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おはなし会でおはなししたこと(周波数編②)


周波数編 ①をご覧になっていない場合は、読んでいただいてからの方が②が面白く感じると思います。

おはなし会でおはなししたこと(周波数編 ①)


さて、周波数編 ②です。
今回は、「繊細な周波数との交わり方」についておはなしさせていただこうと思いましたが、もう少し周波数編①のはなしの続きをしたいと思います。

あくまでもぼく個人の体感に沿ったおはなしです。みなさんに活用する際は、みなさんにとって違和感なく、心地よく活用していただくために、大なり小なりアレンジを加えて、試してみてくださいね。


まず、周波数編①のおさらいとして、大きく2つに分けた周波数のちがいについて、もう一度感じ直していただければと思います。
クドくなるほどに何度も言いますが、あくまでもこの2つに優劣、良い悪いはありません。あくまで性質が違うのです。

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こんな感じですかね(エガウマクナリタイ)。

繊細な周波数は、ぽわわ〜んという心地よさや癒しを感じるくらいに、細胞と細胞の隙間を通過するように浸透するほど、微細で純度の高いエネルギーです。
愛の周波数に近ければ近いほど、全方位にのびてゆき、全人類に響き伝わるものに感じます。その自由度は、ほんとうにすごすぎるくらいです。

繊細な周波数、例えられるものがあるでしょうか。ちょっと違うかもしれませんが、ビートルズの音楽って繊細な周波数だなあと思ってます。
(もちろん、他のアーティストがそうじゃないって言ってるわけじゃないですからね)


粗い周波数は、衝撃が強く、浸透せずに、エネルギーが体内、脳内、心の中に響き残る感じです。今の社会では、この周波数がとっても多いです。ぼくたちはわりとよく目にしたり、感じたりしているかもしれませんね。

この周波数はわりと偏りがちです。傷になって残りやすいのも特徴かもしれません。例えるとキリがなさそうですね。みなさんそれぞれでなんとなく感じてみてください。

こうやって書くと、繊細な周波数の方が「良い」、粗い周波数が「悪い」と判断されてしまいそうですが、決してそんなことはありません。粗い周波数に魅力を感じて、それを好きになることは、誰しもあります。表現において、浮き沈みを出したり、インパクトを出したりしたいときは、あえて粗い周波数を用いる方も多いでしょう(たぶん)。

おはなし会などでよく訊かれたのは、
「粗い周波数ではなく、繊細な周波数を感じて生きてゆきたい」という声です。

繊細な周波数は、穏やかで心地よくて静かですから、ぼくもなんとなくではありますが、おっしゃっていることはわかります。愛で在ることを志すことはおかしなことではありませんし。

ただ、ぼくたちは地球(てってれー状態)に生きています。愛の世界の周波数帯に突入したとはいえ、まだまだこの星は物質的な次元を生きています。

そもそも、物質はたいていの場合、粗い周波数です。ほんとうに繊細な周波数になると非物質化し、目には見えなくなって、姿形を捉えることはできなくなります。

ぼくが今こうやって書いている文字、言葉も物質です。並べ替えによって、周波数が細やかになることはありますが、どうしてもある程度の衝撃(印象)を伴い、響きが残ってしまいます。

コミュニケーションにおける繊細な周波数は、テレパシーや透視、霊視などでしょうか。詳しくないのでよくわかりませんが、透視や霊視は、見たものを言葉や文字に変換する段階で、ものすごく周波数が粗くなる気がします。でも、それはしょうがないことです。地球の醍醐味のひとつでしょうから。


ですから、今現段階の地球において、この2つが共存していることはほんとうにしょうがないことです。表裏一体の役割もありますから、どちらか一方を選び残すことは不可能だと思っていただいていいと感じています。

