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句養物語 蓑虫篇①

一体ここはどこなのだろうか。
どこまでも果てしなく続く黄金の葦原。
その葦の原野を、一隻の船が進んでいく。
甲板には二人の男がいて、船体の至る所には夥しい数の蝶が舞っていた。

”二人”とは無論、太郎とオッサンの事であるが、二人は自分たちに起きている事が全く飲み込めていなかった。船から見渡せる景色は、黄金色に揺れる葦原だけだったのだが、とにかくそれはそれは美しくて、見ていて飽きないものであった。だからなのか、二人は暫く何も語ることはなかった。

そうしてどれくらいの時が過ぎたのだろうか。二人を乗せた船は、波止場に到着した。花野にいた時は確かに老蝶だったはずの蝶が、見違えるように元気になって、あたかもさっきサナギから羽化したように若々しく見えた。その若い蝶は、我れ先にと船を出て、すぐそばにあった真っ白な立方体のような形の建物へと向かっていった。その建物には入口にゲートのようなものがあって、その内部は空間が歪んで見えた。どうやら蝶たちは、そのゲートへと進入していくようだ。蝶たちに誘われるようにして、二人もおのずとそのゲートへと歩みを進めていき、そしてほぼ同時にその”門”をくぐったのだった。

二人は屋内へと進入した。そこは一本の長い廊下のようになっていて、床も壁も真っ白だった。そして、天井には一際白い蛍光灯が廊下に沿って並んでいた。見た目には、ここがどこなのか、二人にはまるで分からなかったが、そこに微かに流れている”匂い”は、身に覚えがあるものだった。

二人はこの不思議な空間に起きている、ある異変に気がついた。それをオッサンが呟く。

「なぁ、にーちゃん。これ…蛾だよな?」

さっきまで元気に船の甲板を舞っていた蝶たちだったが、屋内に入ってからは天井の蛍光灯の周りを這うように飛び回っては、時折身体をぶつけていた。

「そうですね。てっきり蝶だと思ってましたけど、この感じは…明らかに蛾ですよね。」

「なんだか不思議なことばかり起きるよなぁ。確かに蝶だったはずのものが、いきなり蛾になっちまうんだからさ。」

「そうですよね。マスターのコーヒーは”秋蝶”ブレンドでしたから…。」

「そうだ…そうだよ。やっぱり本当は、てふてふなんだよね!」

「あれ…?でも、ちょっと待ってください。」

「なに?にーちゃん。」

「最後にもらった、あのドリンク…。」

「あぁ、あの翼を授かりそうな、アレね!あれはもう~激ウマ!!」

「確か、カップに蓑虫のマークが…」

「あ、そうだね。ん、ん~?…つまり、どゆこと?」

「蓑虫って、蝶々じゃなくて、蛾になるんじゃなかったですか?」

「お、そうかも。」

「もし、そうだとすると…」

「この蛾を追うと、蓑虫に行きつく…って寸法だね!」

「もしかすると、蓑虫から出てきた蛾が、さっきのゲートを通って外界へ出たら、蝶として生まれ変われるんじゃないかと…」

「にーちゃん、それって逆じゃん??これから蓑に戻るんでしょ??」

「はい…。普通に考えればそうですね。…でも、もしかしたら自分たちは時間を逆走しているのではないかと。弱っていた老蝶がこの建物へ至るまでの間に、若い蝶へと変化した。実はそう見えていただけで、本当は蓑から蛾が出てきて若い蝶へ化け、その蝶が老いていくというストーリーなんじゃないでしょうか。それが逆再生された映像を、自分たちは辿ってきたんじゃないかと思うんです。」

