【特別寄稿】俳並連24hスペースに寄せて

ご無沙汰しております。
俳並連鳥支部部長の、恵勇です。

この度、旧Twitter(←意地でもXとは言わない)にて、我らが俳並連主催による企画、FM81.73 24時間スペース「並は世界を救う!!」が行われる事になりました(もしくは、プレイなうです。もしくは、既に執り行われました)。

メンバーが代わる代わる登場しては、思いの丈をぶちまける素敵な企画ですが、今回スケジュールの都合により、参加を見合わせざるを得ませんでした。個人的には、ラジオパーソナリティに少なからず憧れもあるので、24時間のうちの、23時間くらいは喋り倒してみたかったのですが、残念ながらその願いは叶いませんでした。

この俳並連というグループは、代表であるヒマなんとか氏が思いつきでなんとなく立ち上げてから、ぼちぼち3年経とうかという物好き集団です。で、実は自分は、このグループの立ち上げメンバーの一人でもあり、こういった機会に何もせず、単なる傍観者に甘んじてしまうのは、実に不本意な事であったりもするわけです。なので、スペース上でダラダラと喋り倒す夢を諦める代わりに、このnote上でダラダラと書き殴るという代案を採用しました。もちろん、スペースの時間を侵害しない以上、誰にも報告する義務がないため、今から勝手に書きたい事を書いて、勝手にアップしたいと思い、このペンを執った所であります。

さて、何を書きましょうかね…(爆)。

いや、いつもであれば、noteに記事を上げる場合、公開前に入念な推敲をしてからになるんですが、今回はちょっと趣旨が異なりますから、話の筋道が定まらないのも、仕方がないと言えば仕方がないという話です。

本来であれば、音声でお届けしたかったものを、文字情報に変換して記録として残す、というのがこの寄稿の趣旨になりますので、やたらダラダラ書いてるのはその為なのだと、ご理解頂けたら幸いです。


さて、それでは本題に入りましょう。

俳並連には色んな人がいて、各自が俳句に対して、色んな付き合い方をしているのですが、このグループの特色の一つとして、その辺りのルールは物凄く緩いです。言い換えると、俳句が好きであれば、どんな付き合い方でも容認されてしまうグループなんです。俳並連の正式名称は、俳句ポスト並盛連盟と言うので、俳ポへの投句は必須なのかと思われますが、別にそんな事はないです。律儀に事前句会もやってますが、それに必ず出ないといけないわけでもないし、グループ全体のスケジュールが、個人の生活リズムにまで影響を及ぼす事はないのです。その辺りは極めて自由で、個々の事情に関してかなり寛容であるというのが、このグループが快適である所以にもなっていると思います。

ここまで前置きした上でお伝えしますが、自分は今、俳句というものから、かなり距離を取った生活をしています。理由を語ると23時間くらいかかるので、細かい話は自重しますが、結論から言うと、グループ内で行われている全ての句会に不参加な上、各種投句先についても、相当気が向いた時にしか出さない方針を採っています。なので、最近入って来た新メンバーの皆さんの中には、今回初めてこの『恵勇』を知る人もいらっしゃるかもしれません。

まあ、多少具体的に書いた方が良いので書いてみますが、俳句ポストの『八月』の回だけは、心の中にある平和の分火がメラメラと燃えたいたのを確認したので、投句してみましたが、あとは出したかどうかも含めて、あまり覚えていないです。出しているとすれば、岩波か聞ける俳句くらいでしょうか。

もう少しだけ詳しく書くと、気が向いた時だけやるというのは、一見ずぼらに感じるかもしれないですが、そんな事はないのです。むしろ、スケジュールという概念に縛られて、期日に追い込まれていないと作句できないという体質の方が、よっぽと不健全だというのが自分の考えです。当然の事ながら、それに対して反対の意見を持つ方もいらっしゃいますが、それは俳句というものを真剣に勉強したい人に限るのであって、趣味というレベルで楽しんでいる人にとっては、必ずしも正解ではないという話です。それも含めて、俳並連はどちらの考えに対しても寛容です。事前句会は勉強したい人の為に運用され続けているし、自分のように究極のマイペース型で、ほぼ幽霊部員みたいになっていても、自分の尻は俳並連の『席』に張り付いたままになっているのです。その事で除け者にされたり、付き合いが疎遠になったりするわけでもないのです。

その証拠に、ついこの前、俳並連鳥支部緊急集会というものを開催し、仲良くお喋りしてきたばかりです。集まった三人は、それこそ鳥好きという一本の太い筋は通っているものの、俳句との付き合い方、その現状はそれぞれ異なっていました。その違い、その現状を確認、認識した上で、お互いの存在価値を認め合えた、そんな素敵な会になったかと思います。

