見出し画像

句養物語 流れ星篇 第1話

【1】

「愛」という言葉を聞いて思い浮かべるものは何だろう。人間の喜怒哀楽という感情は、この言葉に集約されていると言う意見も多いのではないだろうか。どんな人生を、どんな人間関係を伴って過ごしたかによって、「愛」の解釈は変わってくるかもしれない。


さて、この話は、あなたの知っている現代よりは少し後の時代だと思って欲しい。ご存知のように、権力者が一度間違った方向に舵を切るだけで、世界は全くの別物になってしまうわけだが、だからというか、やっぱりというか、人間は争うことを止めなかった。そして、戦争ばかりを続けたせいで、世界は滅びかけたのだが、過ちを冒した人類はその埋め合わせとして、地球上に占める自分たちの割合を減らし、生産的なことは全てアンドロイドに任せるようになっていった。そうした流れにあっても、今まで通りのやり方を好む人は一定数いたが、全てを自分の手で執り行う人はかなり珍しい存在になっていた。

ところで、あなたは俳句というものをご存じだろうか。世界で最も短い詩とも呼ばれ、575の17音を基本のリズムとする一行詩である。似たようなものに川柳というものもあって、話がややこしいのだが、俳句には「季語」を入れないといけないのだ。季語とは、四季の移ろいを味わうキーワードのようなもので、その種類は年々増えているそうだ。

実は近年、「愛」という言葉が秋の季語になった。なぜ愛が季語なのか、愛なんていつだって存在する概念なのに…そうあなたは思うかもしれない。しかし、昨今の「愛」を取り巻く環境は劇的に変わったのだ。度重なる世界戦争の果てにできあがった、新しい人間関係の在り方の中で、愛は少しずつ形を変えていく。争い合って、騙しあって、人間は人間を信用する事から距離を置いてしまう。その結果としてアンドロイドは実生活に多く取り入れられるようになったのだ。そういう背景もあって、人間同士の信頼が薄れた事から、それは「あって当たり前のもの」ではなくなってしまった。

しかし、だからといって、人間の心の中から愛が消え去ったわけではない。むしろ、「愛」というものが溢れかえっていた過去とは異なり、一年の中でも特に心情的になると言われる秋という季節に、それが際立って感じられるようになったという方が正しい。こうした流れの中で、「愛」という言葉は自然と、秋の季語として詠まれるようになっていったのだ。この話は、その流れの中にある一つの象徴的なエピソードと言えるだろう。


太郎は、狭いアパートで彼女の明美と同棲している。しかし、それも今日までの話で、二人は明日からは心理的に、かつ肉体的にも離れ離れになってしまうことが決まっている。太郎と明美の「愛」は契約によって生まれたもので、その契約が切れるのが、今日だからだ。

この時代においては、「愛」は実にインスタントな代物である。太郎は約1年前に、明美というアンドロイドとの「愛」を購入した。その契約は1年間だが、契約を満了するには、秋の晴れた日の夜に、契約満了の「儀式」をする必要があるのだった。


「ねぇ、太郎。またこんな石が落っこちてきたんだけど。」

明美はダルそうに身を捻りながら、太郎へ石を差し出した。

「お、センキュー」

太郎はいつもの軽い調子で応え、石に視線を落とした。そして彼が「それ」を見る前に、明美は彼に問いかけた。

「ねぇ、今度は何て書いてあるわけ?」

「ん?…ああ、ちょっと待って。今、読み起こしてみるから」


『流れ星九日ぶりに晴れた空』

(里山子)


太郎は、石に刻まれた「俳句」を読み上げた。明美は悔しそうに言う。

「確かにずっと雨だったわね。なんか知らないけどムカつくわ!」

「別にいいじゃないか、真実なんだから。」

太郎は明美を宥めるように言った。

なぜ石に句が刻まれているのか、実はその仕組みは解明されていない。分かっているのは、この「俳句石」の正体が、地球へ降り注いできている流れ星であるという事だけだ。

流れ星とは言ったが、要するにそれは見た目は単なる石ころで、地球の外から入ってきた宇宙の塵のようなものである。そして不思議な事に、落ちてきた石へ神経を集中させて一点を見つめていると、石の表面にふわっと文字列が浮かび上がって来るのだ。しかも、それは必ず「俳句」になっている。

