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句養物語 蓑虫篇②

オッサンと太郎はただ歩いているだけなのに、楽しくて仕方がなかった。俳句石と蝶石に続いて、今度は蓑虫の折り紙に俳句が記されていると分かり、早く次の句に出会いたいという一心で歩を進めていたからだ。辺りは相変わらずの真っ白な空間で、二人がどれほど進んだのか、俄かには分かりづらい状況ではあったが、道は依然として一本で、分かれ道はなさそうだった。入口からずっと舞っている『蛾』も、二人に寄り添うように同じ道を進み続けている。

やがて、二人の前にドアが二つ現れた。二つのドアの二つ共に、蓑虫を模した折り紙が飾ってある。そして、二人のそばを舞っていた『蛾』のうちの2匹が、その蓑へと吸い込まれていったのだった。

オッサンがすかさず呟いた。

「入っていったね。今回も準備オッケーってとこかな?」

すぐに太郎が応える。

「そうですね。お手並み拝見と行きましょうか。」

ドアは横に並んでいたので、二人はそれぞれのドアの前に立ち、同時に蓑虫へと手をかけた。前回の件で、この二つはペアリングされているに違いないと踏んでいた二人は、同時に折り紙を開き、句を読み上げたのだった。


『蓑虫を助けておればカンダタも』

(山川腎茶)


『クラインの壺蓑虫のうしろ前』

(みづちみわ)


意気揚々と句を読み上げた二人だったが、出てきた句は思ったより遥かに難解だった。

「う~ん、これは…。にーちゃん、わかる?」

「いえ、さっぱり分かりませんね、これは。」

「とりあえず…この『カンダタ』ちゃんは、人の名前っぽいよね。」

「クラインの壺というのは、捉えようのない形をしているもののことだったような気がします。ちょっと定かではないですが…」

「あぁ、なるほど。確かに、蓑虫って、今どっち向いてるのか、分からないもんねぇ。でもそこには、捉えようのない『自我』があるような気がするなぁ。」

オッサンの解釈に、太郎も大きく頷いた。

「クラインの壺が捉えようもないものだとして、こっちのカンダタさんは一体何者なんでしょうね。」

「ボクとしては、クラインの壺でもカンダタの壺でも、どっちでもいいんだけど。」

「蓑虫を助けてあげなかったばっかりに、カンダタさんは…」

「壺に閉じ込められちゃったのかもね~。カンダタちゃん、結構悪い人なのかもよ。」

「いや、可哀想なので、壺の中に蓑虫の糸を垂らして、助けてあげましょう!!」

「あ、ナイスアイデア!あれって結構な強度らしいから、助けてあげられると思うよ!」

「なんだか、我々の知らないドラマが、その壺の中にありそうです…!」

「そうだね。でも、俳句の鑑賞としてはここまでが限界じゃない?」

「そうですね。次、行きましょうか。」

ここでオッサンがあることに気付いた。

「あ、しまった!鍵の確認してないね!」

「そういえばそうでした。俳句に夢中になってて、すっかり忘れてましたね。」

二人はそれぞれの前にあるドアノブを回してみたが、共に開きそうな気配はなかった。

「あ~、またこれ、閉めちゃったパターンかも。」

オッサンは悔しがったが、太郎はなんとなく、ドアは元々閉まっていたと感じていた。

「どうでしょうね。次のドアが現れたら、最初に試してみましょう。」

「よっしゃ、じゃあ次行ってみるか!」

二人はこの真っ白で不可思議な空間にあって、底抜けに明るかった。俳句という共通の趣味があるだけで、二人は何の不安を抱くこともなく、時間を先送りすることができたのだ。


二人が歩き続けてほどなく、今度はドアが三つ同時に現れた。先ほど同じように、ドアには一つずつの折り紙がある。お決まりのパターンと言わんばかりに、それぞれの中に蛾が吸い込まれていくのが確認できた。

「にーちゃん、これどうする?今度は三つだよ。同時には行けないなぁ。」

「そうですね、無難に一個ずつ開けていきましょうか。」

二人はとりあえず一番近くにあった一つ目の折り紙を開いてみる事にした。

太郎が中にあった句を読みあげた。


『蓑虫や別れ話は沈黙に』

(新開ちえ)


