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2024年10月の星の行方

ゴールデンカオス


「遠くの景色が見たい。できる限り、遠くまで」

ロス・パラジオは毎日、そう祈った。彼は目の前の風景が気に食わなかった。手元、足元、どこを見ても不満を感じる。毎朝、家の周りを散歩して、祖母が遺した花瓶に生ける花を探しても、どの花も彼に振り向きはしなかった。いっそのこと、そこらじゅうに落ちた枯れ枝を束にして、花瓶の口を塞いでしまうほうがいいようにさえ思えた。

港町に住むサンドラも、ロス・パラジオと同じ祈りを込めて、毎日を過ごしていた。潮の香りをまとう暮らしを夢見た彼女は、小麦色の肌を輝かせた若い漁師と結婚して港町に住み着いた。しかし、潮風を愛する日々は冬の始まりから次の夏の終わりまでだった。波止場に漂う生臭いが家中に漂い、夢の中でも頭を悩ませることが多かった。できるなら、かつて一度訪れたアルハイムの丘の、あの澄み切った空気の中で、麗らかな鐘を鳴らす教会を見下ろせる、人里離れた一軒家から遠くの景色が見たかった。できる限り、遠くまで。

そんな風に、世界のあちこちから浮かび上がる儚い願いが、地球全体を覆っている。見渡せる範囲に夢や希望はない。どうして隣の花は赤いのに、自分のところだけくすんで萎びた花ばかりなのか。その嘆きはため息に乗って水蒸気となり、雲となる。混乱した人々の歩みが渦となり、気流をつくって雲を泡だて始める。絶え間なく繰り返される不毛な思考がノイズを発し、徐々に黒ずんで雲と混ざり出すと、あちこちから火花が放たれる。

「諸君、これがゴールデンカオスである」

そう言って、ミルハリトン教授は、教室内に浮かび上がった映像の中心に指し棒を当てた。学生たちはその様子をノートに書き込んだり、メモリングという視覚記録装置を使って映像を保存したりした。

「このゴールデンカオスは、集団無意識が織り成す生命体である。惑星の隅々にまで膨らみ続けていて、まだ成長のピークを迎えていない。ゴールデンカオスが本格的に動き出すと、世界はいとも簡単に終焉を迎える。ここでよく勘違いされることがあるのだが、終焉とは人類の滅亡を指しているわけではない。むしろ、その逆であろう。滅亡よりも興隆のほうが適切であろう」

すると、ひとりの学生が手を挙げた。ミルハリトン教授は指し棒を向けると、霧状の柔らかい光線がふわふわとその学生に向かって伸びていった。学生は光線を額の真ん中に受けると、一瞬でミルハリトン教授の隣に立った。

「名前は?」

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