絶え間なく「そそる」悪夢:『サード・デイ ~祝祭の孤島~』/文:SYO(映画ライター/編集者)

※スターチャンネルEX、BS10 スターチャンネルでの本作の配信・放送予定はございません※

『サード・デイ ~祝祭の孤島~』について、『サード・デイ ~祝祭の孤島~』について、映画ライター/編集者のSYOさんに、キャスト、スタッフ陣の豪華さから、この作品特有の恐ろしさまで、本作の魅力を解説頂きました。本編を見た方も、まだの方もぜひご一読ください!

映像、物語、キャストにスタッフ、スタジオ……。12/22(日)より「BS10 スターチャンネル」にて日本独占放送が始まる『サード・デイ ~祝祭の孤島~』は、どこを切っても、たまらなく「そそる」作品だ。そのため、「観ようと思った決め手は?」という質問に答えることは、困難を極める。申し訳ないが、全部なのだ。予告を観て、簡単な情報を仕入れた刹那、全ての要素が背中を這いまわり、ゾクゾクとしつつ「観なければならない」と直感したのである。

まず、本国の放送局はHBO。『ゲーム・オブ・スローンズ』や『ビッグ・リトル・ライズ』など、これまでに生み出してきた傑作を挙げればキリがない。そこに、アカデミー賞受賞作『ムーンライト』で知られる制作会社「プランB」からブラッド・ピット、デデ・ガードナー、ジェレミー・クライナーが加わり、文芸作品からマーベル映画、『ファンタスティック・ビースト』シリーズまで何でもござれのジュード・ロウと『007 ノー・タイム・トゥ・ダイ』の公開が控えるナオミ・ハリスが、ダブル主人公を務める。

万が一、この面々を知らない/或いは、興味を抱けないなんてことがあったとしても、独自性の高い「設定」が強力に補完する。物語自体の「舞台設定」と、特異な「作品構造」のダブル攻撃で、“視聴者予備軍”を陥落させるのだ。

本作の舞台は、引き潮のときしか外界と行き来できない孤島。そこで起こる奇怪な出来事の数々を描いていく、というのが物語の大筋だ。日本でも大いにバズった『ミッドサマー』や『グリーン・インフェルノ』、国内作品でも『八つ墓村』や『犬鳴村』等々、映画&ドラマ好きの心を掻き立てる「村ホラー」の要素を持ったドラマといえるだろう。捉えどころのない不気味な雰囲気は、『アナイアレイション -全滅領域-』に通じるかもしれない。

さらに、同じ島の「夏」と「冬」を3話ずつ、別々の主人公で描くという凝った構成も秀逸。付随するキャストはもちろん(夏編はジュード・ロウ、冬編はナオミ・ハリス)、監督も夏編を『Utopia -ユートピア-』のマーク・マンデン、冬編を『ザ・クラウン』のフィリッパ・ロウソープがそれぞれ手掛け、コントラストを見せつける。「フィールドは同じだが、プレイヤーが変わると、物語も変移する」といったギミックは一種テレビゲーム的でもあり、スタイリッシュな現代性を感じられるアプローチだ。

“前提”だけでも盛り盛りな本作だが、内容も第1話(夏編)からかっ飛ばしている。まずは、本編開始から10分以内に起こることを紹介しよう。田舎の一本道に車を止め、電話している男サム(ジュード・ロウ)を鳥瞰でとらえたカット(ちょっとスティーヴン・キング的で、いきなりゾクッとさせられる)から、一気に顔面のアップにつなげ、さらにそのアップが汗だくで画面上にはフレアが効いており、ピントもわざと部分的にしか合わさず、カメラは対象からくっついたり離れたり、ゆらゆらと動く。

焦点が合わないことで我々視聴者は主人公となる男の“実像”を脳内に結ぶことができず、切羽詰まった表情や、「4万ポンド」や「警察」といった物騒なワードとのギャップが、早くも不穏なムードを掻き立てる。彼に何が起こったのか? どうしてこんな辺鄙な場所にいるのか? そもそも彼は何者なのか? たくさんの疑問が濁流のように押し寄せ、いきなり混乱させられるのではないか。しかしもう、その時点で本作の術中に嵌っている。