「おっと…これは切ないなぁ…」

「そうですね…。何か言って欲しいのに、何も言ってくれないんでしょうかね…。」

「隣にいる人を見ることができなくて、ただ枝にぶら下がった蓑虫を見てるのかも…」

「でも、蓑虫は何も返してくれなくて…」

「せ、切ない…」

「次、開けましょうかね…」

「うん、そうだね、今度はボクが開けてみるよ。」

二人は句の内容にダイレクトに影響されながら、心の動きが次の句で好転してくれることを願っていた。その希望を胸にオッサンが次の句を読む。


『くたびれて蓑虫にまで嫉妬する』

(里山子)


すかさず太郎が口を開く。

「あぁ、くたびれてしまいましたね…」

「そうだね。別れ話がもつれた挙句、長い沈黙の果てに、恋そのものに疲れてしまったのかな…。」

「きっとそうですよ。それで、蓑虫よ…お前は気楽でいいよな…なんて、愚痴をこぼしているのかも…。」

「嫉妬しているってことは、蓑虫に劣る現状にいるってことだろうからなぁ。これは相当つらいなぁ…。」

「蓑虫は、蓑の中でしか過ごせない不自由さがあるけど、それを受け入れて生きてるんですよね。」

「ってことは、その蓑虫の生き方と、くたびれてしまった自分の姿を対比させているのかもね。」

「はい、悩んでばかりいる自分に、劣等感みたいなものが芽生えたのかもしれません。」

「でもって、次の句を開けると、答え合わせができちゃうのかもね…!」

オッサンはそう言って、次の折り紙を開いて読み上げた。


『蓑虫は蓑の身のまま歩みけり』

(嶋村らぴ)


太郎は少し笑って言った。

「ははは、今度は歩き出しましたよ!」

オッサンも嬉しそうに続いた。

「蓑から足でも生えたのかな…!」

「これ、『みの』って三回韻を踏んでますね…!しかも『み』だけなら四回ですよ!」

「おお、本当だ。すげぇ!」

「三つの句が連作だと仮定してみると、着地としても面白いというか。」

「蓑虫はじっとしてるだけで悩みもなくて、いいよなぁ…なーんて嫉妬してたら、スタスタ歩きだしちゃうんだもんな!」

「歩むという動詞は、人間でいうところの生きるに該当しそうです。」

「そうだね、本当に歩くわけじゃないもんね。」

「そう考えると、主人公は恋に破れて、傍らの蓑虫に嫉妬しつつも、その姿を見つめるうちに、翻って自分らしく生きることの意味を悟ったように思えます。」

「おおぉ~、そうかもね!」

「もしかしたら、最初は脈絡もなくそれぞれ存在していた句を、誰かがこうやって並べることで、違った角度から句を楽しめるようになっているのかもしれません。」

「なんかラジオDJみたいだなぁ…。」

オッサンは言いつつ、すぐに続けた。

「ボクたちも、歩かないとね。」

「そうでしたね。」


二人はもはや、ドアの開閉を確かめることすらしなかった。理論的に考えたのではなく、直感的にそうしたのだ。仮にこのドアが解錠されていたのだとしても、二人は開けて道を変えることはしなかっただろう。二人とも、どうしてこんなことになっているのか、もちろん分からない。しかし、外界から閉ざされた道を嬉々として進んでいく姿は、まるでこの空間という蓑の中で、自分らしく歩いているように感じられ、ちょうど先ほどの蓑虫の句から感じられた『生き方』にも重なるようだった。

辺りは真っ白なまま、まっすぐと廊下が伸びていて、二人の男とその周りを舞う蛾だけが、この空間を動かしているようだった。そして二人は、次のドアを探して淡々と歩みを進めていく。そのせいだろうか、いつの間にかあれほどいた蛾が、残り『数匹』になっているという事に、全く気付いていなかった。


「にーちゃん、次こそは楽しい感じの句が見てみたいよなぁ」

「そうですね、蓑虫のイメージから、なんとなく内容が寂しいものに偏っていくんでしょうけど…。」

「お?そんなこと言ってたら、ほら、おでましじゃないの?」

オッサンがそう言った先に、突然ふわっとドアが浮かび上がったようだった。先ほどは三つ同時だったが、今回はどうやら二つだけのようだ。

「二つですね。てっきり四つ来るのかと思ってましたよ。」

太郎が少し笑って言うと、オッサンも便乗した。

「だよね。その辺の法則性とかはないのかねぇ…?」

二人がドアの近くまで来ると、辺りに舞っていた数匹の蛾のうちの2匹が、いつものように折り紙へと吸い込まれていく。二人はそれを見届けると、順番に折り紙を開いて句を読み上げた。