そこまで踏まえた上で、「繊細な周波数との交わり方」を感じあっていけたらいいなあという気持ちのまま、引き続き書き進めますね。


キンボでも書きましたが、今の地球は愛の世界に入りたてです。積年の思いがようやくプチ成就したこともあって、地球さんちょっと浮かれてます。

「愛の世界に行くためのチケットを全人類に配布」したり、「コロニャンボーナス」を実施してみたり、もしかすると第三弾のボーナスも?という気配が出てきてますが、ひとまず地球とともに「愛の世界に行くこと」を高らかに宣言した人たちには、ほんとうにその選択でいいの?というお試しがてんこもりで待ち受けています。

現在の地球は、「愛の世界」と「従来(これまで)の世界」が共存しています。いきなり愛の世界に行ってしまったら、従来の世界で生きるためにたくさんのアメニティーを握ってこの星に生まれてきている人間のほとんどが、ぼくも含め、あっという間に失われてしまうからです(そんなことにはなりませんけど)。

従来の世界は、これから50年近くは存在し続ける気がします。その世界での常識や観念、価値観などは記録(文書、芸術、音楽、wikipedia?)として残るだけで、そのまま愛の世界へ完全移行することになるでしょう。
つまり、だいたいの方は寿命を迎えて、この星を去るタイミングになるのです。そうして、従来の世界はさっぱりとなくなるんじゃないかと思います。


ただ、これは愛の世界は良くて、従来の世界が悪いからではありませんよ。


地球が愛の世界に移行することで、従来の世界は地球と不一致を起こすために消えてしまう、というだけです。(何度も何度も、言いますけれど)

ですから、今現在のタイミングで、「愛の世界」を選ぼうと、「従来の世界」を選ぼうと、正直なところどっちだっていいんです。地球的に一番大切なことは、その人にとってのほんとうのほんとうの選択をすること、だと感じています。

そんな大切な選択のために、ぼくたちの日常にはキャッチ(勧誘)がわんさか出現しています。
キャッチというのは、歓楽街などで「居酒屋いかがですか?」という風に声をかけてくる、あんな感じの勧誘です。

もし、
「私は繊細な周波数と交わるために、愛の世界に行きたいの!」と宣言したとしたら、
「従来の世界いかがですか?」と勧誘してくるわけです。

傍目で見ると、このキャッチのあの手この手感はすごいんですよ(笑)
獅子奮迅の活躍をしているといっても過言ではないでしょう。
従来の世界に引き戻される感覚に苛まれる方もたくさんいらっしゃると思います。
それくらい、地球は「ほんとうのほんとうの選択」をぼくたちに求めているんです。

昨年末のおはなし会で何度もおはなしした内容ですが、このキャッチが赤の他人だけでなく、両親、家族、恋人、パートナー、親友、旧友、同僚、上司、憧れの人など、見事なまでに近しいところにたくさんいるのです。

ここで改めておさらいです。


愛の世界 = 繊細な周波数 = エネルギーが軽い

従来の世界 = 粗い周波数 = エネルギーが重い



となったときに、愛の世界に行きたい人が、従来の世界にいるキャッチと交わったら、いったいどうなるでしょうか??

これは、笹の葉でつくった船に、こぶしほどの大きさの石を載せたらどうなるでしょうか?? という質問に変換するとわかりやすいかもしれません。

きっとみなさんおわかりでしょう。
軽いものの上に、重いものを載せたら、軽いものはぺしゃんこになるか、沈みます。

それと同じように、愛の世界に行きたい人が、従来の世界にいるキャッチと交わると、簡単に従来の世界に行くことができちゃうのです。

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そ、そんなの。。

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と思う方も多いでしょう。もちろん、信じなくて大丈夫です。
ぼくの強烈な体験談が伴っているだけで幻かもしれません(笑)


まず、そもそもの話ですが、
キャッチをジャマモノ、ワルモノ扱いしないでくださいね。
基本的にキャッチは善良で、善意でお誘いをしてきます。

ここでキャッチに、「NO!!!」のエネルギーをたっぷりと注ぎ込むと、
この地球では不思議なシーソーが見事に働いて、「YES!!!!!」になります。
「平和」を願えば願うほど、「戦争」が後を立たないのは、このシーソーが原因かもしれませんね。他にもいろいろあります、こういうことは。