「なにそれ~!?すんごい面白いけど、もうほとんど映画じゃん!」

「もしそうだとすると、今までに見てきたあらゆる俳句の種は、その蓑から出てきたんじゃないかと。」

「あ~!!そうかも!!」

「この空間のどこかに、その『蓑』があるはずです…!」

「俄然面白くなってきたじゃないの!!」

二人は、未知の世界に飛び込んできたとは思えぬテンションで、この境遇を楽しんでいた。それは二人にとって『俳句』がそういうものであるからだ。二人の好奇心は、シンプルに、この先に何があるのかという一点へ向いていた。未来を確かめにいくこと。それは人が生きようとする時に、本能的に行うことであり、言い換えればページをめくって次にある景色を見ることだ。今、二人がめくっているページは、もしかすると次に進んでいるようで、前に戻っているのかもしれなかったが、とにかく二人は見えている道を真っすぐ進んでいくのだった。

その道は、実質一本道に等しかった。だから、二人は迷う事なく歩を進めるだけで良かった。二人の前後には夥しい数の『元老蝶』…つまり蛾が舞っており、そのうちの一匹が、少し先の床へ舞い降りたのが見えた。蛾が降り立った床には、一枚の紙切れが落ちていた。この瞬間、二人はもう次に起こることを察知していた。そして、実際にその通りの事が起きたのである。

蛾は紙切れに吸い込まれるようにして消えた。紙には、一行の詩…つまり俳句が浮かび上がったのである。


『蓑虫をひねり出したる小さき指』

(夏湖乃)


二人は少しの間、顔を見合わせて硬直した。蛾が紙に吸い込まれて、俳句が浮かんでくるところまでは、これまでの傾向から予測可能だったのだ。しかし、この紙切れと蓑虫の因果関係が不明瞭だったのと、俳句の内容と起きている事の関係性も、これまでのようにストンと腑に落ちるものではなかった。二人はしばらく考え込んでしまった。今回もすんなり行くと思ったら、何が起きているのやら全く理解が進まないのだ。

二人は俳句ばかりをじっと見ていたが、埒が明かないので、紙切れそのものをつぶさに観察し始めた。距離を縮めて見てみると、紙の表面に『折り目』があるのが分かった。

太郎は思い切ってその紙を手に取り、裏返してみると、隠れていた面は白ではなく、茶色をしていた。

「これは…折り紙ですね…」

「なるほど…。折り目があるってことは、何か折ってあったものを開いたってことになるのかしら。」

オッサンがそういって折り紙を手に取り、パズルを解くようにして、折り目を頼りに『それ』を折りなおした。ある程度手順が進んで、完成したものを見て、太郎は呟いた。

「これは…蓑虫…。かなりデフォルメされてるけど、間違いない。これは蓑虫の折り紙です。やっぱり出てきましたね…!」

「へぇ~…蓑虫の折り紙なんてあるんだね。そっか。それで、一応あの蛾は蓑へ帰った事になるわけだね。」

「これで俳句の内容も分かりました。せっかく折ってあった蓑虫の折り紙を、崩して中身を出してしまった。その自責の念みたいなものが、この句になっているんだと思います。小さき指とありますから、もしかしたら子供が好奇心から、蓑を崩したのかも。」

「おお、そういうことか!…じゃあ、きっとどこかに飾られてたんだろうね。」

二人は、辺りを見回した。すると、二人のすぐそばにドアがあって、そこにコルクボードのようなものが引っ掻けてある。どうやら、折り紙はここに留めてあったものが、何らかの理由で落ちてしまったようだ。太郎は先ほどの折り紙をそこへつけ直した。そうすることで、ドアの中央部分にこの『蓑虫』が飾られるような格好になった。

「ボク、なんとなくわかっちゃった!」

オッサンは得意げに口を開いた。

「え、何がですか?」

「これ、たぶん鍵なんじゃないかな。きっとこれでドアが開いてさ…!」

オッサンはそう言ってドアノブに手をかけ、ガチャガチャと動かした。

「あ、あれ?開かないじゃん…」

「も、もしかして逆に閉めちゃったんじゃないですか?」

太郎は苦笑いをしながらそう言ったが、実際にその可能性は否定できなかった。ドアは最初から開いていて、蓑虫が施錠の役割を果たしているのかもしれなかったのだ。しかし、もはやそれを確かめる方法もなかった。

