『逃げてもいいんだよ』の罠 ―優しさのおはなし―


    また会いましたね。ほしかげ、もとい、いびつな塊です。

    自己紹介noteで書くのを忘れていたのですが、実は僕は受験生だったりするので、X(旧Twitter)とpixiv関連サービスは一旦更新を控えめにして、noteだけ週一更新を目標に動かしていけたらいいなと思っています。
    息抜きとして文章で好き勝手に遊ぶ時間があっても良いと思うのですが、どうでしょう。もちろん、勉学中心の悔いのない受験生活にしようと思っています。やれるだけやってみます。


STEP1  叱責は慈悲で制す

    突然ですが、皆さん、怒られるのは好きですか?

    大体の人は嫌いですよね。
    自分の今までの人生全てが否定されたような、真っ暗な気持ちになる人も少なくないでしょう。僕もそのタイプです。100%泣いてます。泣き虫なのです。

    最近読んだ本に『怒っている人は困っている人』という言葉がありました。うまく言語化できないことが怒りとして現れてしまうらしいです。

    僕は思いました。
    怒鳴られている最中に『かわいそうだな』と慈悲の心を押しつけてしまえば、こう言っては何ですが、優位に立つことができるのではと。
    そう考え付いたタイミングで運良く怒られたので、実践してみました。
    僕の場合は、泣かないまではできませんでしたが、我慢できる時間が延びました。相手の目の前で泣かなくなったのは僕にとって大きな進歩でした。

    怒りの感情は、それを抱えている本人も損します。
    怒りは他人を遠ざけてしまうので、改善の機会や交流の機会が失われてしまい、気が付いたら孤立している…ということになりがちです。
    つまり、
”怒っている人=困っている人=孤立している人=かわいそうな人”
となりますね。

    反発したり際限なく落ち込んでしまったりするよりも、感情をコントロールできる「大人の心」を無理やりにでも生成して疑似的な優越感に浸るほうが、まだ明るい未来を信じる余力が生まれるのではないでしょうか。

STEP2  いつまでも立ち止まっていていいのか

    「慈悲の心」で優位に立ったところで、もうワンステップ進みましょう。    何も得られないのに、ただただ言葉を浴びせられているのは癪ですよね。

    そこで、怒りの雨から無理矢理優しさをひねり出すことを考えてみました。

    何を以てそれを優しさと捉えるのか。これが肝です。

    自己紹介noteにも書きましたが、社交不安障害の悪化で極端に人が怖くなってしまって学校に行けず、家でも朝起きられなかったり、頭が全然働かなかったりしているまま一日が終わるというのを繰り返しています。

    幸運なことに、そんな状態の僕を全肯定してくれる人が周りにいてくれています。しかし、そうではない人がいます。そう、厳しいほうの親です。

    定期的に怒られていましたが、確かに僕のような自分に甘い人間は厳しくされないと前に進めないかもしれないと思い、叱責を優しさにねじ曲げてしまおうと考えました。

    ねじ曲げる元気すらないときは、優しさだけナイフとフォークでそっと切り取ってもぐもぐ食べて栄養にしてやります。
    とげとげした言葉なんて飲み込まなくたっていいです。口元に運ぶのは美味しいところだけでいいのです。わざわざパイナップルの尖った表面だけを食べて『痛い!不味い!』という人がいたら、面白いですけど心配になりますよね。
    とげとげは、かわいそうな人にとっての救いのない抵抗なのです。穏やかな凪の心でスルーしましょう。

    少しだけ視点を変えます。

    『逃げてもいいんだよ』という言葉が優しい言葉としてはやっているみたいですが、それをいつまでも言い続けた結果、言われた本人が何も進めなかったら、責任は誰が取るのでしょうか。

    ぼろぼろの極限状態の人に対してとか、頑張りすぎて死にたくなっている人とか、苦しすぎて終わりにしたい人とか、そういう人に言うなという話ではありません。
    優しさというのは甘さではない、と最近ようやく気がつきました。

    時と場合によっては、怒ったり、相手にとって不都合な指摘をしたりすることが優しさだったりするのです。

    何を当たり前のことを偉そうに言っているのか!とお怒りになった皆さん、一旦お静まりください。

    言葉の流行というのは本当に恐ろしいです。

    『これを言っておけばいいだろう』のような惰性で言葉を使うのは本当によくありません。
    僕はまだちゃんと社会に出たことがないので憶測で語らせていただきますが、確かに処世術として惰性の言葉遣いを身につけることは、社会人にとっての重要なスキルの一つかもしれません。

    しかし、あまりにも近い関係性―家族や友人や恋人―の場合はどうでしょう。「世間一般の優しさ」を押し付けるだけで、あなたがあなたの大切な人のそばにいる意味はありますか。

   背中に手のひらをそっと添えて、進みたい方向、いわゆる「前」に進ませるのが優しさで、それが人が人と生きる意味なのかなと僕なりに考察してみています。

STEP3  優しさとは前に進ませること(まとめ)

     まとめです。

・怒る人は困っている人なので、慈悲を押し付けて勝手に優越感に浸ることで自己防衛しましょう。
・ 余力があれば、自分が前に進むエネルギーになりそうな部分だけを分離して吸収しましょう。
・優しさとは、前に進ませること。甘さだけではない。

    完全に自論なのですが、誰かのお役に立てれば幸いでございます。

おまけ  ―「前」ってどっち?―

    どうしても進めずに立ち止まり、逆方向に流れるベルトコンベアーに身を任せている人がいるとします。
    進んでもその場に留まるだけだったり、場合によっては後ろに流されるスピードが遅くなるだけかもしれません。

    それでも、立派に「前」に進めていると僕は思うのです。

    もっと言えば、爆走で逆走しているときに勇気を出して立ち止まってみるのも、「前」です。少しずつでもね、方向ベクトルを修正して、一歩一歩戻っていきたいですね。

    進めたらきっと楽しいのでしょうね。苦しいと楽しいは紙一重かなって最近思います。

    少しだけ話が変わります。
    3月23日に放送された、第35回ヤングシナリオ大賞の大賞受賞作品「高額当選しちゃいました」のドラマ化したもののTVer配信開始の繋がりで、いくつか過去の大賞受賞作品も配信されています。
    その中に第34回に大賞を受賞した「瑠璃も玻璃も照らせば光る」という作品があり、主人公:ひかる  が終盤に発したセリフがとっても印象に残っています。

『頑張らなくていいよって、ずっと言われたかったはずなのに、全然うれしくなくてびっくりした』(書き起こしは  ほしかげ)

    ヤングケアラーの主人公のお話で、ひかるの強さにぐっと胸が苦しくなるので、配信が終わらないうちに一度でも見てみてほしいです。

    どうやって感謝の気持ちや労いの気持ち、応援の気持ち、そして思いやりの気持ちを伝えるか。
    これが、一瞬一瞬頭を使って向き合うべきである、永遠のテーマである気がしてなりません。


    また会いましょうね。一旦、さよなら。


    ほしかげ


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