2020/8/7の星の声
静謐で、透明な夜明け
世界のみなさま、こんにちは。
地球です。
しばらく静かに目を瞑り、
昨年の今頃にわたしの身に起きたことを振り返っていました。
この一年で、あなたたち人間と、
わたしの中に広がる自然界では大きな動きがありました。
今もなお、人間の誰もが、制御の及ばない、
そのうねりの中にいるはずです。
この場を借りて、お伝えしたいことがあります。
これから、自然と人の結びつきが強まります。
さらにさらに強くなるのです。
人によっては、それを「和解」と言い表すかもしれません。
太古から、自然は人間と関わり、人間を見てきました。
花や虫、鳥に雲までも、彼らはずっと人間を知ろうと観察してきたのです。
ささやかな意識ですが、その集まりが自然界という大きな集合意識です。
自然界という大きな意識には、恨みつらみの感情はありません。
攻撃という概念もありません。
彼らは自然界の一員として、
自然界の調和を守ろうという意思があるのです。
家族や仲間を守る、命を守る。
そのための行動が、攻撃や反撃と捉えられることがあるかもしれませんが、彼らはただ守ろうとしているだけなのです。
ですから、自然界には、人間に対する恨みなどありません。
攻撃や反撃の意思すら、まったく存在していません。
このことを踏まえ、ぜひ自然界と接してみてください。
これから、自然と人の結びつきにおいて欠かせないのは、
敬意と感謝をもとにしたコミュニケーションです。
その際に大切なのは、相手の声によく耳を傾けること。
それに、自分の声をしっかりと相手に届けることです。
自然界は阿吽の呼吸でできています。
食物連鎖もまた、
差し出す側と受け取る側による、
阿吽の呼吸なのです。
ですから自然界は、人類の営みに呼吸を合わせ、
その巡りに等しいものを、人間に惜しみなく与えます。
それは、人間の都合でさまざまな解釈に至ります。
恩恵とか損害とか、その解釈はみなさんの自由です。
もし自然界に存在しないものが人間から差し出された場合は、
全体の調和に見合ったもので応えます。
恨み、憎しみ、嫉妬には、愛で応えるのです。
自然界に不足しているものはありません。
余剰も、ほんとうのところはありません。
人類が持ち込んだものに対してバランスをとろうとして、
これまでにないものが生まれ存在する場合がありますから、
もしかすると、それを余剰と呼ぶのかもしれません。
自然界はこの上なく、シンプルなのです。
あなたちの先入観や偏見を捨てて、裸一貫で触れ合ってみてください。
個体によっては、ささやかでほのかなものになるかもしれませんが、
目をこらして、耳をすませて、よく噛んで味わって、
大きく息を吸って香りを楽しんでみると、
きっと、彼らの差し出すものが何かわかるでしょう。
すなわち、あなたが彼らに与えたものもわかるのです。
わたしはこの一年の間で、ほんとうに深い愛を体験しました。
無償の愛というのは、まさにこのことだと、心に強く感じました。
時を同じくして、そのように感じられた人もいるかもしれません。
さあ、本番です。
ここから、およそ3〜4ヶ月ほどの間に、
わたしが体感したより深い愛、無償の愛を体感していただきます。
ひとりひとり、何気ない日常に、突如として現れるでしょう。
そのとき、あなたたちの精神や肉体がどのように動いたか。
できるかぎり、こまやかに、感じ取ってみてください。
そうして、思い出すのです。
本来、自然界と人類がいかなる絆で結ばれているのかを。
それから、あなたたちの生活はどのように変化するでしょうか。
あなた自身の行動は、どのような意識下でなされるでしょうか。
意識と視界を拡げて、あなた自身をよく観察してみてください。
日を追うごとに、わたしは、すべての魂とともに上昇しています。
広い宇宙を見渡しても、いまだかつて、誰も見たことのない、