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地球という生命体は、76億の人類すべてを尊重し、淘汰することなど一切考えていません。
つまり、地球には選民思想みたいなものがないんです。

誰しもがほんとうに必要な存在であることを、地球はよくよく理解しています。
「多様性」という言葉を最近よく目にしますが、微生物の世界と同じように、超多様、超混沌の状態ができてはじめて、超がつくほどの調和につながるのが、この地球という星なのです。

そんなバカな!と思うのは、
きっと地球外から来た宇宙由来の魂の方でしょう。
他の星々はわりと単一的で画一的なところが多いですから、
どうしてもその星の性質(クセ)で生きてしまう方が多い気がします。

地球って、どうやらそういう星みたいです(あくまで個人的な感覚です)。

ですから、偏りが出そうになると、その真逆のエネルギーが働いて、双方のバランスを取ろうとする作用が発生するのです。

「NO!!!」が「YES!!!!!」になるシーソーは、地球特有のものでしょう。
ある意味、とても宇宙的なバランス感覚だなあと常々感じます。

「嫌よ嫌よも好きのうち」みたいなものでしょうか。

ぼくたちはおそらく、どちらか一方ではなく、超広大なグレーゾーンに、重なることなく点在すること(本質の自分で生きると勝手にそうなる)で、地球の超混沌=超調和ができあがるのかもしれませんね。



話は長くなりましたが、キャッチに「NO!!!」はしないでください。
二日前の記事にも次のように書きましたが、キャッチを無視することもしない方がおすすめです。(もちろん、したかったらしてくださいね)

*** *** *** *** *** ***

無視するのは、意識していることと変わりありませんからご注意くださいね。無視というのは、その無視する対象が存在していることをもっと自覚するだけですから、無視=意識と一緒です。

*** *** *** *** *** ***

無視は、無視する対象とエネルギーを交流することになる、というわけですね。

キャッチはあくまでも「ほんとうの選択」のための、ものすごく大切な選択肢の一つです。

ですから、キャッチ(=従来の世界)と、愛の世界を今一度、選ぶチャンスだということで、しっかりと選ぶようにしてください。

ちなみに、「選択」と「判断」は、まったく異なる意味合いを持ちます。
辞書で引いたらどうなのかわかりませんが、エネルギーの観点で見るとまったく異なるんです。

もう少し詳しくお伝えしますね。

たとえば、右と左に道が分かれている地点に差し掛かった時、
「選択」という行為は、次のようになります。

右も左も、両方あることはわかっている。
でも、わたしは、右を残して、左を選ぶの。


面白いことに、「判断」は次のようになります。

右も左も、両方あることはわかっている。
ただ、わたしに右なんて必要ない。右を消して、左に行こう。

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なんとなくイメージがつきますでしょうか?

あくまで個人的に捉えたエネルギーの観点ですが、
「判断」は、どうしても偏りを生み出してしまうようです。

そうなると、きっと、先ほどお伝えしたシーソーシステムが遅かれ早かれ作動しはじめることでしょう。

モトノモクアミ、になっちゃう気がしますね。
世界や社会、政治が繰り返しているのは、こういう部分なのかなと思います。

さてさて、今回はここまでにします。話が脱線しすぎました(笑)

キャッチのことは、なんとなくわかりましたでしょうか?
この世界には、ほんとうは良いも悪いもありませんから、この点をクリアしてしまえば、「繊細な周波数との交わり」も掴みやすくなると思います。

周波数編 ③につづきます。

ちょっと頭を休めて、ご自身の感覚を取り戻してみてください。
そして、その感覚でこの世界をとらえてみると、きっと面白い発見につながるかと思います。


それでは、また次回に。




こじょうゆうや

あたたかいサポートのおかげで、のびのびと執筆できております。 よりよい作品を通して、御礼をさせていただきますね。 心からの感謝と愛をぎゅうぎゅう詰めにこめて。