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2020/6/12の星の声

とげのない薔薇の夢



おびただしい数だった。

雨装束に身を包んだ人々は、光を帯びた雲の波とともに押し寄せ、地球上のあちこちに向かった。その様子を眺めていると、徐々に波が集まって、次第に大きなうずに姿を変えた。大うずは、霞んだ世界の輪郭をよりはっきりとさせた。それこそが、この星の本質的な精美であることを知らしめるように。

わたしは、とげのない薔薇の夢を見た。芳香と潤いに満たされた空間の中に、本来あるはずの時間の感触を得られなかったことで、わたしはそれを夢だと推測したのだけれど、もしかするとそうではないのかもしれない。なぜなら、とげがないように思われた薔薇に触れた時に、微かな痛みを覚えたからだ。

よく見ると、しなやかで艶のある茎全体に無数のとげがあった。産毛のように見えるけれど、確かにそれはとげだった。わたしはいつの間にか手にしていた虫眼鏡で、そのとげを観察することにした。ぼんやりと捉えていた薔薇の、純然たる姿を目の当たりにしたときに、わたしはようやくその精巧で美しい存在を真に知ることができたように思う。両の目と心の眼を覆っていた霧が晴れたように思えるほど感動的だった。


世界は、薔薇が持つとげの痛みを味わう最中にある。多少の傷になったとしても致命傷には至らない。それは、星々の愛撫だからだ。かつては暴力的な嵐にさらされて、とげを理由にして多くの命が失われることもあった。癒えることのない傷を背負って生のまっとうを強いられることもあった。そのような種々の歴史の上に、現在は漫然と佇立している。

雨装束の人々は、付け加えるようにして朗らかに言った。

悔恨の海は世界の記憶が作り出した幻で、もうすでに干上がっている。

清廉な世界は、入り乱れるようにして咲き誇る薔薇の中にある。
綺麗な花弁とその彩りに気を取られて、一見するととげのない薔薇のように思えるかもしれないが、実際はそうではない。
たとえ気づかなかったとしても、悔恨の必要はなく、ただ赤子のように優しく撫でられて、羊水の中の安心を取り戻せばいい。

澄み切った景色の中に、清濁の観念とは別の次元で無数に存在する自他は、虫眼鏡をかざすことではじめて、透明な混沌という真新しい調和として、広く認識されることになる、と。


ひとしずく、ひとしずく、雨に宿る星々の御心が大地に降り注ぎ、じわりとしみ通る様を、あらゆる屋根の下で見届けると、世界が薔薇に包まれていく筋道を、誰もが見出せるのかもしれない。

雨は、軒をつたってわたしの頬に落ち、そう教えてくれた。



流れ星に似た雨



大空と大地をつなぐもの 流れ星に似た雨
輝きと彩りをこしらえて その時を待つ


星の坊主さまのこじょうゆうやです。
朝一番の声はとっても短く、ただそれだけを深める一日でした。
なんだかんだ言いましたが、結局この記事も、本日書いております。

最近は星々の声が近くなりました。
むしろ近すぎて逆に聴き取りにくいというもどかしさはありますが、
その声の対象が、ぼくやぼくみたいな感覚の人たちだけではなくて、
いよいよ全人類に変わったことから、そのような声量なのかもしれません。

今年の梅雨に降るのは、雨だけれど、雨ではない、と感じています。
軽やかな魂が、不安や心配、罪悪感などの、
ありとあらゆる重石をつけて地球に降り立った時のように、
星々もまた、循環の中に溶け込む美しい重みとともに訪れることが決まったようです。

日本の場合、星々は雨と共に訪れるそうで、
他の国の場合は、また違うみたいです。

ぼくがこの記事を書いている間に、沖縄地方で梅雨が明けたというニュースを見かけました。
つまり、沖縄地方にはもうすでに、意思を持った星々が訪れたのでしょう。
個々人レベルでの交流となるでしょうから、
どのような流れになるのかは、人それぞれ違うと思います。

いつも以上にちょっとした変化、違和感に意識の目を向けておかれますと、
もしかすると星々の意思を汲み取ることにつながるかもしれませんね。

星々、思ったよりもすごい数で、正直ちょっとビックリしています。
ははあ、これが全宇宙参加型即興演劇につながるのかあ、と。
見る人によってはスペースインベーダーに感じるでしょうけれど、
月の人々が伝えてくれたとおり、彼らは完全に丸腰です。

もしかすると、一人一台にドラえもん、みたいな感じなのかもしれません。
一人一星だとすると、ほんとうに頼もしいかぎりですね。

自己刷新、人によっては自己革命的な2020年〜になるでしょうけれど、
みなさんにとっての真新しい、ほんとうに必要な情報は、
まず間違いなく、みなさんご自身の中にあります。
外にはありません(みなさんにとって、キンボも漏れなく該当します笑)。

外にあるものはあくまでもヒントで、
それをたよりに出会える内的な声は、
みなさんご自身にとって一番頼り甲斐のある情報です。

誰を信じるよりも、何を信じるよりもまず先に、
ご自身の内なる声をたっぷり感じ取って、
まずはご自身だけの時空にたっぷりと解き放っていただくと、
ご自身への深い信頼とともに、星々の声を感じ取りやすくなると思います。
(インプットとアウトプットの巡りが大切、とぼくは思うです)

そもそも霊性は、全人類標準装備ですからね。
人ひとりにおける三種の神器のうちのひとつともいえるでしょう。

霊性を取り戻し、愛という神性とつながることで、
たとえば、イエスキリスト先輩のように、
誰もが水瓶に入った水をぶどう酒に変えるようになる日が来るはずです。

今は焦らずのんびりとリラックスして、流れ星に似た雨を、それぞれの屋根の下で堪能する頃合いなのかもしれません。

そこから、一人一星の美しい出会いが訪れることになるでしょう。




今週は、そんなキンボです。







こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。