光に満ち満ちた世界を、物理的感覚とともに、味わってください。
まぼろしでも、まやかしでもありません。
静謐で、透明な夜明けは、ひとりひとりに起こるのですから。
私の又三郎
「この集落には妖精が住む木があるの」
なんて言われたら、いつも幻想に溺れている私は胸の高鳴りを抑えることができなかった。
お隣さんの話だと、落葉してから迎える真冬の底のような日に、
朝陽を浴びた樹氷がキラキラと輝くことから、妖精の木と言われているらしい。
引っ越したての私は、すぐにその木を見に行った。
何という種類だかさっぱりわからないけれど、小高い土地に生える美しい木だった。
家から歩いて5分もしないところにあるから、
夕涼みがてら、よくそこまで散歩をしに行った。
真夏の日中はとてもじゃないけれど外に出られない。
ただでさえ暑さに弱い私は、あられもない格好で、家で仕事をしている。
宅急便屋さんが来たらどうするんだろうとよく思うけれど、
汗を吸った服を着ているよりはマシだと、自分に言い聞かせている。
だからなのか、温度の変化には敏感になった。
部屋をそそくさと抜ける風を少しでも冷ややかに感じると、
雨が降るか、夕方を告げる合図だと思うようにしていた。
その日も、夕飯前に散歩に出かけた。
散歩道は、車一台がようやく通れるほどの狭さで、
車通りが少ないからか、次から次へとカエルが横断している。
いやそんなこと、カエルが気にするはずはない、とすぐに考えを改めた。
渡りたい時に渡る。車に轢かれるなんて頭はさらさらない。
そんなカエルの生き様を、ちょっとカッコよく思うのは私だけだろうか。
相変わらず、木は周辺の集落の様子を見渡すようにそびえていた。
その木目指して何度か通ううちに親近感が湧いてきて、私はその木を又三郎と呼ぶようになった。
「又三郎、今日も集落のみんなは元気かい?」
私は頭の中でそんなことを考えていた。答えるはずのない木に声をかけようとしている自分はやっぱり幻想の世界に生きているのだと思った。
今日を迎えるまで何度も散歩しているけれど、誰かに出会すことはない。
それもそのはず。この集落には妖精の木を教えてくれた隣のおばちゃんと、寝たきりおじいちゃんの世話で、ほとんど家にいるおばあちゃん、それに仕事で夜中に帰ってくる草臥れたおじさんしかいないからだ。
さっき隣のおばちゃんは、洗濯物を取り込んでいた。この時間に取り込むのは、大好きなテレビを見過ぎたか、漬物の世話に熱中していてすっかり忘れていたからだろう。
そんなわけで、今日も誰にも会う気はしなかった。
私は念のために、あたりを見回した。やはり、人っ子ひとりいない。
このあたりじゃ虫や蝶の方が圧倒的に多いだろう。スズメの群れにだって、この集落の人口は遠く及ばない。
私は、又三郎に声をかけた。
「又三郎、今日も集落のみんなは元気かい?」
すると、又三郎はそよそよと枝葉をふるわせた。何か、返事をしてもらえたような気がした。当てずっぽうで、私はこう言った。
「そうか、やっぱり隣のおばちゃんはテレビに熱中してたんだね」
又三郎は、物音ひとつ立てずしんとした。そうかと思えば、又三郎の木陰でのんびり育つフキが、わさわさと揺れた。フキには名前をつけていなかったから、私は何かいい名前はないかと思い、頭を悩ませた。
「いっぱいいるからなあ。今浮かんだのは、フッキーズなんだけど、どうかな?」
と言ってみたものの、フキたちは、微動だにしなかった。どうやらお気に召さなかったらしい。それならばと、私はまたいろいろとアイディアを膨らませた。
「ああ、いい名前が思い浮かばない」
うつむいた私がそうつぶやいた瞬間、
「どうして、ボクは又三郎なんだい?」
と聴こえた。私は思わず、顔を上げた。又三郎から、いくつかの葉がひらりはらりと舞い落ちた。いやいや、いくら私が幻想に生きていると言っても、まさか又三郎がしゃべるだなんて……
「ねえ、どうして?」