人為的なものなのか、はたまた神がかり的なものなのか、理屈も目的も全然分からないが、この流れ星が、俳句というある種の情報を介在させて、この地に降り注いでいることだけは紛れもない事実であった。

この不思議な現象はもう随分と続いているものの、名だたる科学者の英知を結集し、どんなに研究を重ねても、一切解析できないものだから、その真相に対する興味は徐々に薄れていき、理屈はともかく「そういうもの」なのだと認知されていき、この石に刻まれた句を見るのを純粋に楽しむ人が増えていた。俳句好きな太郎はその筆頭のような存在で、石のコレクションはもうかなりの数になっているのだった。

そんなわけで、太郎の住むアパートのそばにも、石がたくさん落ちてきているわけだが、アンドロイドである明美には、なぜだかその文字が読み取れない。太郎が一人で俳句を楽しんでいるようで面白くないし、今日のように書いてある内容がビックリするほど真実に則していたりするので、余計に面白くないのだ。彼女にこういった心情が生まれるのは、アンドロイドでありながら、人間と過ごしているように感じられるよう、精巧にプログラミングされている証拠でもあったが、太郎は明らかにこの「精巧な愛」よりも「単なる文字列」の方に熱があるようだったし、明美はそれを心底嫌がっていた。

先程の石に刻まれているように、9日ほど雨がずっと降っていたので、二人は洗濯物が全く干せなかった。しかし買い物には行かないといけないので、二人は交代で担当していたのだが、明美は「私はアンドロイドだから」と言って、傘も持たずに買い物に行ったりした為、びしゃびしゃになって帰って来ることも多かった。服の持ち合わせが足りなくなると、太郎のシャツを借りたりしていた。こういった恋人感覚のやりとりも、今日雨が上がって晴れた夜空になってしまった事で、ちょうど終わりを迎えるというわけである。


「で、そろそろ出るんでしょ?」

明美はふてくされたように言った。

「そうだね。そろそろ行かないと。夜が明けるとマズイから。」

「ねぇ、なんで契約延長しなかったの。もう一年くらい一緒でも…」

「だってさぁ、明美は俳句嫌いじゃん。」

「うるさいわね、私には見えないものだからでしょ」

「でも、俺は全部ちゃんと読んであげてるじゃないか」

「そういう問題じゃないのよ、全く。だからあんた人間の恋人ができないんでしょ!」

太郎は怒ることなく、「図星だ」と言わんばかりにおどけて見せた。明美は最後くらい、怒らせてやろうと思っていたのだが、こうしていつも通り軽くかわされてしまったのだった。

「じゃ、行こうか」

それが最後のデートの始まりを意味している事は、二人とも理解していた。契約は契約なのだ。このデートが終われば、二人は二度と会う事はない。明美はこの最後の時間を太郎と過ごすことに、喜びを覚えていた。なんだかんだ言っても、この男は明美にとって魅力的に見えていたのだ。それは、プログラミングのせいだと言ってしまえばそうかもしれないが、明美にはそうは思えなかった。1年という時間が「愛」を育んだ…そう認識していたからだ。それなのに、彼と来たら明美よりも俳句の方にぞっこんなのだ。彼の大好きな俳句の世界では「愛」が秋の季語として認定されているのに、今まさにその「愛」を終えなくてはならないなんて、到底納得いくものではなかった。しかし今、彼女にできる事は、彼と共に最後の時間を過ごすという「契約」を全うすることだけだった。

こうして二人の最後のデートが幕を開けた。


↓第二話へ進む

https://note.com/starducks/n/n271e54d0b9dc


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?