さて、俳句との付き合い方は、それぞれ違って良いのだという事がお分かり頂けたかと思います。ここからは、自分の場合の話です。

俳句が好きな人、というのは、俳句の中の、何かに魅力を感じているわけですが、これもまた個人差があって然るべき話です。その中で、自分が着目したい点というのが、俳句を通じて褒められた時に感じる『幸福感』についてです。

実は自分は、この『幸福感』の正体が、二つあると考えているのです。

その一つ目は『憧れ』です。

俳句には素晴らしい先人の句がありますが、それらは往々にして歴史的な価値や、文学的価値の側面が大きく、全く異なる時代背景を生きる我々が憧れを抱く対象としては、必ずしも身近なものではなかったと思います。ところが、プレバト以降の俳句人口の急激な増加に伴い、現代という身近なステージ上に、憧れの対象となり得る俳人を多数見つけられる時代になりました。また、俳ポ等々の投句企画が続々と俳句の門を開いてくれたおかげで、俳人レベルでの憧れはもちろんの事、特選や天などの相対的評価が開示され、俳句単体レベルで『自分もこういう風に詠みたい』という憧れを抱きやすくなりました。さらには、SNSや句会ライブなどのコミュニケーションが増加するに伴い、自分が実際に憧れている存在に触れたり、自分の好きなタイプの句が生まれる瞬間に立ち会う事すらできるようになりました。

このように、俳句界隈が急速な進歩を遂げる中には、自分の中の憧れを満たしやすくなって来ているという側面があると思います。そういった作品や作者に触れて、それを参考に努力して生み出した自分の句が褒められた時、自分がその『憧れ』に近づく事ができたと、実感できるようになっているというわけですね。

これが、俳句を通じて褒められた時に感じる、幸福感の一つ目の正体です。

で、問題はもう一つの方ですが、こちらはもしかしたら、共感の幅が狭いかもしれないという事を、予めお断りした上で説明させて頂きます。

自分は、俳句を通じて褒められた時に感じる幸福感について、『憧れ』と対を為すもう一つの要素を、『自尊心』だと考えています。

先述の例が、誰かに憧れて、自分の表現方法をそちらへ寄せて行くアプローチであるのに対して、こちらは、自分の内側にあるものを正解とし、それを表出させる方法として『俳句』という手段を選んでいるというアプローチになります。他者と自己の差を埋めていく道程は、言うまでもなく果てしないですが、実はそれと同じくらい、自己の内面から詩の欠片を摘み取るのは、骨の折れる作業なのです。しかし、そのアプローチで『特選』を頂くような事があれば、そこに生まれるであろう筆舌に尽くしがたい幸福感は、容易に想像する事ができます。

誰かの背中を追いかけるのではなく、自己の深奥に眠る石ころを拾い上げ、それを磨いてみたら、それは希少な鉱石のようなものであった、と。自分ではそれを詩の原石だと思って投句してみたところ、選者の物差しから見ても、その塊は詩的輝きを持って結球していると評価された。これが『自尊心』パターンの幸福感の正体です。

では、何故このように二通りに分かれるのか、という話ですが、それは完全に文芸の嗜み方の違いが影響していると思います。インプットとアウトプットの割合の違いが、そのままその人の幸福感のバランスを決めているのです。そのバランスが仮に半々であれば、両方の幸福感を等しく味わえる事でしょう。

この話を、不思議に感じた人もおられるかもしれませんが、物凄くシンプルな話です。自分は趣味で物書きをしますが、その際、他人の作品や作風は一切参考にせず、自分の中にあるものを具に観察し、なるべく大勢の人に伝わるように書く事に努めます。即ち、自分は文芸に対して、極端なアウトプット型なのです。自分の中に憧れがあるとすれば、それは未来の自分自身であると、本気で考えているのです。それはもちろん、俳句という手段でそれをする際も、同じ事なのです。

少し回りくどい言い方かもしれませんが、自分の内側から出てくるものを褒めてもらえるという事は、自分の子が褒められている感覚に近いです。他の誰よりウチの子が可愛い…なんてよく言いますが、ことばに関しても、その理屈を適用しているという事だと思います。

まあ、そういう人もいるんだな、という認識で済む話ではあるのです。しかし同時に、インプットとアウトプットの心地よいバランスは、俳句を楽しむ人々にとって千差万別です。不変なものと言えば、選者の物差しくらいじゃないでしょうか。それは不変である代わりに、誰一人として同じ物差しを持っていません。もしかしたら、自分自身の物差しと似ている人が、どこかに必ずいるのだという事かもしれません。