又三郎はまた、いくつかの葉を落とした。私はにわかに信じられなかった。間違いなく、又三郎の声だった。どうしてと訊かれても適当につけた名前だしなあと返事できずにいると、又三郎は枝葉を大きくふるわせた。
「適当につけたにしては、いい名前だなあ」
その声を聴く限り、まんざらでもなさそうだった。
私は思わずこう伝えた。
「そうそう。ある有名な物語でね、又三郎と名のつくものがあるんだよ」
そう伝えると又三郎は、「へえ、物語かぁ」と言って、葉をこすらせて喜んでいた。ほくほくした様子の又三郎を見ながら、私は今起きている状況と、自分の気持ちを整理しようとした。
いつの間にか、私は木と喋っている。世界のどこかにそういう人がいるという話を知らないわけではないけれど、これまでに一度も木と喋ったことのない私が、どうして急に喋れるようになったのか。
暑さで頭がやられているわけではない。むしろこの時間帯、特に今日は涼しい風が吹いている。ありきたりだけど、ほっぺたをつねってみる。痛い。夢ではない。そもそもこの木は妖精が住んでいる木と言われる、いわく付きだ。私がどうかしたわけではなく、この木が、又三郎がどうかしているんだ。なあんだ、ははは。
「又三郎はすごいね。人とお喋りができて」
すると、又三郎は大きく幹をよじるようにして、枝をゆさゆさ振った。
「みんなできるよ。そこのフキたちだって、さっき喋ったでしょ」
私は思わずフキたちを見た。どう見ても先ほどまでの立ち姿とは違った。一本一本のフキが、個性を持って何かを主張しているように見えた。
「でも私、何にも聴こえなかったよ」
私がそう言うと、一番手前のフキがくねくねと身を振った。
「フッキーズはちょっとなぁ、って言ったよ。小さい声で」
続いて、その隣のフキが身を左右に揺らした。
「うん、言ってた。他に、誰か言ったよね。もっとかわいいのがいいって」
次は、どれかわからないけれど奥の方から別の声が聴こえた。
「わたしが言ったの。フッキーって響きが全然かわいくないじゃない?」
次第に、あちこちからフキの声が聴こえてきた。言い合いとまではいかないとしても、その騒がしさは、近くの県道を走る車の音が聞こえないくらいだった。
又三郎は突然笑った。
「あっはっは。ボク、又三郎。とってもお気に入り」
ケラケラ笑う又三郎の声を聴いて、前に一度似た音を聴いたような気がした。私は又三郎とフキをしばらくの間放っておいて、記憶の引き出しをかたっぱしから開けて、中にあるものを手当たり次第に出してみた。うっすらと思い出した光景は、私のおばあちゃんの顔と、青々とした田んぼの様子だった。
「わかった!!」
私は思わず大声を上げた。その声に、又三郎とフキたちの声はピタッと止まった。
「私、小さい頃の夏休みに遊びに行ったおばあちゃんちの近くの畦道で、又三郎の笑い声に似た音を聴いた!」
それを聴いた又三郎は、ふっと葉の色を変えた。私には、一瞬だけ葉色が薄くなったように見えた。
「それは、もうすでに亡くなったほうのおばあちゃんが住んでたところの木だ。田んぼが見渡せる畦道のそばにあったでしょ。もう結構老木のはずだよ」
私は自分でも聞いたことがないような声を出して驚いた。
「どうしてわかるの?」
又三郎は先ほどまでのように枝葉をふるわせながら、こう答えた。
「ぼくたち、みんなつながってるから」
そう言われて妙に納得した私がいた。又三郎のそばでフキたちが、うんうんと頷くように小刻みに葉を垂らすのが見えた。私はもうちょっとだけ、詳しいことが知りたかった。私が又三郎に話しかけようとすると、見かけない車が県道から私たちのいる方に向かって来た。
妙に黒光りした大きめの高級車で、私の近くまで来た途端にスピードを緩めた。運転席の窓を開けて顔を出したおじさんが、どういうわけか妖精っぽく見えてしまい、私は思わず顔がにやけてしまった。
おじさんは私の顔を見て不思議そうにしながら言った。
