二人が蝶々に生まれ変わっても、また巡り合えるようにさ…。」


部屋の奥の窓から、しとしとと雨の降る音が聞こえ始めていた。それはまるで、泣きたくても泣けない、誰かの代わりに泣いてくれているようだった。



句養物語 蓑虫篇⑤


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https://note.com/starducks/n/nf26ae18a469a






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