もしかすると、自分のように極端なアウトプッターにとっては、新しく投句先を開拓する事は、可愛い我が子を褒めてくれる人を探しに行く事に似ているかもしれません。しかし、これを敢えて例え話のまま続けるとすれば、我が子を褒めてもらう事は最終的な目的にはなり得ません。この場合の目的とは『彼が彼らしく生きる事』であり、『自分のことばを自分らしく表現する事』です。間違っても、その環境に応じて、自らの作風を迎合する事ではありません。

自分が最も興味があるのは、『自分自身の物差しがどうなっているのかを知る』という事であり、他人の物差しをまじまじと観察する事ではないのです。


この話をご理解頂いた上で、お話したいのですが、先日自分は、生まれて初めて『特選』というものを頂く事ができました。それこそ、我が子を褒められたような気がして嬉しかった反面、実はその事が、一旦俳句と距離を置くきっかけにもなってしまったのです。

その句は確かに、選者から特選の評を頂きましたが、それは実は、他所で没になった句だったのです。

皆が異なる物差しを持っているせいで、誰かにとっての最低評価が、誰かにとっての最高評価に置き換わったり、その逆のパターンが発生したりする。投句サイトは乱立していますから、常にその可能性を孕んでいますよね。

頭ではそれを理解していたつもりですが、ここまで差が大きいとなると、運の要素が大半を占めてきて、ガチャを引いているような気さえしてきます。もちろん、そのお題に対して真剣に向き合って作句したその過程に、俳句に対する向上心がなかったといえば嘘になります。ですが、自分のようなタイプの人間にとっては、自らの中にある詩の欠片が一番輝いていられる場所を、自分で決められないのは、とても苦しい事なのです。

例えば、鳥籠に押し込まれて、自由に羽ばたける鳥などいません。その状態から発せられた囀りは、果たして詩としての輝きを持っていると言えるでしょうか?その答えはもちろんノーです。ですが、では一体、どんな箱なら、『彼』の詩は輝くのでしょうか?

没になってしまった我が子のような自分の句に、今回は残念だったね、選者との相性が悪かったね、などと慰めの言葉をかけるような事を、かれこれ六年ほど続けてきたのです。

そうです。『彼』はもう、六歳なのです。

ことばを我が子だとまで言うのなら、彼にかけてやるべき言葉は、『俺は良いと思うよ』なのではないでしょうか?自分がその言葉をかけてやれないのに、代わりにそれを言ってくれる人を、自分は六年間も探していたのです。

その事実に気づいた時、スケジュールに沿って義務的な投句を続けている自分に失望しました。各種締め切りを調べて、時系列に並べ替えて作るメモが、一瞬でどうでも良くなりました。このままこのやり方を続ければ、必ず俳句を嫌いになるだろうと確信しました。その未来が見えた瞬間、自分は俳句というものを今までより遠くに置く事にした、というわけです。

これが、自分にとっての『気が向いた時だけ投句する』事の、心理的な裏付けなのです。

ですが、あくまでもこれは、自分個人の話です。そのはずでした。しかし、『彼』もまた、没になったり、『ありきたり』の評価を受ける事に、辟易していた所だったのです。


ここで、例え話を現実に戻します。自分には九歳になる息子がおり、七歳の時に父親の影響で俳句をかじり始め、今年は高い評価が続いた事もあり、父親と同じ速度で俳句の量産体制に入っていた時期がありました。しかし、先述の通り、選者の物差しは千差万別であり、ペースを上げすぎたせいで、没になる確率も飛躍的に上昇しました。その結果、やってもやっても報われない時期に突入し、必然的に彼は、俳句を進んでやらなくなりました。そして、同時期に俳句と距離を取る事にした父親である自分も、彼の気持ちが痛いほどよく分かったので、彼とのコミュニケーションの中身から、俳句の割合を徐々に減らしていき、現在はほとんどゼロに等しい状態にまでなってきています。

この親子は、バッターボックスに入り、バットをブンブン振り回しながら見ていたプレバトを、今は『外野席』から野次を飛ばしながら見ているのです。それではホームランを『見る』事はできても、『打つ』事はできない。この理屈は、皆さんにもハッキリ伝わると思います。

しかし、自分はこれで良かったと思っているのです。彼は確かに、俳句と疎遠になりましたが、俳句を嫌いにはなっていないのです。それさえ避ける事ができていれば、また何度でも始められるのです。彼の中にも、自分と同じ詩の原石があって、拾い上げてもらうのを待っているのです。自分には分かります。だって、息子には自分と同じ遺伝子が入っているのですから。

『彼』は、いつか必ず特選を獲る。

自分はここにいると、そう信じていられるのです。なぜならここは、あらゆる『自尊心』を許容できる箱だから。


いいですか、皆さん。

『俳並連』ってのは、
そういう『箱』なんですよ。



【特別寄稿】俳並連24hスペースに寄せて

《完》


企画、原稿…恵勇




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