「このあたりに、大名館って宿ありますか?」
大名館といえば、昔むかしに大名さまが住んでいたとされる大きな屋敷を移築した宿で、源泉掛け流しの温泉と美味しい郷土料理がついて、一泊何万だかするようなお金持ち向けの場所だった。
でも、私の暮らす集落よりも、たしか10キロ近く山手の方にあったはず。私はそう伝えると、おじさんは顔をしかめてため息をついた。
「ナビで見つけられないなんてありえんよ。もう日が暮れるってのに」
おじさんは右手を上げて私に簡単に挨拶すると、ゆるゆると県道までバックして行ってしまった。そんなところに行くなら事前にちゃんと調べたらいいのにと思いながら、私は黒光りの車を薄目で見送った。
「明るいうちに着くといいね」
小高いところで悠然と佇む又三郎は、車の行方を眺めながらそう言った。
とってもよい機会のようです
こんばんは(になってしまった)、こじょうゆうやです。
今朝は、地球の声から始まりました。他の星々もぺちゃくちゃよく喋っているように感じましたが、とってもよく聴き取れた印象的な地球の声をお届けすることにしました。
また、自然との結びつきについて、ということで、急遽一作、『私の又三郎』を書いてみました。この話、まだまだ続くと思いますが、今日は一部抜粋的に、中途半端に公開させていただきます。
又三郎は、つい昨日の夕方に散歩した時にカメラにおさめた木で、うちの近所にあります。
主人公の私という女性と、又三郎、フキたちがしゃべるように、
ぼくたち人間の誰もが木々や植物、それだけでなくありとあらゆる自然と会話することができる、とぼくは思ってます。
どうすればいいの? というお声もよく頂戴しますが、単純に話しかければいいだけです。話せない相手だと思って話さないでいると、コミュニケーションはとれませんから、相手が人間だと思って、しかもわりと気楽に気軽に話しかけるのがいいと思います。たいていは返してくれるはずです。
ぼくのパートナーの弓子さんは、一人二役的(自分と対象の何かを演じるように)に話すのがすんなり来る、と言ってます。実際ぼくよりも、彼女の方が庭の草花や自家用の野菜たちとコミュニケーションを取れている気がします。その証拠に、植物たちがとっても嬉しそうにしているんです。
こういう感覚って、使ってナンボなのかもしれません。
料理人が何度も何度も味覚を使うように、
音楽家が音という音に耳をすませるように、
感覚は適切に使えば使うほど、磨かれていくはずです。
ですから、こういった自然相手のコミュニケーションも、数をこなしていけば、ある程度思い通りになるんじゃないかと感じています。
特に「好き」だということは大事な気がします。
動物嫌いな人が、動物とコミュニケーションをとろうとしても、うまくいかないことが多いかもしれません。
好きこそものの上手なれ、とはよく言ったもので、
好きな対象との内的コミュニケーションは、特に相手が自然物の場合、ほんとうによくできると思います。
海が好きな人は海に、森が好きな人は森に、
花や虫や鳥に、星に、自由に、やりたいようにやってみてください。
ちなみにこれは、信じる信じないの話じゃないですからね。
目の前にいる人が「チョコレートが好きなんです」と言ったときに、
「あなた、チョコレートが好きなの? ウソつかないでよ」
ということには、普通はなりませんよね。
刑事さんの問いかけに被疑者がウソをつく状況とは違います(笑)
顎が弱くて、堅いものがあまり食べられないという友人を疑って、
堅い食べ物をどしどし渡す、というのは、正直いやがらせですし(笑)
というわけで、
あくまでもぼくの考えですが、
もし海と話せた気がするなら、それは海と話せたと思って良いと思います。
その対象が目に見えるものでも見えないものでも、同じです。
その真偽を誰かに確認する必要もないと思います。
人によって感じ方、捉え方、言語化の仕方などが違いますからね。