その後「川に向かうところだ」というサムのセリフで、「目的」がクリアになるが、次のシーンになると彼は川に子ども服を流して泣いている。この意表を突いた展開には、憐憫より先に気味の悪さを感じてしまうのではないか(あえて引きのカットから始め、観客が泣き声だけを聞きながらサムを探す、という演出の底意地の悪さ! 『聖なる鹿殺し キリング・オブ・ア・セイクリッド・ディア』にも似て、身震いさせられる)。

落ち着いて考えれば、過去に子どもを亡くしたのだろうか、と推察できるのだが、そこに至るまでにまず目に飛び込んでくるイメージが強烈すぎて、思考が停止する。本作の構造自体が、観客に「説明する」つくりではなく、観客が「紐解く」ものになっているため、オープニングから歪で奇妙な世界観が、夜の帳が広がるようにずんずんと侵食してくるのだ。

本作が繰り出す衝撃は、まだ序の口に過ぎない。車に戻ろうとしたサムは、森の中で子どもたちを見かける。女の子が男の子に指示し、木の上にロープをかけている光景。遊びの一環だろうか、と安穏としていると、次の瞬間に彼女が首をつり、度肝を抜かれる。これだけのことが、10分足らずに起こるのだ。見せ方といい話の転がし方といい、実に凶暴で狡猾。サムは急いで少女を救出し、島まで送っていくのだが、エポナと名乗る彼女は、自殺を図った原因については口を閉ざしたまま。さらに、潮が満ち始めてサムは本土に帰ることができなくなり……。恐怖の3日間が、幕を開ける。

「村ホラー」には様々な見せ方があるが、よくあるのは「能天気な人物が警戒心なく入り込んで散々な目に遭う」パターン。これだったらハハハと笑って楽しめるのだが、本作においては主人公のサムが闇深く、謎も多いため観客としても信頼を寄せることができない。ミステリーのテクニック「信頼できない語り手」のエッセンスが、きっちりと踏襲されているのだ。

何が起きるかわからないおぞましさが、島に上陸するまでに充満しきっている上手さ。料理でいうところの“仕込み”が、完了しているのだ。そもそも最初から、楽に見せてやろうなんて優しさが欠片も感じられないのも素晴らしい。どこまで絶望を提示してくれるのか、視聴者の黒い欲望を存分にあおってくる。

ネタバレ回避のため、島に着いてからサムの身に起こることについてはなるべく割愛するが、排他的な島民や、ハサミを持った魚人のような“土地神”の存在がちらつき、宿のトイレには大量の塩が撒かれており、壁には白目をむいた女性の写真が貼られ、島のはずれには臓物を抜かれたネズミの死体が祭られており、明らかに「何かが、ヤバい」とおののく要素のオンパレード。しかも、電話は圏外で外界との連絡は不可。それでいて、ごく普通の家々も見られ、「いかにも」な雰囲気が薄められているのが逆に怖い。

そこに、サムの脳裏にフラッシュバックするトラウマ(なかなかにグロい。ジュードの発狂演技が出色だ)が絡んできて、物語は一気に不条理劇の様相を呈してくる。「ここに来たことがないのに、見覚えがある」といったサムの不可解なセリフも謎をあおり、島を愛する旅行者ジェス(キャサリン・ウォーターストン)といった第三者が介入することで、目線もより多角的に。物語が意志を持って立ち上がり、不規則に動き出す。

ちなみに、第2話・3話と回を重ねるにしたがって、内容は順調かつ、よりダークにエスカレートしていく。恐怖の純度が増していくのが恐ろしくもあり、興奮させられもするだろう。どう転んでも最悪の悪夢に、身も心も溺れていただきたい。

文:SYO(映画ライター/編集者)

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