「あちゃ~。これで道が一つ閉ざされたか~…。」

オッサンが心底残念がって言うので、太郎はフォローに回った。

「いや、蛾がこんなにたくさんいるんですから、きっと道はたくさんありますよ。それこそ、蛾の数だけドアがあったりして…」

「あ、在り得る…!!」

白くて長い一本の廊下は、端が見えないくらいに延々と続いているようだったが、太郎の解釈により、二人の好奇心は再び熱を帯びた。

そして、そんな二人の気持ちを見透かしたように、突然すぐそばに新しいドアが現れた。まるで「こちらが隣の部屋です」と言わんばかりである。それはずっとそこにあったかのように存在していたが、もはや二人はその事を不思議がることもしなかった。

「にーちゃん、お隣の部屋にも御蓑ちゃんがいらっしゃるぜ。」

オッサンは少しふざけて言ったが、実際に隣のドアにかけられたボードには、先程と同じように蓑虫を模したと思しき茶色い折り紙が飾られている。そして、折しも一匹の蛾がその蓑に吸い込まれていくところだった。オッサンはまず、ドアノブをガチャガチャと回してみたが、やはりドアは開かなかった。

それを見て、太郎が提案する。

「やはり開かないですか…。折り紙を開いてみますか?」

「うん、そうだね。もしかしたらドアが開いちゃったりして?」

太郎に言われて、オッサンが蓑虫の折り紙を開いてみると、先ほどの蛾は中にはおらず、代わりに俳句が記されていた。


『蓑虫の蓑はやはらか色香満つ』

(でんでん琴女)


「うひゃ~…なんか艶やかな句が出てきたけど…!蓑虫の蓑をやはらかと捉えている辺りに、オリジナリティを感じるなぁ…。」

「なるほど。なんとなく分かりましたよ。」

「え、ウソ。何がどうしてどうなったの?」

「今までの傾向から言って、これはたぶん、ペアリングされていますね…」

「あ、ああ!お隣の部屋の俳句と…そういうことか!」

「つまり…蓑の中身を出してみたくなるほど、蓑自体に色香が満ちていた…ということでは。指の主が誰なのか、新しい想像の余白が生まれてしまいますが…。」

「お、おおお~!それっぽい!かなりそれっぽい!!」

「でも…」

「でも…?」

「開かないですね、ドア。」

「ん…?…あ、そうか。ホントだ。」

太郎が言ったように、蓑虫の状態は、ドアの開閉と関係してはいないようだった。しかし、だからと言って道が閉ざされてしまったわけでもなかった。二人はこの建物長い廊下を、ほんの少し進んだだけだったからだ。

「ま、次行ってみよう、次!」

オッサンはどこまでも気楽に構えていた。そして、太郎も同じ気持ちだった。俳句という共通の趣味は、どんな環境においても二人にとって『アクセル』でしかなかったのだ。

そうして二人は、またしばらく歩を進めた。廊下はずっと真っ白で、ここまでにどれくらい進んできたのか、この先にいかほどの空間が広がっているのか、全く定かではなかった。それでもとにかく二人は進むしかなかった。二人とも、本能的に『振り返る』という選択肢を除外していたのかもしれない。なぜなら、次に見つかるドアには蓑虫の折り紙があって、そこにはきっと蛾が吸い込まれていき、それを開くことによって新しい俳句に出会えるに決まっているからだ。この二人が前進するということは、新しい俳句に出会うということに他ならないのだ。言葉を交わすまでもなく、二人はそう信じて歩いていくのだった。



句養物語 蓑虫篇②


句養物語の起点を見返してみる…流れ星篇はこちら

https://note.com/starducks/n/n2dcc48286ca5

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