また、自然や目に見えない世界の存在たちとのコミュニケーションにおいて、ひとつ大切だなあと思うのは、
彼らは、人間の自由を奪うようなことや、尊厳を冒すようなこと、感謝や敬意に欠けることは言わない、ということです。「強制」的な言葉も、ほとんどない、と思います。
彼らの声に共通しているなあとぼくが感じるのは、
とっても朗らかで、ぬくもりにあふれていて、ユーモアがあって、底が見えないくらいの愛や優しさで満ちているということです。
それに、ものすごく内(心)と外(言動、行動)が一致しています。
ですから、『私の又三郎』で出てきたフキたちは、ほんとうに素直で正直な言葉を言っているだけなんです。子どもみたいに。
人によってはあの場面で、「せっかくのネーミングを否定された!」と思って、怒ったり傷ついたりする方もいらっしゃるかもしれませんが、その場合は、そういった感情が発露したその人自身に何かがあって、それは見つめ直してみたらどう? という内なる自分からの投げかけのように感じます。
今回の場合、作者はぼくで、ぼくがフキたちの名前を感じた時に一番最初に出てきたのが「フッキーズ」だったため、そのまま主人公に託して話を進めてみましたが、フキたちの間で評判が良くないことがわかった、というだけです(笑)
まあ、ネーミングセンスがイマイチ(他のセンスは棚上げ)であることはぼく自身ちゃんと知ってますから、傷つくことも、腹が立つこともありませんでした。
話は戻りますが、自然界の声、目に見えない存在たちの声は、ジョークのようなお戯れはあれど、基本的に、悪意やコントロールなどはない、とぼくは感じてます。
ですから、もしそういったニュアンスを感じる場合は、ご自身の脳(先入観や偏見や経験、外からの情報など)で作り上げているかもしれません。そのあたりは思い切って手放して大丈夫だと思います。
脳が作り出したものと、実際の声は、透明感とか純粋さなどにおいて明らかに違います。そういった違いを感じられるようになると、声を聴くことはもっともっと容易くなると思います。
あとは、ジャッジメントにご用心!ですね。
彼らの声は基本的に、ジャッジメントがありません。
ほんとうのほんとうに、
ぼくたち以上にぼくたちのことを思い、考え、声を発してくれるため、
その真意をしっかりと感じ取る(聴き取る)と、ものすごい幸福感というか、後押し感というか、そういったものがドバドバとついてきます。
そのあたりも、感じてみていただくと面白いかもしれません。
というわけで!
本日、2020年8月7日は立秋です。
夏から秋に向かって、季節が移ろい始めます。
こういったタイミングも、自然の声を聴くには、コミュニケーションを取るには、ちょうどいいかもしれません。
みなみなさまで、さまざまな自然の声をたくさん聴いて、
たっぷりとコミュニケーションを楽しんでみてください◯
くしくも、これからお盆に入ります。
日本における霊的な期間のひとつでしょうから、よりいっそうに、目に見えない様々なものと関わりやすくなるのではないかと思います。
内的世界の探究は非常に面白いものではありますが、
のめり込みすぎないようにご注意くださいね。
ぼくたちは生命と身体を活かして、外的世界を満喫するために生きてるのでしょうから、どっちも堪能するというスペシャルなコースを楽しんでまいりましょう。
静謐で、透明な夜明けを、みなみなさまとご一緒できること、
楽しみで、嬉しくて、仕方ありません。
その内容はさっぱりわかりませんが、素敵な予感はプンプンします。
今日からまた、素晴らしい一週間をお過ごしくださいませ。
ぼくはこれから新作チーズケーキタルト、つくります。
今週は、そんなキンボです。
こじょうゆうや
あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。