『蓑虫は絶望の風と鈴なりに』

(万里の森)


『老木の蓑虫千の鼓動沸く』

(猫髭かほり)


二人はそれぞれ順番に句を読み上げたあと、神妙な顔つきでお互いの言葉を待った。沈黙に堪えきれなくなったのか、オッサンが先に口を開く。

「絶望の風…って…なんじゃらほい?」

太郎もまた、解釈に苦しみつつも、なんとか言葉を探そうとしていた。

「絶望ってことは…望みが絶たれると書くわけですから…」

「蓑虫にとって何か宜しくない事が、風に乗って届いているのかな。」

「難しいですけど、中七の絶望という鋭い言葉に対して、下五の鈴なりは、生命力に満ちた、優しい感じがしますよね。」

「で、その二つを助詞の『と』が繋いでいる…と。」

「でも、この時点では、この蓑虫は生きているかどうかすら分からないんですよ。鈴なりになって風に揺れているけど、もしかしたら中で絶望に打ちひしがれて、どうかなっちゃってたりするのかも…って。」

「で、次の句が隣にいるわけだよな。」

「はい、その通りですよね。ちゃんと生きてたわけですよね。」

「うん、絶賛沸騰中だね。」

「いや、やかんじゃないんですから…。」

オッサンが挟んできた小ボケを、太郎は律儀に拾ってあげた。

オッサンはゴメンゴメンと言う代わりに、軽く手を挙げて応えると、鑑賞を続けた。

「老木という言葉は、さっきの絶望に比べたらだいぶ柔らかいけど、命の終わりを連想させる言葉だよね。」

「そうですね、枯れ果ててはいないまでも、衰えを感じさせますからね。」

「蓑虫が老木と一つになることで、木には無いはずの鼓動が聞こえてくるなぁ。」

「でも、この二つの句が並んでくれていたおかげで、解釈が進みやすくなりました。一緒にして考えてあげたら、バッチリ繋がります。」

「そうだね。老木と鼓動の対比だけでも、相当なコントラストだと思うけど、絶望の風と鈴なりにっていうのを加味して鑑賞したら、より深く味わえるのかもね。」

「沸くという動詞も、さらにコントラストを強めてくれています。」

「お蓑ちゃんたち、ちゃんと生きているんだなぁ…。」

「蓑虫がああいう形してるせいで、実態が掴みづらいですよね。」

「そうそう、生きてるかどうかすら怪しい。でも、生きてる。」

「絶望の風も、その命をこぼすまでには至らないってことですね!」

「うん、そうだね。なんとなく腑に落ちたわ。行こう。」

二人が熱をあげている俳句というものは、17音という制約があるせいで、鑑賞する方も真剣に臨まないと、作者の句意を汲み取れないということが往々にしてある。しかし、今回は何故か句がペアリングされているおかげで、二人は自分なりの解釈というものに、スムーズに着地することができていたのだった。17音と17音を足した所で34音にしかならないが、二人が真剣に句と向き合って鑑賞をしていることもあって、句をセットで鑑賞する度に、二人の中にストーリーは大きく大きく膨らんでいくようだった。蓑虫という季語の、中身が見えないという特性が反作用して、二人の想像する景色は広範囲に渡って広がっていき、まるで目の前の俳句に命を吹き込んでいるかのように思えた。

石や紙に書いてある俳句は、何の為に存在しているのか分からない。しかし、もしそこに何らかの意図があるとすれば、俳句が好きな人に鑑賞してもらいたいという純粋な気持ちではないだろうか。特に蝶石と折り紙の句は、ペアリングがされていた。それはまるで、両者が寄り添って一つの物語になろうとしているかのようだった。一句の中で一度は完結したものが、他の句と出会うことで、別の結末へと辿りつく。運命の行先は決して一つだけではないのだ。二人の行先も当然分からないのだが、二人が見てきた句は、その心を大きく動かしたという事だけは断言できる。もしかしたらそれは、予め用意されたものとは別の結末を、二人に見せてくれることになるのかもしれない。


句養物語 蓑虫篇③ 

https://note.com/starducks/n/nf26ae18a469a


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https://note.com/starducks/n/nbccdc771f8d1











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